「「発酵」の力がニューヨーカーの健康を変える:連載「佐久間裕美子 ・はじまりの小さな場所」#8」の写真・リンク付きの記事はこちら

巨大なアメリカの食市場のなかでも、発酵食部門が急激に成長しているという。2012年に『Art of Fermentation』(サンダー・エリックス・キャッツ著、邦題は『発酵の技法─世界の発酵食品と発酵文化の探求』)という本がベストセラーになったのをきっかけに、アメリカのグルメたち、そして健康食マニアたちの間で「発酵食は体によい」という認識が広がって以来、じわじわと、ヨーグルト、酢、ピクルスといった馴染みの商品の売上が上昇しているという。そんななか、納豆をアメリカで広めようとしている人がいる、という話を耳にした。「Natto」をチーズのように広く食される存在にしたいと考えているのだと。生物の世界から納豆メーカーに転身したアン・ヨネタニに話を聞きに行った。

おいしい納豆がある、と聞いたのは、2年ほど前だっただろうか。チャイナタウンの端っこに、ヘルシーフードのカフェ「DIMES」をオープンしてブレイクしたオーナーの女性二人組が、事業を拡張して出した食料品専門店「DIMES MARKET」で取り扱われていると聞いて、わざわざ買いにでかけた。ガラスのジャーにぎっしり入った納豆は、買い求めてみると、味のしっかりしたタレや醤油のいらない納豆だった。

ブランドは「NYrture」、栄養を与えるという意味の「Nuture」と同じように発音する。そしてその納豆をつくっているのはアン・ヨネタニ。フィラデルフィア出身の日系二世だ。ブルックリンのブッシュウィックと呼ばれる地域に構える商業キッチンにヨネタニを訪ねた。

NYrtureファウンダーのアン・ヨネタニ。大学で生物学から生化学、微生物学と学んできた彼女はニューヨークのレストランチェーン「モモフク」でサイエンティフィックコンサルタントを務めた経験ももっている。

日本の食材が簡単に入手できない環境で育ったというヨネタニは、祖父母を訪ねるうちに納豆と出会った。ティーン時代に「倫理的な理由で」、乳製品を含む動物性の食物を摂らないヴィーガニズムを実践するようになり、納豆の魅力に目覚めた。自分で納豆をつくろう、と思いついたのは、生物を学び、がん細胞を研究する研究員になってコロンビア大学で働いているときだった。

「科学者として、人間として、食の問題について情熱をもっていたし、バクテリアにも興味があったので発酵食に興味をもった。納豆が好きだったけれど、ニューヨークで買えるのは、発泡スチロールのパッケージに入った冷凍品。なんだか悲しかった」

2014年の夏に、子どもたちを連れて、日本を訪れた際に、手に入る種類の納豆を片っ端から試食し、味の違いを研究した。最後には5世代にわたり納豆をつくり続けるつくり手を見つけ、昔ながらの納豆のつくり方を教えてもらった。教えてもらった方法をそのまま実践するためには、日本では手に入る機材や原料が入手できないなどのハードルがあったが、生物のバックグラウンドを生かし、独自の発酵方法を考案した。

「いい納豆をつくるのに、必要な条件は、いい豆とバクテリアが幸せな状態をつくってあげること。それだけなんです」

つくった納豆を友人たちに分けるうちに、評判が口コミで広がり、ブランドを立ち上げ、軌道に乗るのを待って、仕事を辞めた。いまは少量生産の食品にこだわるグルメ系・ヘルス系食料品店を中心に卸売をする傍ら、レクチャーやイヴェントを通じて、納豆の魅力や健康面での効能を発信している。

SLIDE SHOW FULL SCREEN FULL SCREEN FULL SCREEN FULL SCREEN FULL SCREEN 1/4これまでニューヨークで納豆は冷凍された状態で売られているのが一般的だったため、このように新鮮な製品は珍しい。 2/4独自の発酵方法を使ったものながら、日本の納豆と比べても遜色のない粘り気を見せている。 3/4日本では発泡スチロール製の容器に入れられている印象の強い納豆だが、NYrtureは瓶に詰めた状態で販売している。 4/4現在売られているのは「New York Natto」「New York Natto Black」「New York Natto Turmeric」「New York Natto Organic」という4種類。 Prev Next

もちろん、ブランドとして人気が出るのにあわせて、生産量を拡大する道は平坦ではない。いい大豆を確保し、納豆菌が育ちやすい状態を維持する、という基本を守りながら、少しずつ生産量を増やしてきた。

「わたしの納豆を味わってくれる日本人からは、昔はこういう味だった、と言われます。かつては少量生産で丁寧につくられていた。けれどいつしか大企業が参入して機械化によって大量生産が実現するうちに、味も薄くなってしまった」

ヨネタニは、納豆のことをスーパーフードだと信じている。

「納豆は、いろんな方法で機能します。西洋のほかの発酵食のなかには存在しないバクテリアです。バクテリアの重要性は知られていますが、最近、いいバクテリアをもつことと同じくらい、多様なバクテリアをもつことの重要性が理解されるようになってきた」

納豆がもつK2というビタミンの重要性も注目されている。

「骨の健康、心臓血管に重要なビタミンです。K2には、食べものから摂取したカルシウムを骨に届ける役割がある。K2が足りないと、カルシウムは血流で石灰化して沈着するので、心臓へ負担をかけます。カルシウムの錠剤をどれだけとっても、K2が足りないと逆効果であるということ」

NYrtureのオフィスの様子。同社は単に納豆をつくるだけでなく、マイクロバイオームやプロバイオティクスについて信頼できる情報を発信していくことを目指しているのだという。

納豆がもつ酵素タンパク質ナットウキナーゼに血栓溶解作用があると信じて、錠剤を摂る人もいる。この説には、疑問を呈する声も多いが、ヨネタニは、必要な栄養をサプリで摂り、問題が発生すれば処方箋薬品をすぐに摂る、当たり前になってしまった現代人の健康へのアプローチへ警鐘を鳴らしている。

「本物を食べずに、高い錠剤で摂取するなんて! おいしい大豆を原料に、自然な方法でつくられた納豆を食べたほうがよっぽどいいはずなんです」
 
ネバネバとのびる豆の発酵食は、西洋人にはハードルが高い。だからこそ、アンはソーシャルメディアで、日本人だったらなかなか思いつかない納豆の楽しみ方を発信する。アボカドにまぜてサラダに使ったり、ピザの上に乗っけたり、ヨーグルトと一緒に食したり。

「ヴィーガンのチーズのようなもの、と説明しています。エキゾチックで不思議な食べ物と受け取られるのではなく、人々が食生活に楽に取り入れる存在にしたい」