2018年6月20日に発表された侍ジャパンU-18代表一次候補30名のリストに、高校2年生の投手が6名も入っていた。

 最終的に代表に入ったのは奥川恭伸(やすのぶ/星稜)だけだったが、一次候補には他にも佐々木朗希(ろうき/大船渡)、西純矢(創志学園)、井上広輝(日大三)、及川雅貴(横浜)とすでにスカウト陣が熱視線を送る好素材がリストアップされていた。そしてもうひとり、菰野の2年生右腕・岡林勇希の名前もあった。


甲子園出場経験はないが、最速150キロの速球で注目を集める菰野・岡林勇希

 三重県立菰野(こもの)高校は西勇輝(阪神)の母校で、公立校ながら毎年のように好投手を育成することで知られている。

「なんで勇希が選ばれてるんやろ。他にもいいピッチャーいるでしょう?」

 そう冗談めかして振り返るのは、岡林の1学年先輩の田中法彦(のりひこ)だ。田中の言う「いいピッチャー」には、自身のことも含まれているのかもしれない。田中は最速152キロを計測した剛腕で、2018年秋のドラフト会議で広島から5位指名を受けてプロ入りしている。そんな田中が一次候補から漏れ、後輩の岡林がリストに入っていたのだった。

 甲子園出場経験がないため、岡林の投球を見たことがある野球ファンは限られているだろう。だが、岡林にはひと目見ただけで忘れられないインパクトがある。

 投手が軸足1本で立ってから体重移動に入る際、グラブ側の腕を捕手方向に向けるのが一般的だ。ところが岡林は、体重移動に入る際にグラブ側の左手を天に掲げるように真上に上げる。グラブをここまで高々と上げる投手はなかなかいない。

 ステップした左足を着いた後は、鋭く腕を振って最速150キロの快速球を投げ込む。対戦した打者は、みな一様に「スピードガン以上に速く感じる」と口を揃える。

 岡林は、この特異なモーションを高校入学後から取り入れたという。

「最初は普通に投げていたんですけど、体全体を使って投げることを意識していたら、だんだん上がっていきました」

 菰野の監督を務めるのは、菰野一筋32年の大ベテラン・戸田直光監督である。数々の好投手をプロに輩出してきた戸田監督は、岡林について「このピッチャーがドラフト上位で進めなかったら、自分はどんなピッチャーを育てればいいのかわからなくなるよ」と笑う。それほど岡林の素質を高く買っているのだ。

 好投手を続々と育成する戸田監督には、「軸足でしっかり立つ」など基礎的なメソッドはあるものの、素材のよさを生かす方針が根底にある。だからプロ入りした投手はフォームも体型もバラバラ。それぞれの持ち味を伸ばし、プロへと進んでいる。

 たとえば中日に在籍した関啓扶(けいすけ)は、高校時代に角度の出るフォームへと修正していくうちに、どんどん球速が遅くなる時期があった。戸田監督は悩む関を呼び、内野の塁間のボール回しに加えた。

「何も考えずにガムシャラに投げてみろ」

 そう指示して投げさせると、関は勢いよく助走をつけてから、投球練習時より低いスリークオーターの位置でボールをリリースした。それを見た戸田監督は「お前が一番腕を振れる位置はそこだ」と伝える。関はやがて、多少クセのあるフォームながら最速148キロを計測するまでになる。

 加えて菰野の投手育成の大きな特徴は、投手に過度な負担をかけない管理体制にある。土日の練習試合で連投することはなく、投球練習でも中1日は空けるようにし、ブルペンで投げた球数も記録する。

 この背景には、戸田監督の悔恨の歴史がある。過去にひとりのエースに依存した年があり、そのエースが夏に故障して不完全燃焼に終わったのだ。

「エースがちゃんと投げられないまま負けたのが悔しくて。だから肩・ヒジを痛めないように夏に持っていかないといけないと、今の形になりました。夏の公式戦では多少の連投はさせても、基本的に無理をさせない方針です」

 その結果、菰野には毎年のように最速140キロを超える投手が複数育ち、その評判を聞きつけて好投手が入学する好循環が生まれている。

 とくに岡林が1年生だった2017年は、恐ろしい陣容だった。3年生に技巧派ながら最速138キロを計測するエース左腕・村上健真(現・中京大)と、岡林の兄で最速151キロの剛腕・岡林飛翔(現・広島育成)。2年には田中に加え、やはり最速140キロの右腕・河内頼(らい)もいた。

 夏の三重大会初戦では村上、岡林兄弟、田中、河内の5人が1イニングずつ投げ、無安打15奪三振リレーを完成させたこともあった。

 岡林はそんな恵まれた環境で、酷使されることなく育成されている。とくに幸運だったのは、1学年上に田中という切磋琢磨できる相手がいたことだろう。田中は身長173センチ、体重81キロとずんぐりむっくりの体型で、太い眉毛が印象的。不思議と親しみの湧く風貌をしている。田中は岡林について「後輩というより、いいライバルです」と語る。

「球速もだいたい同じですし、お互いに注目されてきて負けたくない思いもあります。でも、練習ではお互いにどうしたらよくなるか言い合って、僕から相談することもありました。まあ、オフのときはたまに僕のことを『ノリ!』とイジってきて、ナメくさってることもあるんですけどね」

 そんな先輩に対して、岡林も「こんなやりやすい関係をつくってくれたのはノリさんのおかげです」と感謝を口にする。だが、ライバルとして負けたくない思いは岡林も同じだ。田中に自分が勝てる部分はどこか聞くと、岡林は「キレです」と即答した。

「ボールの質が僕の一番の持ち味だと思っているので。キレにかけては僕の方が上だと思います」

 田中と岡林の両雄を擁しながら、2018年夏の三重大会は3回戦で伏兵の白山に3対4で敗退。勢いに乗った白山はそのまま甲子園初出場へと駆け上がっただけに、菰野にとっては悔やまれる一戦だった。

 そして新チームになった夏休み、岡林は運命の出会いを果たす。岩手からはるばる遠征してきた大船渡との練習試合で、佐々木と対戦したのだ。

「僕は2回までしか投げなかったんですけど、佐々木くんは9回まで投げて完封されました。9回になってもずっと150キロ台ばかりだし、スピードを意識していると変化球もものすごく速くて落ちる。ピンチで簡単に三振を取れるので、これはすごいと思いました」

 その試合で最速148キロだった岡林に対して、佐々木は常時150キロ前後。「レベルが違う」と兜を脱いだかと思いきや、岡林は「それでも負けたくないです」と口にする。

 奥川を擁する星稜とも9月に練習試合をしたが、あいにく奥川はU-18代表帯同のため不在。だが、11月の明治神宮大会での奥川の快投はつぶさにチェックしていた。

「真っすぐのキレやコントロールのよさはもちろんすごかったんですけど、一番は自分の体の使い方をわかっていることですよね。その上でリリースだけ力を入れれば、いいボールがいくことを知っているのだと思います。参考になりました」

 だが、佐々木や奥川と比べても、岡林は自分が劣っているとは思っていない。自分自身に眠る能力をフルに使えば、自分も同じステージに立てると信じている。

「僕は、ピッチャーは自分の体を理解することが一番大事だと思っています。誰かに『あれをやった方がいい』と言われても、結局動かすのは自分なので。自分に合わなければ取り入れません。僕のようなオーバースローは、骨盤を縦に動かさないといいボールがいかずに左右に散らばってしまいます。骨盤をしっかり使えれば、ボールに角度も出てきますから」

 2018年の晩秋、岡林はある取り組みにチャレンジしていた。練習試合で「ストレートしか投げない」という制限を自ら課したのだ。11月23日に三重県内の底上げを図るために開催された交流練習試合・宇治山田商戦に先発した岡林は、強打線を相手にストレート一本で押した。

 寒風の吹きすさぶなか、岡林は3イニングを投げて打者9人から5三振を奪うパーフェクト投球。最高球速は146キロだった。

「いかにストレートで空振りを取れるかが課題なんです。それと、夏の甲子園で見た吉田輝星さん(金足農→日本ハム1位)のように、同じストレートでも強弱をつけられるようになるといいなと思ったんです。やっぱり吉田さんは、ピンチでのギアの上げ方が違うので」

 全国的な知名度はなくても、同世代のトップレベルを肌で感じながら菰野という小さな町で密かに腕を磨く岡林勇希。2019年の秋には、その名前が佐々木や奥川といったビッグネームと並列に語られているかもしれない。