イングランド、奇妙な理由で破談になった移籍トップ12

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9月2日、『Telegraph』は「最も奇妙な理由によって破談になった移籍交渉」という記事を掲載した。

先日、マンチェスター・ユナイテッドとレアル・マドリーの間で行われたダビド・デ・ヘアの交渉において、事務処理の手続きが遅れて登録期限に間に合わず破談になったことが大きな話題になった。

これまで起こってきた奇妙な理由での交渉停止とはどのようなものがあったのか?

ギャリー・フーパー

(ノリッジ・シティ→×シェフィールド・ウェンズデイ)

ギャリー・フーパーは、2015年にノリッジ・シティからシェフィールド・ウェンズデイに移籍するための状況が全て調っていた。しかしウェンズデイは彼にVIPボックスを提供することを拒否したため、フーパーは心変わりしたという。

ただ、フーパーは年3万ポンド(およそ600万円)のVIPボックスが提供されなかったことが撤退の理由であるという報告を否定している。

ロベルト・レヴァンドフスキ

(レフ・ポズナニ→×ブラックバーン)

ヨーロッパのトップストライカーとして名を轟かせる前、彼はサム・アラーダイス率いるブラックバーンとの契約に近づいていた。2010年4月にはエヴァートン戦にも招待されていた。

しかしそれは母なる自然の影響によって阻まれた。アイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル火山が噴火したために飛行機が飛ばず、ボルシア・ドルトムントが彼を獲得した。

彼が多くの睡眠時間を失ってまでブラックバーンへの移籍にこだわらなかったのは正解だった――というのは正しいだろう。

ズラタン・イブラヒモヴィッチ

(マルメ→×アーセナル)

この失敗は、彼の有名なこだわり「ズラタンはオーディションを受けない」から来ているものだ。

2000年に彼はアーセナルへの移籍を完成させるためにロンドンに到着したが、アーセン・ヴェンゲル監督は、彼にまずトライアルを受けるように頼んだ。後に彼はこう話している。

「アーセンは僕に赤と白の有名なシャツを渡してくれた。イブラヒモビッチと書かれた9番のシャツを。それはとても素晴らしい瞬間で、ポーズを取って写真も撮った。そのとき、僕はアーセナルに参加すべきだと自分に確信できる時を待っていた。

しかし、彼はそれにトライしなかった。真剣なオファーはなかった。『私は君がどれだけ良い選手であるか、どんな選手であるかを見たい。トライアルを受けなさい』と言った。僕はそれを信じなかった。『いかなる時でも、ズラタンはオーディションを受けない』のだ」

エリック・カントナ

(ニーム→×シェフィールド・ウェンズデイ)

ズラタンに似ているが、カントナも十分な愛を感じられなかったときに、選択肢を放棄した。彼が1991年にサッカーを辞めると宣言した後、シェフィールド・ウェンズデイが彼をトライアルに招待した。

監督を務めていたトレヴァー・フランシスは、彼が決心するまで、もう一週間残ってくれるように頼んだ。カントナはそれを拒否し、そして接近してきたリーズ・ユナイテッドと契約。彼らは3ヶ月後にリーグタイトルを勝ち取った。

ロイ・キーン

(ノッティンガム・フォレスト→×ブラックバーン)

この率直な物言いで知られるMFは、アレックス・ファーガソンからの遅い誘いで考えを変更するまで、ブラックバーンでケニー・ダルグリッシュとともにプレーするように設定されていた。

この物語は、アレックス・ファーガソンがキーンを家に招待し、スヌーカー・ゲームの中で彼を説得したことで転換点を迎えたのである。

ネイマール

(サントス→×マンチェスター・シティ)

おそらく少し空想が入っているものだろうが、ネイマールをバルセロナに参加させた理由は、ドロドロのピッチでプレーすることへの恐怖であったという。

ガーディアンによれば、『2013年の夏、マンチェスター・シティは彼をサントスから獲得しようとした。しかしネイマールはイングランドのぬかるんだピッチでプレーする際に特別なスパイクが必要だと信じており、そのチャンスを取らなかった』という。

マット・ル・ティシエ

(サウサンプトン→×トッテナム)

ワン・クラブ・マン(一つのクラブでキャリアを終えた選手)として有名であるが、彼はキャリアの中で他のクラブと接近したことがある。しかし、それは婚約者の希望によってキャンセルされた。

トッテナム・ホットスパーが1989-90のシーズン前に彼と契約しようとしたが、ル・ティシエの彼女はロンドンに引っ越すことに前向きではなかった。

ダビド・デ・ヘア

(マンチェスター・ユナイテッド→×レアル・マドリー)

コミカルな理由によって、世界で最も豊かで、世界で最も強いクラブの中の2つは、この取り引きに必要な事務手続きを行うことが出来なかった。

結果として、彼はユナイテッドを去りたいという希望を明らかにしているにもかかわらず、少なくとも4ヶ月の間はここにいなければならなくなっている。

エマニュエル・アデバヨール

(トッテナム・ホットスパー→×アストン・ヴィラ)

アデバヨールがホワイト・ハート・レーンを離れアストン・ヴィラに移籍するための交渉は、最終段階に達していた。

この時、アデバヨールは正しい移籍を行うためには神の啓示が必要であると話し、ロンドンに残るという決断を下す前に牧師に相談していたのである。

フランク・ワージントン

(ハダーズフィールド→×リヴァプール)

フットボールの歴史上最も偉大な物語の一つだ。ワージントンはリヴァプールに加入しようとした際、メディカルチェックに失敗した。それは彼が性感染症に罹ったためだと報告されている。

しかし、公式の物語はなかなか面白い。リヴァプールは高血圧のために彼がメディカルチェックを通過できなかったと発表した。そして、彼を落ち着かせるために1週間の猶予を与えた。

ワージントンはその代わりにマジョルカでパーティを7日間行い、そして再びメディカルチェックに失敗した。

ジョージ・ボイド

(ピーターボロ→×ノッティンガム・フォレスト)

この勤勉なMFは、遡ること2年前にメディカルチェックを通過できなかった。それは『決定的でない視力のテスト』という、むしろ戸惑うような理由だった。

ピーターボロの会長を務めていたダーラフ・マッカートニー氏は激怒した。『ジョージは条件に合意し、メディカルを受けた。彼はテストに通過したと言った。しかし、それから目のテストがあったという。

彼はもう300試合に出場し、ハーフウェーからゴールを決めたこともある男だ。しかし、フォレストは彼に目の問題があるという』

ファビオ・ボリーニ

(リヴァプール→×サンダーランド)

ボリーニのガールフレンドは、サンダーランドに住むことを好まなかった。このストライカーはサンダーランドを気に入っており、リヴァプールも彼を売りたくてたまらなかったにもかかわらず。

一年後、そのような懸念は消え去り、ようやくボリーニは完全移籍でサンダーランドに加入することが出来た。