箱根駅伝で優勝した服部勇馬 、いざ東京五輪へ!「家業を継いだ弟には感謝しきれない」
「自信は50%くらい、半々だと思ってました。ただ、やりたかった練習をやれたうえでスタートラインに立てたので、“よし、とりにいくぞ”と、みなぎるものはありました」
2019年9月に開催されたMGCではラストのデッドヒートを制し、2位。'20年東京五輪のマラソン代表切符を手に入れた、トヨタ自動車陸上長距離部(東洋大OB)の服部勇馬選手。
「内定にはホッとしていますが、2位は僕が目指した順位ではなかった。日に日に悔しさが芽生えてきています」
しかし、マラソンの開催地は東京から札幌へ。
「僕自身、最初に札幌の案が出たときはすごく動揺してしまって。悲観的な報道が多かった中で、走れることは当たり前じゃないと感じるようになりました」
MGCを主導した、瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは、'80年モスクワ五輪の代表に決まっていたが、ボイコットによって走れなかった悲運のランナーでもある。
「瀬古さんが経験されたボイコットに比べれば、僕らが走れることは、本当にありがたいことだし、幸せなことなんです。五輪は僕の夢舞台。走らせていただけることに感謝しなくてはいけないんです」
なんとも大人すぎる考え方。ビジュアルも内面もイケメンだ。
幼少期の夢は保育士だった
小学校のマラソン大会は負け知らず。でも、根っからのサッカー少年だった。
「中学にサッカー部がなかったので、両親のすすめで陸上部に入りました。長距離には自信もあったので」
幼いころの夢はサッカー選手かと思いきや、
「保育士でした。どちらかというと、年上よりも、年下と接するほうが得意なので。そして、子どもが今でもすごく好きなので」
弟が2人、妹が1人いる。きっと幼少期から面倒見のいいお兄ちゃんだったのだろう。その後は高校駅伝の強豪校・仙台育英高校へ。3年のインターハイでは5位(5000m)と実力をつけ、各大学から誘いの声が多数かかった。
「進学を決める前から、酒井俊幸監督は厳しいアドバイスやダメ出しをくれて。改善点を的確に言ってくれる人は本当に大事にしたい。この人のもとで走ろうと東洋大学に決めました」
箱根駅伝があったからマラソンに挑戦できた
箱根駅伝への憧れは、中学生のときからあったという。1年生ながら復路のエース区間・9区を任され、区間3位。
「本当に応援の方の数が多くて。今までは見る側だったので、夢舞台だなと思いながら走りましたね」
2年時('14年)は2区に抜擢され、区間3位。
「何より総合優勝できたことがいちばんうれしかった。4年間の中で、このときだけなので」
3年時('15年)は初の区間賞を2区で獲得。
「設楽悠太さん(東洋大卒/Honda)&啓太さん(東洋大卒/日立物流)が卒業して弱くなったと言われたらいけないと、奮起した年でした」
4年時('16年)は、2区で2年連続区間賞。かつ、歴代5位のタイムをたたき出す。また弟・弾馬さん(東洋大卒/トーエネック)への襷リレーも話題になった。
「前年に区間賞をとっているので、プレッシャーとの戦いでした。今、改めて振り返ると、自分の力以上のものを発揮できるのが箱根駅伝だったと思います」
その一方、大学3年でマラソンへの挑戦を始める。その前年に東京での五輪開催が決まっていたが、当時は駅伝とマラソンを両立する大学生はほぼ皆無。
「箱根駅伝を走るという幼いころからの夢が1年生で叶った。“じゃあ、次は何を目指そう?”と思ったときに、もっと長い距離で、世界を舞台に戦いたいと思ったんです。マラソンに自然と挑戦できたのは、箱根駅伝があったからだと思います」
大学4年で初マラソン。しかし12位だった。
「思い描いていたマラソンとはまったく異なるレースでした。想像以上に厳しい競技だと思い知りました」
トヨタ自動車に入社し、2回目のマラソンでも結果が出ない。順調そのものだった競技人生は、初めてトンネルに入る。
「ケガもして、どうやってマラソンに取り組んだらいいのかまったくわからなくなってしまった。(MGC出場権を獲得した)福岡国際マラソンまでの約2年はつらかったですね。でも、自分の課題に向き合い、長い時間ずっとやってきたことが間違いじゃなかったことを、優勝という形で証明できた。本当にうれしかったし、MGCへの自信につながりました」
結果を出して恩返しを
陸上人生で、もうひとつ激しく悩んだことがある。
「長男ですから、家業を継ぐことはずっと選択肢にあって。大学2年までは、すごく悩みました」
実家は『服部総業』という建設会社で、祖父・龍一さんが創業。父・好位さんが社長を務め従業員を30人以上、抱えている。
「最終的に僕からは親に“走りたい”とは言えなかった。大学2年時の箱根駅伝で優勝し、帰省したときに、父親のほうから“卒業後も走ればいいんじゃないか”と言ってもらって。本当にありがたかったです」
次男の弾馬さんも実業団入り。4歳下の三男の風馬さんも豊川高校で全国高校駅伝を走った有名選手。将来を期待されていたが、高校卒業後は家に入った。現在はとび職として汗を流しているという。
「僕には一切言わなかった。家に入ると聞いたときは、複雑というか、逆に背負わせてしまったな、と。風馬には感謝しきれません」
結果を出すことで恩返しをしなくちゃいけない──。その思いがますます強まった。
爽やかすぎるオリンピアンは、どんな質問にも気さくに答えてくれる。趣味はサッカー観戦で、好きな食べ物はラーメン。
「東京にマッサージを受けにいくときには、グルメサイトでかなり調べます。だいたい3軒くらいは寄って帰ってきますね(笑)。あんまり食事制限とかはないので、普段から好きなものを食べています」
好きな芸能人は、吉瀬美智子。では、好きな女性のタイプは?
「接しやすいのは年下なんですが、惹かれるのはどちらかというと年上の方。落ち着いている方はいいなぁと思います。あと、僕は女性の爪をけっこう見てしまいますね(笑)」
きれいにネイルをしている子がいいってこと?
「あ、そういうことではなくて。言葉ではうまく言えないんですが、好きな形みたいなものがあって。爪フェチ? それはあると思いますね(笑)」
先月、26歳に。同級生が結婚し始めている中、陸上人生を伴侶に支えてもらいたいという思いは?
「結婚は全然考えてなくて。子どもはすごく欲しいんですけど、今は完全に五輪が目標。走ることがすべて、です。それに東京五輪が終わっても、パリ五輪をもちろん目指すので。パリ五輪が終わると、ちょうど30歳。そのあたりで決められたらいいなとは思いますが、まずは東京!
自分自身がやってきたことを最大限、発揮してメダル獲得に向けて精いっぱい頑張りたい。本当に苦しいとき、沿道の声援に背中を押してもらっています。札幌になりましたけど、よりたくさんの人に応援してもらって走り、結果として恩返しをしたいと思っています!」
【PROFILE】
トヨタ自動車 陸上長距離部(東洋大OB)服部勇馬選手 ◎はっとりゆうま。新潟県十日町市出身。仙台育英高校から東洋大学に進学。箱根駅伝では、1年時9区3位(総合2位)、2年時は2区3位(総合優勝)、3年時は2区区間賞(総合3位)、4年時は2年連続となる2区区間賞(総合2位)