遠藤保仁はJリーグの様々な流れを選手の目から見てきた生き字引的な存在でもある【写真:Getty Images】

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Jリーグ一筋24年、名司令塔が指摘する変化と課題

 1993年に開幕したJリーグは、四半世紀を超える歴史を積み重ね、10クラブでスタートしたリーグは今やJ1からJ3まで全57クラブに拡大し、プロスポーツとして各地域に根付いている。その一方で、日本代表クラスの才能が次々と欧州各国リーグに流出し空洞化も叫ばれるなか、実際に戦う選手は現在のJリーグをどのように見ているのか。1998年にプロ入りし、“Jリーグ一筋24年”のMF遠藤保仁(ジュビロ磐田)に話を聞いた。(取材・文=佐藤 俊)

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 Jリーグは今年で開幕から29年目となり、遠藤保仁もキャリア24年目のシーズンを戦っている。日本サッカー史に残る名司令塔は“黄金世代”(1979年度生まれ)の1人だが、小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)や稲本潤一(SC相模原)、中田浩二らが海外でプレーした経験を持つのとは対照的に、1998年に横浜フリューゲルスに入団して以来、Jリーグとともに歩み続けている。そういう意味では、Jリーグの様々な流れを選手の目から見てきた生き字引的な存在でもある。

 その遠藤が長い時間、Jリーグを見てきて変化を感じるのは、どういうところなのか。

「ファンというか、お客さんの目が一番変わったんじゃないかなと思います。僕がプロになった頃もサッカーを見る目は高かったけど、要求するものがどんどん高くなっていきました。当時よりも情報を得られる時代になって、みんな海外のサッカーを普通にたくさん見るようになった。その結果、海外の良いところ、上手いところをJリーグにも求めるようになってきたので、間違いなく、いろんな要求が高くなってきていますね」

 見る側の要求や意識が高くなれば、それが刺激となってプレーや選手の質も上がっていく。遠藤は、それは日本代表に顕著に見られる傾向で、「昔よりも代表のレベルは非常に上がった」と語る。代表のレベルが上がったのは、もちろんJリーグでプレーする選手の質の向上もあるが、遠藤の時代よりも容易に海外に出て行ける環境の変化も大きい。特に近年は、数年しかJリーグでプレーしていない若い選手が次々と海外に飛び立つ流れにある。

「若い選手が海外に行くことはすごく良いことだと思います。僕が若い時は、代表クラスだったり、海外もどこでもいいのではなく、良いクラブなら行く感じでしたが、今は欧州を中心にいろいろなクラブに行きますね。そこからステップアップして、のし上がっていくというのは僕らの時代にはなかった。海外の代理人も日本人だと安く獲得できると積極的だし、選手は行けるところが増えている。そうして日本人の価値が上がっていけばいいと思います」

 少し前は、選手が海外に行く際は、セレモニーが催されていたが、今はそれも少なくなり、海外移籍は普通の感覚になってきている。遠藤はこれからも「行きたい選手はどんどん行けばいい」と語るが、Jリーグからすると人気のある優れた若手の海外流出は、痛し痒しの部分もある。

インパクトのあるスター選手を「あえて作っていく必要がある」

 そうした影響もあるのか、近年のJリーグはかつてのように個性的で面白い選手が少なくなり、日本代表もスター性のある選手が少なくなっている感がある。

「前はカズ(三浦知良)さんをはじめ、ヒデ(中田英寿)さん、(中村)俊輔、ちょっと前だと(本田)圭佑とか、名前が出ればパッと顔が浮かぶ選手が多かった。でも、今はどうだろう。スター選手というか、カズさんみたいなインパクトのある選手はいないと思う。そういうスター選手が必要だし、あえて作っていく必要があるんじゃないかなと思いますね」

 現在のサッカー界には野球界の大谷翔平(米大リーグ・エンゼルス)のように、世界トップレベルの選手も称賛するレベルのスターが見当たらない。上手い選手は多いが、海外ではレギュラーになれるかどうかのレベルだったり、もちろんビッグクラブで圧倒的な存在感を見せる選手もいない。

 夢を見られる存在がおらず、Jリーガーが稼げる金額も新人選手はB契約とC契約で年俸480万円以下、A契約は同700万円が上限になっている。プロ野球はドラフト1位にもなると契約金1億円、年俸1600万円をもらう選手も珍しくなく、サッカー選手とはかなり差がある。また、第一生命保険が今年3月にアンケートした小学生・男子のなりたい職業ランキングでは、サッカー選手は3位で、2位にYouTuber、1位は会社員だった。中学生・男子も1位が会社員、YouTuberは3位タイで、サッカー選手は7位タイとなった。

「今はネット社会で、小学生から携帯を持って動画を見ているから、YouTuberは身近だし、何億円も稼いでいるので、そこに夢を持つのは分かる。年俸で夢を持てないとなりたいとは思わないので、やっぱり野球みたいに年俸が高くなっていけば『サッカーって夢があるよな』ってなると思うんです」

 コロナ禍の影響で各クラブの収益は悪化し、緊縮経営が続くが、元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタをはじめ次々とワールドクラスの選手を獲得しているヴィッセル神戸は、夢のあるチーム作りをしている。

今の日本サッカー界は「もう一つ階段を上がる途中」

「三木谷(浩史/神戸会長)さんの神戸のように、選手の給料を上げて、Jリーガーでも何億円も給料がもらえるんだっていう世界になっていけば、もっとサッカー選手になりたいという子供が増えていくと思います。そういう取り組みは、絶対に必要じゃないですかね。今、Jリーグは29年目で、日本代表もW杯に行って当たり前になっているなか、もう一つ階段を上がる途中だと思うんです。そういう意味では給料を含めて、もっとメディアに取り上げられる話題性と将来性のある案を打ち出していくことが必要ですね」

 プロスポーツゆえに夢は大事だが、そこに繋がるお金も大事だ。プロサッカー選手は職業であり仕事。かけた時間の割には報酬が少ないと思えば、優れた運動能力を持つ子供は他の競技へと流れていくかもしれない。

 スケートボードをはじめ、面白くてお金を稼げるスポーツが出てきている。サッカーは決して安泰ではない。

遠藤保仁

 1980年1月28日生まれ、鹿児島県出身。3人兄弟の三男として幼少期からサッカーに熱中し、鹿児島実業高校卒業後の1998年に横浜フリューゲルス加入。1年目からJリーグで活躍すると、京都パープルサンガ(当時)を経て2001年にガンバ大阪に完全移籍した。司令塔として攻撃的スタイルの中核を担うと、J1優勝2回、2008年AFCチャンピオンズリーグ制覇などクラブ黄金期の確立に大きく貢献。日本代表でも長年にわたって活躍し、W杯に3度出場した。国際Aマッチ152試合出場(15得点)は歴代最多記録となっている。昨年10月にジュビロ磐田へ期限付き移籍、プロ24年目の今季もレギュラーの1人としてJ1昇格を果たしたチームを支えた。(佐藤 俊 / Shun Sato)

佐藤 俊
1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。