近所で有名な豪邸、玄関入ると足の踏み場もない暮らしに絶句

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「実家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母親が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。日本の高齢化は進み、高齢者と後期高齢者という家族構成が珍しくなくなってきた。老いと死、そして生きることを考えていきます。本連載は松原惇子著は『母の老い方観察記録』(海竜社)を抜粋し、再編集したものです。

元気で生き切るには、いつも小ざっぱりした部屋

6垢ど屋できれいに暮らす…「元気で老いるための7か条」

年寄りの部屋は臭い。老人ホームにもよるが、建物に入ったとたんに独特の匂いがすることがある。友人の99歳の母親が暮らす老人ホームを見てみたくて、「行ってもいい?」と尋ねたところ、「部屋が臭うので来ないでいいわ」と言われ、娘の気持ちがわかるような気がした。

老人になると一種独特の匂いを発するようになるのは、仕方がないことだが、せめて、自分の部屋の空気だけは、きれいにして暮らしたい。

まわりの元気老人を見ていると、みなさん、朝は必ず掃除をしている。掃除は心の掃除とつながることは心理学で言われていることだが、わたしたちでも、掃除をしたあとはすがすがしい気分になる。一方、散らかしっぱなしで数週間ほったらかしのときは、なんとなく気分もよくないものだ。

近所では有名な外観は豪邸、玄関入ると足の踏み場もない暮らしをしていた奥さんがいたという。(※写真はイメージです/PIXTA)

年を重ねるにしたがい、掃除がおっくうになりがちだが、元気で生き切るには、いつも小ざっぱりした部屋にしておくことが必要だろう。

今気づいたが、もしかして、くすんだ色の服を着ている人は、室内もそんな感じなのかもしれないと。くすんだ環境で毎日を暮らしているから、くすんだ色に目がいくのかもしれない。

日本で3番目に古い老人ホームを経営している社長に伺った話だが、見学に来た方が見て、「狭すぎる」と思う部屋であっても、90代になると、ちょうどよくなるそうだ。60代の一歩を70センチとすると、90代の一歩は10センチと狭くなり、移動に時間がかかるようになるので、狭い方が使いやすいという論理だ。

「年だから」と自分に言い訳をして、食べかけのみかんはそのまま、ふとんは起きたときのまま、新聞は散在、と面倒くさがっていると、どんどん、ため息まじりの生活に向かっていくので、もし、心が前向きな人生を送りたいなら、まずは自室を整えることだろう。

まわりの元気で長生きしている方を見ていると、きれいに暮らしているひとり暮らしの人が多いことからもわかる。「誰にも見せないから汚くても平気」と言う人は、ゴミの中で死んでいただきましょう。

知り合いに、近所では有名な外観は豪邸、玄関入ると足の踏み場もない暮らしをしている奥さんがいた。室内は臭い、夫を除く家族全員がアレルギー。奥さんは73歳で肺がんのため亡くなった。

掃除が苦手な人は、必要なものは押入れやクローゼットにしまい、要らないものは捨てるといい。家具は最低限にすれば、掃除も簡単でゴミのたまる場所も少なくなる。モノを下に置くから汚くなるのだと、自分の経験から思う。

仏教では、掃除をとても大事な行いとしているのは、周知のとおりだ。まずは、表を箒で掃いて、水を打つ。お寺の中は畳しか見えない。何も置いていない。しかも、床や階段はピカピカに磨かれている。

そこには、リンとしたすがすがしい空気が流れている。わたしがお寺が好きな理由もそこにある。

お寺で畳に座っていると、邪念が吹き飛び、体の中の空気も入れ替わり、「前向きに生きよう」という気力がわいてくる。しかし、若輩者のわたしは、お寺を後にしたとたんに、少ない年金のことが頭をよぎり、政府に対する怒りが込み上げてくるのだ。

元気で最後まで楽しく生きるには、最も多くの時間を過ごす、自分の部屋から清める必要があるだろう。

大事な時間をくよくよ過ごすのは時間の無駄

いよくよしない…「元気で老いるための7か条」

元気でいきいきしている高齢者の共通点は、くよくよしないことかなと見ていて思う。自然の中で犬猫と暮らしている人は別だろうが、わたしたち都市の人間は、絶えず、人間関係で悩まされていると言っても過言ではない。

多くの方も同じだろうが、わたしはこのストレスに弱い人間なので、たいしたことではなくても、無人島で暮らしたくなることがある。「ああ、もう嫌だ。誰もいないところで静かに暮らしたい」と。でも、反面、人が好きなところもあるので、いまだに、一度も無人島どころか、離島にも行ったことがない。

人間はどんなに仲良しでも、すべてが一致するわけではないので、「なんで、あんなこと言うんだろう」とか「何も言わなくてもいいのに」と、不快な気持ちを引きずりがちだ。

わたしも同じだが、人間は、自分の価値観でものごとを測りがちなので、食い違うときはあまりいい気分がするものではない。

友達関係だけでなく、年と共に、業者の言うことに乗り、「ああ…あの話に乗らなければよかった」と後悔することも多くなる。特に金融関係の人からは自分がわからないだけに、だまされることも多々ある。

でも、やってしまったことはやってしまったこと。損はしても命まで取られたわけではないので、終わったことは忘れるに限る。

若ければ未来があるので、くよくよしている時間はあるが、65歳以上の人には後悔している時間はない。いつ死んでもいいお年頃に突入しているというのに、大事な時間をくよくよ過ごすのは時間の無駄だ。

いつまでも終わったことにくよくよしていると、希望のバスが来たことがわからずに、見送ることになる。何度も申し訳ないが、65歳を過ぎたら、次のバスは来るかどうかわからないのだから、気持ちをすっきりさせて、先に進む必要があるだろう。

家族の悩み、老後のお金の悩み、友達関係の悩み、貸したお金が返ってこない悩み、病気の悩み、年を食うほど、悩みの種類は多くなり、お金がからんでくることが多くなる。

嫌なことがあったら、近所を散歩するなり、お風呂に入るなりして忘れたい。終わったことは終わったこと。振り返らないのが一番、精神衛生上いい。


 
65歳をすぎれば、あとは死ぬだけなのだから、楽しく暮らさないと損だ。65歳になれずに、大きな病気で亡くなった人もいるのだから、自分はどんなに恵まれているか。この年まで命があっただけでラッキーなのに、過去のことにとらわれて生きるのはもったいないことだ。

出来の悪い息子がいようが、根性の悪い嫁がいようが、もうそんなことに心を捕らわれている時間はない。忘れよう。忘れよう。明日の楽しみだけを考えて暮らそう。それが許されるわたしたち高齢者は、最高の年代にいるのだから。
 

松原 惇子
作家
NPO法人SSS(スリーエス)ネットワーク 代表理事