日本屈指のベストセラー作家であるのはもちろん、世界にもファン層が拡大している東野圭吾氏。そんな東野氏がスノボ大会を創設した理由とは?(撮影:梅谷 秀司)

東野圭吾氏といえば、いまや日本を代表する小説家だ。世界的な権威があるミステリー文学賞・エドガー賞に2012年にノミネートされて以来、新作は絶えず英訳されている。これは日本人作家としてはまれなことだ。特に近年は東アジアで高い人気を集め、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は世界販売部数1200万部を記録している。世界規模でファンを擁する点では、いまや村上春樹氏と並ぶ存在だ。
その東野氏が大のスノーボードファンであり、それが高じて自腹で競技大会を開いていることはほとんど知られていない。今週末(4月5日〜7日)にロッテアライリゾート(新潟県妙高市)で開かれる「スノーボードマスターズ」がそれだ。昨年に続き2回目の大会は、作家が発起人という異色な背景だけでなく、国内屈指の規模・レベルの競技大会としてライダーたちの注目を集めている。普段はメディアの取材を一切受けない東野氏が、私財を投じてスノーボード大会をつくった思いを語った。

世界で評価される日本人選手は増えたが

インタビュー本文の前に、この大会がいかに注目に値するかを説明しよう。

スノーボードマスターズの初年度の出場者は約120人。初開催にもかかわらず、片山來夢氏や成田童夢氏ら五輪出場選手から、次世代のスターと期待される若手までが滑りを競うハイレベルな大会になった。その理由は総額400万円超という国内最高の賞金額が1つ。もう1つは、スノーボードをめぐる国内の矛盾した状況だ。

日本人のスノーボード・ライダーは世界で今、かつてない高みに到達している。平野歩夢氏は冬季五輪2大会連続で銀メダル(男子ハーフパイプ)を獲得。世界最高峰の大会とされるバートンUSオープンでも今季、日本人男子がハーフパイプ決勝で2位・3位を占めた。また過去の五輪で議論を呼んだ國母和宏氏は、滑走を映像で魅せるプロライダーとして世界屈指の評価を得ている。国際的に評価される日本人選手は着実に増えているのだ。

ところがこういった選手が出場する大会は、国内からほぼ消滅した。過去には「トヨタ・ビッグ・エア」や「エクストレイル・ジャム」があったが、スポンサー企業の撤退で廃止。現在はスポーツ用品販売のムラサキスポーツが協賛する「エアミックス」が残るぐらいだ。こういった中、東野氏が私財でもって本格的な大会を創設したのだ。

しかも「スノーボードが本当にうまいのは、結局誰なのか決めよう」という東野氏の素朴な発想を基に、非常にユニークな種目設計がされている。


スノーボードマスターズの昨年の様子。ジャンプ台を含むコースは、スタッフが手弁当で作った(写真:Yoshifumi Shimizu)

スノーボードといえば空中を高く舞うハーフパイプが連想されがち。だがマスターズでは滑走タイムを競う「バンクドスラローム」と、滑りの美しさと空中技を比べる「フリーライディング+ジャンプ」の2種目で総合力を採点する。

ハーフパイプは若者が有利だが、この種目設計ならベテランも力量を発揮でき、高額賞金獲得の目がある。スノーボード・ジャーナリストの野上大介氏は「トップライダーが目指す大会が日本から消えてしまった中、東野さんの大会が若い五輪選手とレジェンド的なベテランが真っ向から競う場として定着してほしい」と期待を寄せている。スノーボード界が大注目する大会を創設した真意を東野氏が赤裸々に語った。

スノーボードに恩返しをしたかった

――スノーボードが趣味だとは過去の著作でも触れていますが、本格的な大会までつくったとなると、もはや趣味の域を超えています。なぜ大会を創設したのですか。

スノーボードをしたおかげで、僕にはいろいろな出会いがありました。手に入れたものもたくさんあります。今の自分が存在する理由の8割方は、スノーボードがもたらしてくれたものだとすら思っています。

スノーボードを一生懸命やっている人たちに目を向けると、かつては彼らが活躍できるような華々しい大会があったのに、今ではすっかり少なくなっている。それなら、そこに僕が恩返ししようと思ったわけです。

――自分の8割がスノーボードのおかげ、とまで言うとは驚きです。どういう恩なのですか?

「東野さんはあんなにいろんな世界について、よく書けるものですね」ってしばしば言われます。なぜ書けるのか。それはさまざまな出会いを通して新しい世界に触れられたからにほかなりません。そしてそこに、スノーボードが欠かせないのです。今まで自分が知っていたことと、スノーボードをきっかけに知ったこと、つながった人間関係というのが化学反応を起こしているのです。

幸いなことに、僕はこれまでに90冊以上の小説を書くことができました。ここ十数年に限っても、コンスタントに新作を書けています。それはほかならぬスノーボードの刺激があったからだと感謝しています。

スノーボードを題材として扱った小説だけでも4冊あり、日本国内に限っても合計300万部ぐらい売れました。映画やドラマにもなりました。これだけでももう十分にありがたくて、恩返しするのに十分に値します。

――大会をやりたいと、いつごろから考え始めたのでしょうか。

3年ぐらい前から仲間内で、「こういうことできないかな?実際にやるとしたら、いくらかかるの?」って話はしていたんですよ。それを五味さん(実業之日本社文芸出版部の五味克彦氏、元スノーボード指導者)などに相談しているうちに、一度開いてみようという話になって。まずはやってみて、費用の規模がとても続けられないようなものになったらやめよう、となったのです。

みんなが面白いようにつくって

――現時点では開催費用のうち、東野さんはどれぐらいを拠出しているのですか。


東野氏はスノーボードやゲレンデを題材に作品を書くこともある(写真:梅谷秀司)。70分に及ぶインタビューの全編『東野圭吾の秘密(仮)』は、5月に配信するメーリングブックでお読みいただけます。こちらのフォームからご登録いただけましたら、配信開始時にメールでご案内いたします。

ほぼすべてです。ありがたいのは、開催スタッフをみんなが手弁当で務めてくれていることです。人員まで費用を出して集めるとなったら、とんでもない費用規模になっていました。

――どういった人がスタッフをしているのでしょう。

それはもう、スノーボードが好きな人たちです。そこに僕はすごいなと感心しているんです。みんな冬場は各地のゲレンデで、バラバラに活動しています。インストラクターだったり、スキー場の運営に関わるいろんな仕事だったり。みんなそれぞれの本業があるので、本音を言うと2月とか3月に開きたいんですが、できないんですよ。

――まったく歴史もない新しい大会に、多くの人が手弁当で集まってくれるのはなぜでしょう。

面白いからだと僕は信じています。スノーボードが好きな人に、「みんなが面白いようにつくって」と好きなようにしてもらっている大会ですから。


昨年の表彰式の模様。国内最高の賞金額は今年も変わらない(写真:スノーボードマスターズ実行委員会)

昨年、初めて開いた時には、選手の反応がすごくよかった。すごくベタなのですが、「こんな大会をつくってくれて、ありがとうございます!」って言ってもらえたんです。みんな、こういう機会に飢えていたのかもしれません。とにかくすごく喜んでくれたので、決して的外れなことはしていないかなと思っています。

スノーボードとは全然関係がない人にとってはどうでもいい試みかもしれません。でも少なくとも、スノーボードに一生懸命になっている人たちにとっては励みのひとつになれるんじゃないかと思っています。

100人に1人「しか」作品を読んでいない

僕の本職は小説家なので、スノーボードを普及させようとか、幅広く紹介しようと思ったら、本当は小説に書くのがいちばんなんです。ただ、スノーボードやゲレンデを扱った小説はこれまでにも書いたけれど、滑らない人からの反応が鈍いんです。

――そんなに違うものですか。

それは歴然としていますね。知り合いや友人に新作を送るのですが、普段は感想をくれる連中も反応が鈍い。聞くと、「スノーボードのことはわからないから」と言う。いや、わかるように書いてあるから読んでよ、と言っているんですけれども。

――本を開きもしていない感じですね。

開きもしないか、あるいは後回しになっちゃうのでしょうね。では逆に、スノーボードやスノースポーツをやっているからといって、ゲレンデを舞台にした僕の本を読むかというと、そうとは限らない。いや、読まない人のほうが多いと僕は考えています。

スノーボードを題材とする小説を出したときに、それについてブログで書いてくれた読者がいました。その人はかなりスノーボード好きのようで、僕の他の作品についてはまったく知らない様子でした。他の作品は読まないけれど、スノーボードについての作品だったから読んだ、ということが書いてあった。

スノーボード人口がだいたい100万人として、その中で僕の本を読んでいるのは恐らく1万人ぐらいでしょう。なぜなら僕の100万部売れた作品だって、日本の人口全体ではせいぜい100人に1人が読んだに過ぎないから。

――100人に1人が読んでいるって、すでにすごい数字ではありますが……

だから、スノーボード人口に99万人も将来読者になってくれる余地がある。僕のファンだけど、スノースポーツものは敬遠する人、スノーボードはするけれど僕の小説は読まない人。この双方の数パーセントからでも注目を集められたら、僕の商売にもつながる。

ただ、この大会がすごく大きくなって、何か派生してどうのこうのっていうのはとくに期待していないんです。みんなで手探りしながらやって、「今年もうまくいったなあ」って言えればいい。それが僕にとっては目標ですね。

このインタビューは、東洋経済メーリングブック第2弾『東野圭吾の秘密(仮)』に連動したものです。70分に及ぶインタビューの全編は、5月に配信するメーリングブックでお読みいただけます。