花咲徳栄高等学校 大瀧 愛斗選手【前編】「もうはまだ まだはもうで始まった成長ストーリー」

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 今夏、甲子園でベスト8に進出した花咲徳栄(埼玉)の4番を務め、14打数7安打と打率.500をマークし、ランニングホームランまで放つなど大きな活躍を見せた大瀧 愛斗。走攻守の三拍子が揃った外野手としてスカウト陣からも注目され、9月14日にはプロ志望届を提出した大瀧に、花咲徳栄での野球生活を振り返ってもらった。

先輩の若月 健矢のような選手になりたいと思って取り組んだ1年夏

インタビューに答える大瀧 愛斗選手(花咲徳栄高等学校)

 中学時代、大阪の浜寺ボーイズでプレーしていた大瀧は、練習を見に来ていた花咲徳栄の岩井 隆監督に誘われ、同校に入学する事を決意したという。「花咲徳栄は上手い野球ができるチームで、たとえ技術では劣っていたとしても、戦略で勝つことができると感じていたので、ここに入れば自分を成長させられると思いました」

 入部して間もなく、大瀧はレギュラー組の練習試合を見学する機会を与えられる。そこには現在オリックスでプレーする若月 健矢の姿があった。「その試合で、若月さんが右中間にホームランを打ったんです。同じ右打ちで、自分も右方向に大きい打球が打てるバッターをずっと目指していたので『若月さんのような選手になりたい』と思いました」

 一方の若月も、大瀧には一目置いていたようだ。「直接ではないんですけれど、『(自分たちの代の中では)一番プロに近いんだから頑張れ』と言っていたと先輩から聞きました。あと、若月さんには『岩井監督を信じて、練習しろ』とも言われました」

 しかし、入部したての大瀧にはレベルアップしなければならない点があった。それはバッティングだ。「当時は守備と足は何とかなるけれど『バッティングを良くしなければ、ベンチに入れない』と思っていました。それで、花咲徳栄は19時くらいまで全体練習があって、夕食後は自主練になるんですけれど、遠征から帰ってきた日だろうが、大会で試合があった日だろうが関係なしに、照明が落とされる22時までマシンを相手にバットを振り続けました。

 岩井監督は『量より質の良い練習をしなさい』と言われるんですけれど、自分は『レギュラーを獲る為に一生懸命やっている選手なら、練習の質なんて変わらない』という考えだったので、『質を高めたうえで、どれだけ人より多く練習をやるか。そうしないとレギュラーを獲れないし、親元を離れて大阪から来た意味がない』と思っていました」

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[page_break:2年生にして4番を獲得するも屈辱の2年夏、初戦敗退]

 練習で、量を多くこなすと言っても簡単な事ではないが、大瀧には自身を奮い立たせる言葉があるという。「一番好きな言葉で『もうはまだ まだはもう』です。『もう無理』と言っている人間に限って、まだ限界には達していなくて。逆に『まだ行ける』と努力している人間は、もう限界という極限までたどり着く事ができるという意味なんですが、自分はこれまで『もう無理』と感じた事はないし、ケガをして体が無理だと悲鳴を上げた事もないので、『まだ行ける、まだ行ける』と、この言葉を胸に日々の練習を続けています」

2年生にして4番を獲得するも屈辱の2年夏、初戦敗退

バッティング練習をする大瀧 愛斗選手(花咲徳栄高等学校)

 努力は徐々に実を結び、1年の秋季大会で大瀧は背番号16を与えられた。「埼玉県大会では1度も出番がなかったんですけれど、関東大会の白鷗大足利戦(試合レポート)で、いきなり『大瀧、代打で行け』と言われて。その打席はセンターフライだったんですけれど、当たりは良かったんです。そうしたら、その後の練習試合から2番・センターのスタメンで出させてもらうようになって。

 今でも覚えているんですけれど、最初の試合が11月2日の狭山ヶ丘戦で、0対0の終盤に二、三塁から自分がレフトオーバーの二塁打を打って2点を取って。次のバッターもレフト前にヒット打って、自分がセカンドからホームに返ってきて3対0で勝ったんです。結局、11月の練習試合では打率.480くらいで、ホームランも5本打って、結果が出せたんです」

 チャンスをものにし、スタメンの座を獲得した大瀧。冬もレギュラーチームで練習を重ねていき、2年春の地区大会を前に沖縄で行われた遠征から帰ってくると、彼の打順は2番から4番に変わった。

「4番になったら、自分への攻め方が変わって。カウントを取るのにもフォークボールを使ってくるので、最初は戸惑いました。でも、4番で起用されたからには、4番を外されたくなかったので、落ちる球を打つ練習をしました。岩井監督からは『4番というのは決め球でカウントを取られたり、急にインコースを真っ直ぐで突かれたりするものだ。でも、コンマ何秒の世界で、見てから反応するのでは遅いのだから、ボールがどこに来ても反応できるように細胞が覚えるまで振れ』と言われました」

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[page_break:さらなるレベルアップへ取り組んだ肉体改造]

 こうして迎えた2年夏の埼玉大会だったが、結果は非情なものだった。初戦の山村国際戦で、まさかの敗戦。さらに、続く秋季大会も1試合でヒットを1本打つのが精一杯の状態で、準決勝の浦和学院との試合ではノーヒットに終わり、チームも敗れた。

さらなるレベルアップへ取り組んだ肉体改造

「もうはまだ まだはもう」大瀧 愛斗選手(花咲徳栄高等学校)

「新チームが始動した時に、岩井監督から『このチームで日本一を目指してやっていくぞ』と言われて、選手もみんな覚悟を持って練習に励んでいましたし、お互いに気づいた事は言い合ったりしていたのに、ショックというか、自分が情けなかったというか……」

 そこで、大瀧が冬場に取り組んだのが体重を増やすことだった。「体重はずっと増やそうとしていて、1年の冬に72kgまで増やしたんですが、翌年の夏には66kgまで落ちてしまって。岩井監督からも、プレーの内容うんぬんより『とりあえず体重を増やせ』と言いつけられていたので、2年の冬は食べまくりました」

 朝昼晩の三食の他に、2時間目の授業が終わったらおにぎりを2個。練習前にもおにぎりを2個食べ、夜の自主練の後も腹に入るだけ食べ物を詰め込んでから寝るという一日六食の生活。また、ウエイトトレーニングも積極的にとり入れた。「ウエイトトレーニングでも周りと同じじゃダメだと思って、かなりの量をこなしました。そのおかげで入学当初はベンチプレスで60kgしか上がらなかったんですけれど、今は100kgを上げますし、トレーニングをしたらすぐにプロテインを飲むようにしています」

 2年秋の時点で68kgだった体重は、翌春の時点で79kg。さらに現在は84kgまで増えた。

 ここまで3年春までに取り組んだ過程を振り返っていきました。後編では最後の夏に剥けて取り組み始めたこと、そして飛躍を遂げた夏のあるエピソードについて迫っていきます。お楽しみに!

(取材・写真/大平 明)

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