学生の窓口編集部

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歴史の授業で一度は耳にしたことがあるだろう一揆(いっき)や打ちこわし。「暴動」と思われがちだが、その実態は「規律正しいデモ」だったのはご存じだろうか?

農具を手にした農民が領主に詰め寄る百姓一揆は、自分たちが御百姓(おひゃくしょう)であることのアピールで、領主をやっつけたら自分たちも仕事を失うことになるので、暴力的なおこないは一切しない「作法」が守られていた。

制裁である「打ちこわし」では、自分たちも悪党にならないように盗みや暴力は厳禁ルールでおこなわれ、「まことに礼儀正しい暴動」と、ヘンな評価を得た打ちこわしも実在したのだ。

■手にした農具は「農民」の証
一揆の原則は「デモ行進」のようなもので、暴れてものを壊したり、自分たちが年貢を納める領主をやっつけるのが目的ではない。領主と農民は共存関係にあったのが理由で、もし領主をやっつけてしまえば、自分たちも職を失ってしまうからだ。

江戸時代の農家は御百姓(おひゃくしょう)と呼ばれる幕府の構成員で、いわば公務員的な存在だった。これを管理するのが領主で、
 ・領主 … 年貢(ねんぐ)を受け取る代わりに御百姓を守る
 ・農民 … 御百姓の身分を保障してもらう代わりに年貢を納める
と、現代の雇用に近い関係だった。百姓一揆の基本は「賃上げ要求」のようなもので、生活の確保を要求するときにおこなわれたが、いわばデモ行進のようなもの。自分たちが御百姓であることをアピールするために蓑笠(みのがさ)と農具で「正装」し、「給料上げろ!」「税金減らせ!」的な交渉をするのが本来の姿だったのだ。

これは原則であり、すべての一揆で守られていたわけではないが、時代劇でみられる「暴動」シーンは、手にした農具が武器を連想させるからだろう。現代なら、イヤな社長をやっつければ気持ちは晴れるかも知れないが、「明日から会社どうする?」となるのは必至。農民たちもそれを理解したうえでデモンストレーション「一揆」を心がけていたのだ。

■ルールを守って暴れましょう?
「打ちこわし」のターゲットはおもに商人で、買い占め/売り惜しみで物価をつり上げた「制裁」として店を破壊するので、一揆よりは暴動に近い。うっぷん晴らしがなかったとは言いえないものの、厳しいルールが存在し、天明(てんめい)の江戸打ちこわしでは「じつに礼儀正しい暴動」と、意味不明なほめ言葉を得ているのだ。

1781〜1789年の「天明」はさんざんな時代で、浅間山の噴火による降灰、冷害、火災や洪水で米作りは大打撃を受けた。食料不足から天明の飢饉(ききん)を引き起こすことになる。

米の値段は1年で5倍にも上がり、食料不足に苦しむなか、一部の商人や酒屋が米を買い占めていると知り庶民の怒りが爆発する。およそ20軒を取り囲み、「安く売れ!」「無料で配るべきだ!」と抗議し、応じない場合は「おしおき!」とばかりに店や家具を破壊する「打ちこわし」が発生したのだ。

これは「天明の江戸打ちこわし」とも呼ばれ、まぎれもなく暴動なのだが、ほめたたえる記録が少なくない。
 ・カネや太鼓を合図に、町民たちは規律正しく行動した
 ・武器は持っていたが、他人を傷つける者はいなかった
 ・安く売れ!と抗議したが、米は盗まなかった
 ・応じない店は破壊されたが、ものを盗む者はいなかった
その様子を「まことにていねいで礼儀正しい」とした記録が残されるほど、規律正しい「暴動」だったのだ。

「ルール無用」「暴れるのが目的」の打ちこわしもあったのだろうが、たとえ非常時でも礼節は忘れないようにしたい。夜の校舎窓ガラス壊してまわっても、せめて掃除してから帰るようにしよう。

■まとめ
 ・百姓一揆は、農民の生活を守るための「デモ活動」
 ・天明の江戸打ちこわしは、「礼儀正しい暴動」と、意味不明な言葉で賞賛されている