【貧困の連鎖を止める】過酷な人生を歩んだ女性が、渇望した「普通」ということ
『その子の「普通」は普通じゃない 貧困の連鎖を断ち切るために』(ポプラ社)の著者である富井真紀さんも、「普通じゃない“普通”」を生きてきたひとり。本稿は同著の編集を担当した吉川健二郎氏によるものである。
「金のかかることはやめろ」
富井さんは1983年に宮崎県で生まれました。母親は、富井さんを産んだ半年後に失踪。父親は職を転々とし、給料のすべてをパチンコに注ぎ込み、それだけでは足りず借金を重ねてまたパチンコに耽(ふけ)るという典型的なギャンブル依存症でした。父方の祖母が飲食店を経営し、その売り上げで一家はどうにか暮らしていました。
幼いころから、家の周りに借金取りがうろつく生活で、身の安全を脅かされる日々。当然のことながら勉強にも集中することができず、学校の成績もよくありませんでした。
そんな富井さんが唯一、生きがいを見いだしたのが部活動でした。中学時代は陸上部に所属し、一生懸命競技に取り組んでいました。家庭の事情からお金がかかる高校進学をあきらめていましたが、陸上部の顧問から「大会に出て好成績を収めれば、高校の推薦枠が取れるかもしれない」と言われます。
彼女は「大会に出るためにスパイクを買ってほしい」と父親に直談判しますが、「金のかかることはやめろ」と一蹴されます。絶望した富井さんはこれを機に陸上部をやめ、街をふらつくようになります。その後、中学を卒業し、アルバイトを始めますが、そのお金に父親が手をつけていたことがわかり、17歳のときについに家を飛び出しました。
その後、水商売の世界に入り、そこで知り合った男性と最初の結婚をしますが、男性も父親と同じパチンコ依存症でした。ほどなくして離婚し、その後も紆余(うよ)曲折があったものの現在のご主人と再婚します。ご主人も富井さんと同様に過酷な人生を送っており、家族の作った借金をひたすら返すために生きてきました。いわゆる「貧困の連鎖」にがんじがらめにされた2人には、次のような認識があったと本書の中で明かしています。
《友だちはみんな貧しかった。だから盗みもするし、ヤバい仕事もする。親たちも似たり寄ったりで、水商売をしていたり、風俗で働いていたり、裏社会にどっぷり漬かっている。借金なんて日常茶飯事で、使えるものは体でも子どもでも親でも利用する》
「普通」に手が届くような気がした
富井さんがそんな考えを改めるきっかけになったのは、子どもの存在でした。長女を出産してからは、子どもや家族を守りたいと思うようになりました。
《負の連鎖を断ち切るのは自分だ。せめて自分の代からは、世間一般の人たちが経験する当たり前の生活を送れるようにしたい》
富井さん夫妻は、ビルメンテナンス業を起ち上げ、寝る間を惜しんで一生懸命に働きます。横になったら起き上がれないくらい疲れ果てる毎日の中で、彼女を支えていたのは「普通」という言葉でした。
《その頃の私は、とにかく「普通」という言葉に敏感になっていました。それまでの私には、普通の家庭生活なんてなかった。祖母はいたけれど、それは普通だっただろうか? 普通の家庭って本来は、親が子どもに与えるものなんじゃないの?
私は自分の子どもに、私が経験したような生活を強いることはしたくありませんでした。結局、私は両親のようになりたくなかったんだと思います。夜の仕事を辞め、表社会の仕事を手伝い、家庭生活も充実させることによって、私が考える「普通」に手が届くような気がしたんです。》
そのようにして、少しずつ少しずつ、「普通」を獲得していった富井さん夫妻。現在、一般社団法人日本プレミアム能力開発協会を立ち上げ、宮崎市内の飲食店に協力を仰ぎ、ひとり親家庭や経済的困窮世帯を対象に無料で食事ができるチケット配布するという「プレミアム親子食堂」をはじめ、いくつもの支援事業に携わっています。自身の子どもだけではなく、同じような環境で暮らす人々に対しても、少しでもそこから抜け出すための物心両面からの支援を行っています。
「情報の貧困」
本書の編集を担当して強く感じたのは、「困難な状況から抜け出すことができたのは、富井さんに特別な力があったからだけではない」ということです。もちろん、過酷な環境に屈せずに努力を重ねてきたことは事実ですが、それだけで脱出できるほど現実は簡単なものではないと思います。
彼女自身もそのことを強く感じていて、特に貧困にあえぐ人々が陥りやすい「情報の貧困」について、積極的な支援活動を続けています。
《私は、こういう支援活動は、メディアに取り上げてもらうことはもちろん大きな推進力になりますが、当事者とその周辺の方々に、情報拡散していただくことがとても大事だと考えています。
そのため、対象者を明確にして記憶に残りやすくすると同時に、口コミで広げていただくことをお願いしています。すると、「支援の対象に該当しないかもしれないけれど、気になる親子がいる」などの情報が、一般の方からも寄せられるようになりました。
そんなふうに窓口になることも大切で、私のところの支援で足りなければ、行政はもとより他の支援団体につなげることができます。そうやって、1組でも多くの親子を「情報の貧困」から救いたいとも思っています。》
自分自身が子ども時代に苦労してきた経験があるからこそ、「普通じゃない」ことのつらさがわかり、発信できることがあるのです。
《私も当事者だった頃、情報を持っている人が近くにいたらと思うと、残念でたまりません。支援を必要としている人は情報を得るために使える時間も機会も少なく、こんなにメディアが発達しているのに肝心なところに届いていないという歯がゆさを感じています。私が声を大にしても届く範囲は限られるので、宮崎から離れたところにお住まいであっても、口コミという支援でご協力いただけると嬉しいです。》
社会活動家で現在東京大学特任教授の湯浅誠さんは、本書に対して「貧困の連鎖は断ち切れると実証している人生が、ここにある。希望をありがとう」という推薦コメントを寄せてくださいました。
絶望を希望に変えるチャンスはどんな人にも備わっている。彼女の生き方は、そのことを強く感じさせてくれるのです。
●富井 真紀(とみい・まき)●一般社団法人日本プレミアム能力開発協会代表理事。『その子の「普通」は普通じゃない―貧困の連鎖を断ち切るために』(ポプラ社)が初めての著書となる。