益子直美、42歳からの不妊治療は叶わずも「現役時代以上に治療の3年間に集中した」
第1子の出産平均年齢が30歳を越え、体外受精で生まれてくる子どもが16人に1人になった日本。周囲からのプレッシャー、治療費など、さまざまな問題と向き合い高齢出産を目指した益子が語る、不妊治療の“やめどき”とは?
12歳年下のパートナーと歩んだ不妊治療
「子どもを授かることをあきらめ、不妊治療をやめたとテレビ番組で告白したとき、できなかったことを公表したのは益子さんが初めてじゃない? と言われて──」
'80年代後半から'90年代の前半まで、日本の女子バレーボール界を牽引した人気選手のひとりで、全日本代表メンバーとしても活躍した益子直美(53)。
40歳を過ぎてから子どもを授かろうと不妊治療に取り組んだ彼女だが、そこに立ちはだかった“現実の壁”にガク然としたという。そんな中で見えた、夫との関係や治療のやめどきについて、週刊女性の不妊治療記事でおなじみの『西川婦人科内科クリニック』の西川吉伸院長との対談で語ってもらった。
西川「結婚されたのは40歳なんですね」
益子「そうなんです。晩婚ですよね。というか、もともと結婚をあきらめていたんです。ちょうど36歳くらいのとき、姉の旦那さんがバイクの事故で亡くなってしまって……。姪っ子、甥っ子がまだ小さかったので、支えてあげたいという気持ちもあって」
西川「そのとき、お付き合いしていた方はいらっしゃらなかった?」
益子「今の主人と付き合っていましたけど、12歳年下なので、もう結婚はないな、という感じだったんです。でも、まさかのプロポーズをしていただきまして(笑)、40歳で結婚ということになりました」
完全に自分を過信していました
西川「もともと子どもが欲しいという気持ちはありました?」
益子「いえ、なかったんです。ただ、主人もアスリートなので、彼の子どもの顔が見たい、という気持ちがふつふつと湧き上がってきまして」
2006年に結婚した相手は、プロの自転車ロードレーサー、山本雅道選手。ひと回り年下、益子自身もアスリートで身体を鍛えているということで、子どもを授かることは難しいことではない、と思っていたのだが──
西川「本格的に不妊治療に取り組まれるまで、2年くらい様子をみられていますよね? このときは自然にできると思われていたんですね」
益子「42歳で不妊治療を開始したと話してきましたが、実はその時期に、1年間くらい妊活のために婦人科に通院していました。でも知識もなく、完全に自分を過信していましたね。友達や周囲の人にも“スポーツをやっていたのだから大丈夫でしょう”と言われてましたし。何となく、大丈夫かな、と」
西川「もちろん、40歳を越えてからお子さんを授かる方もたくさんいます。2017年だと、40歳以上で出産された方は5万人以上もいらっしゃるんです」
益子「え、そんなに?」
西川「2018年に生まれてきた子どもの、5%くらいの母親が40歳を越えていますし、45歳を越えて出産した子どもは1500人くらいいますね」
益子「私、最初に行った病院で“40歳過ぎてからの出産にはあまり賛成できない”と先生に言われたんです」
西川「一般の婦人科と不妊専門のクリニックとでは考え方は全然違うと思います。ましてや、益子さんが治療に取り組もうとしたのは10年くらい前ですよね。
今なら妊娠を阻害している原因を探し出し、残っている卵子の数やその質、年齢を考えてタイミング法でいくか、人工授精にするのか、体外受精という技術を選ぶのか。選択肢がいろいろありますけど、当時はそういった治療の流れが、なかなか確立されていないときだったかもしれませんね」
準備に入ったとき気付いた“深刻な状況”
益子「そうですね……。最初の病院では応援できないと言われながらも“益子さんは日の丸を背負って一生懸命バレーボールをやってきて、今がそういうタイミングということでしょうから”と。
ただ、治療に行くたびに先生の雰囲気が……(苦笑)。なんとなく苦痛になってきて、病院を変えてしまいました」
西川「難しいですよね。次に行かれた病院で、本格的に治療に取り組まれたのですか?」
益子「ええ。そこで“時間もですが、少し深刻なので早めに治療を進めましょう”と言われました」
西川「深刻といいますと?」
益子「体外受精の準備に入ったときに、子宮の真ん中にキノコみたいな形をしたポリープが見つかったんです」
西川「それは前の病院では見つからなかった?」
益子「血液検査もしませんでしたし、高齢出産の何が難しいのか、どうすればいいのか、そういう知識もまったく……。ただタイミングを合わせて、ということをしていました」
西川「ドクターによって、不妊に対してのいろんな考え方や治療法がありますからね。そんなポリープがあったことを知らなかったということですが、現役時代は婦人科の診察は受けていたんですか?」
益子「全然なかったです。チームドクターはいるんですけど、内科的な先生と、整形、鍼といった専門の先生で。私、生理痛がひどかったんですけど、試合と重なったときにピルを処方してもらうくらいでした」
45歳で区切りをつけよう
西川「スポーツドクターと言われだして、女性のアスリートをサポートしていくという流れになってきたのも、ここ最近ですよね」
益子「いま思うと、遅れていたんだな、と思います。生理がきたほうが調子が上がる人がいるとか、そんなふうに安易に言われてましたし(笑)。ありえないですよね。
ポリープを取って、子宮内膜症も治療してもらったんですが、次の生理のとき、本当に痛みがなくて、びっくりするくらい楽で。もっと早く取ればよかった、と本当に後悔しました。現役のころから生理痛に悩まされていたので」
西川「ポリープがある人は多いですよ。それが慢性子宮内膜炎という、着床を阻害する状況になっていたら取ったほうがよくて、昔は切除する大きさが1cmといわれてました。今はそれより小さくても取ってしまいますね。
妊活を始めたころ、タイミング法をされていたということですが、年齢的に難しいとかそういった知識はありました?」
益子「ありませんでした。病院を変えてから、いろいろ勉強したんです。高齢になれば妊娠の確率がどんどん下がっていくこと、それに合わせて障がいのある子が生まれる確率が上がること。そういうことは42歳で知りました」
西川「そこから不妊治療を始めて、45歳の誕生日でやめられたということですが、それはどのように決めたのですか?」
益子「お金の問題もありますし、ずっと治療を続けるわけにはいかない、と主人と話し合いました。年齢的に厳しいということはずっと伝えていたので、45歳で区切りをつけよう、って」
西川「それはすごく賢明な判断ですし、ご主人がそう提案してくれたということが素晴らしいです」
違うクリニックに行って治療を続けてしまう
益子「先生のクリニックで、45歳を過ぎても治療を続けている方はいらっしゃいますか?」
西川「いらっしゃいます。べストなのは子どもに恵まれて卒業していくことなんですけど、できない人でもソフトランディングというか、少しずつ話をして、治療の間隔をおいて考える時間をつくってあげたり。ご自身がやめることに納得していないと、こちらがどれだけ説得しても違うクリニックに行って、治療を続けますから」
益子「その気持ち、わかります。私、45歳の誕生日に主人の立ち会いのもと婦人体温計とグラフと薬をすべて捨てたんですけど、実は診察券は残していて(笑)。まだ通院しよう、なんて思っていましたから」
西川「そういう意味で、ご夫婦で話し合って決断されたことは素晴らしいと思います。ご主人がそこまでサポートしてくれる人はそんなに多くないかもしれませんよ」
益子「うちは本当に恵まれていたと思います。遠征で忙しい中でも時間をつくって、一緒に病院に来てくれたり、嫌がらず協力してくれましたから」
西川「治療を続ける中で、結果が出ないことはすごいストレスだと思いますが、その気持ちをご主人にぶつけたりすることはありました?」
益子「たぶん、あったと思います(笑)。治療中は妊娠することに“一点集中”みたいになっていたので、主人に心ない言葉を発してしまっていたかも。正気を失っていたというか、あのときのことを怖くて思い出せないです。
実は、不妊治療をしていることを周りに話していなかったんです。なので“赤ちゃんはまだなの?”なんて気軽にかけられる声が本当につらくて……。ただ、女の子の親友には話していたんですけど、その子は未婚で、子づくりには縁遠い子だったんです」
西川「相談相手にはなってくれたけど……」
益子「親身になってくれたのですが、“友達が不妊治療やめたら、ポロっとできた子がいるからやめてみれば?”なんて言われて。やってもないあなたに何がわかるの? って、そこで友情に亀裂が入ったこともありました」
西川「そんな中で支えてくれたのが、ご主人なんですね」
ご主人が10歳以上若いカップルが増えている
益子「いろいろと主人にお願いしましたね。どこかの神社で子宝のご利益があると聞いたら一緒にお参りに行ったり。験担ぎで赤いパンツをはかせたり(笑)。いま思うと、お守りも増えていましたね。さるぼぼ(※)を手に入れるために奥飛騨まで行ったりもしました(笑)」
西川「最近、ご主人が10歳以上若いカップルが増えていて、私が相対的に見ていて、そういったご主人はだいたいみなさん優しいですね」
益子「年が近いとか、ちょっと年上の方などは協力してくれない男性が多いんですか?」
西川「協力はしてくれますが、体外受精ではなく自然じゃないとイヤだとか、そういった人はまあまあいますね」
益子「夫婦でクリニックに来て、旦那さんが精子を採取するのにエッチな本とかビデオを見させられて、ということが屈辱的だなんて男性が言ってるのを聞いたことがあるんですけど、何を言ってるんだ、と。どうしてやろうかと思うくらいに腹が立ったことがあって(笑)」
西川「女性が受ける精神的ダメージや、身体的な苦痛とは比べものにならないですからね。そんなことを拒否するな、と(笑)。いま不妊治療を受けられていて、いろいろ悩まれている方がたくさんいらっしゃると思います。そんな方たちにご自身の経験からアドバイスはありますか?」
益子「目標設定というか、私のように何歳までと決めて、その期間、後悔はないというくらいやり切る。私、現役時代以上に不妊治療の3年間に集中したという自信があります(笑)。自分にこんな集中力があったんだな、というくらい。
私は挫折しましたけど、人の意見で中途半端にやめたわけではなく、自分の意思で決めたことですから、ある意味スッキリしました」
西川「益子さんは“挫折”ではないですよ。やりきったんですから。やり尽くして、ご夫婦で新たな道に進まれたということでいいじゃないですか」
益子「そうですね。それじゃあ、“卒業”ですね(笑)」
※飛騨弁で猿の赤ん坊という意味の人形。子宝・安産・夫婦円満のお守りとして人気
にしかわ・よしのぶ 西川婦人科内科クリニック院長。医学博士。医療法人西恵会理事、日本産科婦人科学会専門医、日本生殖医学会会員、日本受精着床学会会員、大阪産婦人科医会代議員ほか
ますこ・なおみ スポーツキャスター、元バレーボール全日本代表選手。'84年に高校3年生で全日本代表のメンバーに入り、'85年にイトーヨーカドー女子バレーボール部に入団。'92年に引退後はキャスター、タレントとして活躍