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 嵐の二宮和也が、“孤高を貫く天才外科医”渡海征司郎を演じるTBS日曜劇場『ブラックペアン』が22日、スタートした。俳優の二宮が“天才”であるのはいわずもがな。15年に公開された映画『母と暮せば』では、『第39回 日本アカデミー賞』の最優秀主演男優賞を受賞。ジャニーズ事務所ではV6の岡田准一に続いて2人目で、二宮評がすこぶる上がった。

 受賞翌年の第40回では、新人俳優賞のプレゼンターを務めた。その檀上で、「すごく僕はこの新人賞というのに憧れがありまして。僕は新人賞をいただけないまま、新人じゃない人になってしまったので」とコメントしているが、これは切実な本音。二宮には、新人賞に呪縛された過去があるのだ。

 ジャニーズタレントになったころ、若手俳優の登竜門のひとつに『日刊スポーツ・ドラマグランプリ』があった。新人賞は、新設された初回からジャニーズタレントが上位を占めた。ところが2回目(98年)、トップこそタッキー&翼・今井翼がSMAP時代の中居正広の弟役で出た『ブラザーズ』(フジテレビ系)が獲れたが、2位は深田恭子で、「あきまへんで!」(TBS系)の二宮は3位で後塵を拝した。この年が唯一、ジャニーズで上位3位を占められなかった。

 当然、ジャニー喜多川社長はご立腹。「新人だから、いいとか悪いとかはもちろんあるかもしれないけど、それを踏まえた上で、君は固定客があるでしょ。他の活動を見た上で応援してくれてる人がいるのに、なんで1位を獲れないの?」。まだ、映画やドラマの主演作はなく、嵐も結成されていなかった。しかし、ジャニーズJr.としての舞台経験があったため、固定ファンをつかんでいた。それが結果につながらないという現実。ジャニーさんは、「なんでジャニーズなのに人気ないんだよ!」と吐き捨てた。

 翌99年、嵐が歌手デビュー。トラウマというべく、二宮と『日刊スポーツ・ドラマグランプリ』との関係は良き方向に転じた。01年に『ハンドク!!!』(TBS系)、03年に『熱烈的中華飯店』(フジ系)、04年に『南くんの恋人』(テレビ朝日系)で助演男優賞を受賞。07年にはついに『拝啓、父上様』(フジ系)、『山田太郎ものがたり』(TBS系)で主演男優賞を受賞して、頂点に上りつめた。

 06年の映画『硫黄島からの手紙』では、クリント・イーストウッド監督から「類まれな才能」と絶賛された。国内外で高い評価を受けて、ジャニーズ初のハリウッド俳優として大成した。
 『ブラックペアン』終了後の8月24日には、木村拓哉との初共演が話題の映画『検察側の罪人』がロードショー。“天才”はいまだ、上昇気流だ。