左から 高校時代の飯塚 悟史選手、波多野 陽介選手

 2009年、夏の甲子園決勝。奇跡の猛攻を見せ、球史に名を刻んだ日本文理。この日本文理の活躍が、それ以前までは甲子園、選抜で成績が振るわなかった新潟県勢の高校野球に火を付けたといっても過言ではない。そんな日本文理の先輩後輩つながりを今回は紹介していこう。

2009年の躍進まで20数年の苦労があった

 日本文理高校の創立は1984年(当時の校名は新潟文理)。学校創立から2年後の1986年から監督を務めるのが大井 道夫監督であった。就任当時は部員が10数人程度の野球部だったが、そこから一歩ずつステップアップし、1997年に悲願の甲子園初出場を果たした。

 その後は、2006年に春夏連続出場を果たすなどの活躍を見せるも、全国区としての知名度はまだまだといったところであった。しかし、2009年に転機が訪れる。2009年も2006年と同じく春夏連続出場を果たすと、夏の甲子園は決勝まで進出。決勝では、堂林 翔太選手(広島東洋カープ)擁する中京大中京に、9回裏ツーアウトから5点を返し1点差に迫る劇的な試合展開を見せ、一気に全国的な注目が集まった。

 当時のエース、伊藤 直輝は現在、ヤマハにて活躍している。また、当時1年であった高橋 洸選手は、2011年ドラフトにて読売ジャイアンツから5位指名を受けプロ入りするなど、ここから日本文理野球の新たな歴史が始まることになった。

 この活躍を見て、日本文理野球部に入部してきたのが、2014年横浜DeNAベイスターズから7位指名を受け入団した飯塚 悟史選手であった。飯塚は、1年時から公式戦に登板し、2年秋の明治神宮大会では決勝まで勝ち進むも、終盤に逆転負けを起す悔しい経験をする。しかし、3年夏には甲子園ベスト4に輝くなど、2009年に次ぐ躍進を遂げた。

 この秋も、新潟県大会で優勝を決め、北信越大会へと駒を進めた日本文理。今後も新潟野球をリードする存在としての活躍に期待がかかる。

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 伝統的に好投手が多い日本文理。大井監督の指導なのか、縦の変化球を武器にする投手が多いのが特徴的だ。勝つためにはどんな投球をすればよいのか教え込んでいるのかもしれない。また破壊力ある打線を築く日本文理は、強打者の存在も見逃せない。次のステージでは投手の活躍が目立つが、今後野手の名前が挙がってくることにも期待したい。

■2010年卒・切手 孝太(杏林大−軟式・北陸ガス)・伊藤 直輝(東北福祉大−ヤマハ)

■2011年卒・高橋 隼之介(明治大卒)

■2012年卒・湯本 翔太(明治大)・高橋 洸(読売ジャイアンツ)

■2013年卒・早津 勇人(大東文化大)・田村 勇磨(新潟アルビレックスBC)・波多野 陽介(東北福祉大)

■2015年卒・飯塚 悟史(横浜DeNAベイスターズ)・小太刀 緒飛(早稲田大)・池田 貴将(東洋大)・川口 達朗(東洋大)・新井 充(駒澤大)・鎌倉 航(法政大)

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