栗原心平の「青森愛」と、妥協なき料理に影響を与えた「父からのダメ出し」
──本の帯に「青森に通って4年、計20回以上も訪れている」とありますが、ほぼ毎月のように青森に行かれてますよね
そうですね。2019年の9月末で22回だったのが、ものすごい勢いで訪れているので、12月の今日で25回を超えています。
人生初青森で大歓迎、それでも…
──青森に通うようになったきっかけは?
初めて青森を訪れたのは、4年前に青森朝日放送『ハッピィ』(毎週土曜の朝9時35分から放映)の視聴者イベントに呼んでいただいたときですね。
──イベントの雰囲気はどうでした?
こんなに視聴者の方が青森にいるんだということに驚きました。700人ぐらい集まったんです。そんなに大勢集まるとは思っていなくて。当日まで不安しかなかったですね。
──700人も集まっていたら、大歓迎されたでしょ?
そうですね〜。若い方からご年配の方まで、たくさん集まっていただいて。そんなに幅広い年齢層の方が集まる地域ってあまりないんですよ。
──会場内は、キャーキャー黄色い歓声が響いて…
聞こえてましたね〜。
──青森にメロメロになりました?
う〜ん。まだそこまでは。イベントに呼んでいただいて訪れたこともあって「青森らしい食」には出会えていなかったんです。なのでちょっと物足りないというか。
それが、2軒目で紹介していただいた県庁のМさんとの出会いで、印象が変わったんです。彼は、のちに僕と青森をつなぐキーマンになる人。
Mさんはよく飲むし、よくしゃべる。すっかり意気投合して、ふたりでCRAZY HORSE SALOONというバーへ行って。そこでの顛末(てんまつ)、ほかのお客さんとの絡みも含めて、記憶が最高によかった。
人と酒、あとはおいしい料理
──青森の日本酒は? 本の中でもたくさん飲んでますよね
やっぱりうまいっ! 僕の好みなんですけど、日本の南より北の地域の、北のなかでも青森県の日本酒が、きりっと切れ味鋭いのが多い気がする。青森のお酒を知って日本酒の概念が変わりましたね。日本酒って、飲んでいくうちに口の中がべったりするイメージがあったんですけど、青森のお酒にはそれがないかな。
この本の中では、企(たくみ)さん(鳩正宗の杜氏〔とうじ〕佐藤企さんがつくる特別純米酒「佐藤企」)の日本酒がいちばん好み。
──初めての青森で、人に惚れて、酒に惚れて。でも料理はまだそれほどでもなくて?
そうそう、そんな感じでした。そのあと、県庁の方から青森県の生産者に会いに行くツアーに招待されたんです。伺う先々の、ほとんどの方が僕を知ってくださっていて。
「わざわざ来てくれてありがとう」と歓迎してくれて、お土産もたくさんいただきました。申し訳ないなと思いながらも、居心地がよくて。何度かツアーに参加するにつれ、どんどん青森を好きになっていったんです。人がいいんですよ、青森は。
いまは、下北半島で「民宿の定番朝ご飯を作ろう」プロジェクトだったり、県内の市町村から依頼されたご当地メニュー開発に取り組んでいたりして、頻繁に青森を訪れています。青森の特A米「青天の霹靂」の応援大使にも任命していただきました。
──“第2の故郷”という感じですか?
故郷そのものと言っていいです。すっかり青森の虜ですから。そのうち、移住したいですもん。
──夢が弘前の「居酒屋 土紋」で働くことですよね? 本には土紋の2代目になりたい、と書いてありますが
やれたらやりたいですよ〜。でも、僕の覚悟はもちろんのこと、まずは大将夫妻に2代目として認めてもらわないと始まらない。
──「土紋」を知ったのはいつなんですか?
2回目の青森です。弘前のアップル放送というラジオ局のリスナーイベントに呼ばれて、料理教室をやったんです。
それで、その日の夜、晩ごはんを食べた後にホテルに帰ろうと思いながらひとりで弘前の町をぶらぶらしていたら、ツアーに招待してくれた県庁の方とバッタリ!「土紋ってすばらしい居酒屋があるから」とそのまま連れて行ってもらって、おいしい日本酒をたくさんいただいて。それが初「土紋」でした。
青森の印象を変えた居酒屋
──お店の印象はどうでした?
めちゃめちゃよかったですよ。すでにほかのお客さんで盛り上がっていたので、最初は「溶け込めるかな…」と不安でしたけど。大将の奥さんだけが僕を知っていてくれて大歓迎されて。そして料理もおいしくて。1回目の青森の食に対する印象がガラッと変わりましたね。
鯛うまいでしょ、じゃなくて、ニシンおいしいでしょ、って感じがよかった。「土紋」に限らず、この本で紹介した居酒屋には、“高級食材どうだ!”ってことがまったくないんです。新鮮でしたね。
なかでも麹漬け全般がおいしい。ニシンもそうだし、筋子もそう。筋子うまいな、って本気で思いましたよ。青森を知るまでは、筋子はしょうゆ漬けのほうがメインだったかな。最近は、イクラじゃなくて筋子を買うようになりましたね。
だから「土紋」の筋子のおにぎりが好きですね。握り方もいいし、全体の塩味もいいし。いがめんちもおいしいよね。1回ひとりで「土紋」に行ってみたい。ひとりで行ったらどういう頼み方になるのか…。
──著書では「土紋」で、母親である料理家の栗原はるみさんと対談しています。はるみさんも「土紋」の大将夫妻とプライベートなお付き合いがある、と書いてありますが
年に1回、親子3人旅をしているのですが、2年半前は、父の希望で白神山地に出かけました。そのときの晩ごはんを「土紋」でいただいたんです。
理由? うちのおやじとおふくろが、大将夫妻の人柄やメニューの気のきいている感じが好きだそうだな、って思ったんで。実際、気に入ってましたね。いまでは、母とおかみさんが食べ物などを直接やりとりする仲にまでなって、僕以上に「土紋」と仲よくなっていますよ。
妥協なき味覚は父親仕込み
──そもそも心平さんが、食を仕事にするようになったのはご両親の影響なんですか?
うーん、影響はあるんでしょうね。「味噌汁は水と味噌だけじゃないのよ、だしというのがあってね」など、基本は母から教わりました。でも、厳しかったのは父。ひととおり作れるようになったら、細かな味のつけ具合などに関して、非常に厳しかったです。
──その厳しさは、いまでも役に立っていますか?
役に立っていますね。適当にやってるわけではないけど、少しでも違和感があったときは適当にごまかさずに、全部やり直しています。新しい味をつくるときに、組み立てはあっているんだけれども、分量の配分が違う、ということがたまにある。
些細(ささい)なことだからそのまま完成にしてもダメではないのですけれど、僕は、ゼロからレシピをやり直す。そのままにしないです。これは父の影響。
調味料の配分がどうのとはいわないんですけど「味がぼやけている」「何が作りたいんだ」みたいなことをたくさん言われた。結果論ですけど、父の厳しさのおかげで、妥協を許せない体質になりました。
──最後にひとつ。東京にいると、青森が恋しくなることもあるのですか?
なりますよ〜、虜(とりこ)ですもん。月に1回、1週間くらい続けて行けたらいいなって思ってます。青森にいると、人の温かさに触れることが多くて、1日に1回は幸せな気分になる。お酒や料理はもちろん、青森は人間が最高にステキなんです。
『酒と料理と人情と。青森編』
栗原心平の青森愛が詰まった一冊です。書名のとおり、青森県内の居酒屋や食堂で出会った人たちとの笑いあり涙あり、食べ過ぎあり飲み過ぎありの青森紀行。
栗原心平(くりはらしんぺい)
料理家。株式会社ゆとりの空間代表取締役社長。会社の経営に関わる一方、幼いころから得意だった料理の腕を活かし、料理家としてテレビや雑誌などを中心に活躍。現在、料理番組『男子ごはん』(テレビ東京系列)にレギュラー出演中。