直木賞作家の新刊に学ぶ「世界の中心だと信じた場所もいずれ喪失する」ということ
台北の繁華街にある小さな通り、紋身街。タトゥーショップが立ち並ぶこの一角を舞台に、主人公の9歳の少年がちょっとクセのある大人たちに囲まれて過ごす日々を描いたのが、直木賞作家・東山彰良さんの連作短編集『小さな場所』だ。
【写真】故郷・台湾に思いを馳せながらインタビューに答える東山さん
ちなみに紋身街は、作中で《世界中のどの街にもかならず一本はあるだろうと思われる、街の恥部のような細くて小汚い通り》と評されている。台湾出身の東山さんが、ここを舞台に選んだのはなぜだろうか。
日本の読者を異空間に連れて行ってくれる
「僕が好きな小説に、ノーベル賞作家のV・S・ナイポールが書いた『ミゲルストリート』があります。これはトリニダード・トバゴにある一本のストリートを軸に据えて普通の人々を描いた作品で、僕もこんな物語を書いてみたいと思っていました。
紋身街を選んだ理由は、僕が育った広州街に近くてよく知っている場所だったことと、日本の読者を異空間に連れて行ってくれるだけの魅力あるストリートだから。実際の紋身街は、全長30メートルほどの本当に短い通りなんですけどね」
とはいえ、紋身街が現在のようなタトゥーショップの街になったのは'90年代に入ってからのこと。東山さんが子どものころにはあまり触れる機会がなかった刺青の文化を詳しく知るために、取材もしたそうだ。
「実は、ちょうどこの作品を書いているときに、僕の女性のいとこが彫り師になったんです。彼女が扱うのは主に眉毛やアイラインを描いたりする美容用タトゥーですが、彼女から今まで知らなかったことをたくさん教えてもらいました。例えば、作中に“微刺青”という5年ほどで消えるタトゥーの話が出てきます。
一般的な刺青は1度入れると消えませんが、微刺青なら敷居が低いので、最近は若者の間で流行っているのだとか。彼女にそれを聞いてから、台北の街中を注意して見てみたら、あちこちの看板に『微刺青』の文字がある。これは取材しなければ気づかなかったと思います」
口の悪い大人たちに憧れていた
主人公の少年・小武は、紋身街にある食堂の息子だ。彼の周囲には個性的な大人たちがいつもたむろしている。
美人女性彫り師のニン姐さん、金になるならどんな注文も引き受ける拝金主義者のケニー、商売っ気のない探偵の孤独さん、ヘタレなチンピラのアワビ。大人たちはずる賢かったり、平気でウソをついたりするけれど、少年に大切なことも教えてくれる。
「少年を主人公にしたのは、子どもが相手なら、周囲の人たちも大人同士では言えないことを駆け引きなしで語ってくれるんじゃないかと思ったから。子どものころの僕は小武ほどませていなかったけど(笑)、当時、身近にいた大人たちはやっぱり口がうまくて、子どもを気持ちよくだましてくれた。
そして、そんな口の悪い大人たちに僕は憧れていたように思います。子どもって、悪いことを教えてくれるような大人を好きになるじゃないですか。僕も小学生のころ、周りの大人たちがオートバイの運転を教えてくれたりしたなあ。まあ、何事もなかったからこうして話せるんですが(笑)」
少年が大人たちとの交流の中で、子どもながらに人生の喜びや哀しみを感じ取るエピソードは、どれも温かく切ない。そして文章の端々に、彼や周囲の人たちがやがてこの街を出ていくであろう未来が垣間見えて、それがまた郷愁を誘う。
「おそらく僕がこの小説で書きたかったのは、『自分が世界の中心だと信じていた小さな場所を、いずれ喪失しなくてはいけない』ということなのだと思います。
まだ子どもの小武にとって紋身街は世界のすべてですが、彼もいつかこの場所から出ていかなくてはいけない。彼の世界を構成する大切な人である彫り師たちも、やがてこの街を去るときが来る。それをあえて読者にはっきり伝わるように書きました。
僕が育った広州街も、かつては古い平屋が立ち並んでいましたが、再開発されて今はビルばかり。子ども時代の風景とは、似ても似つかぬ場所になってしまいました。だから僕も生まれ育った場所を喪失したという感覚はずっと持っている。心の中にはずっと、当時の台湾に対するノスタルジーがあるように思います」
小説を書くか、旅をするか
東山さんは長年続けてきた作家と大学講師の二足のわらじをやめて、今年春から専業作家になった。創作と向き合う時間が増えたことで、これまでとはまた違う新たな東山ワールドを読者に届けてくれそうだ。
「専業作家になったのは、50歳の節目を迎えたことと、2人の子どもが大学に入学したことがきっかけです。僕は人生で子育てが何より大事だと考えていて、子どもたちをひとり立ちさせることがいちばんの目的でしたから、そのために必要な金銭の目処が立った今、これから先の時間は自分のやりたいことに使いたいなと。
大学を辞めて時間ができたので、もっと旅をしたいですね。世界中どこでも行ってみたいし、見識を広めたい。今後は小説を書くか、旅をするかのシンプルな人生になっていくと思います」
ライターは見た!著者の素顔
ミステリーから近未来SF、歴史小説まで、幅広い作風で知られる東山さん。今作には主人公が書いたという設定の童話が出てくるが、実はそれも過去の作品なのだとか。
「これは30年ほど前、東京でサラリーマンをしていたころに書いた童話です。結局、誰に見せることもなくお蔵入りしたのですが、この物語を書いている途中でふと『あの童話はこの小説で言いたいことに重なるな』と思い出して。30年の時を超えて、ようやく日の目を見てよかったです(笑)」
(取材・文/塚田有香)
ひがしやま・あきら 1968年、台湾生まれ。5歳まで台北市で過ごし、9歳のときに日本へ。2002年、「タード・オン・ザ・ラン」で第1回「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞を受賞。'03年、同作を改題した『逃亡作法 TURD ON THE RUN』で作家デビュー。'09年、『路傍』で第11回大藪春彦賞受賞。'15年、『流』で第153回直木賞受賞。