本田、長友、中村ノリ……成功ばかりではない! 挫折からはい上がったスポーツ選手たち
どんな世界でも挫折を経験しなかった人はいません。その挫折をバネにさらなる高みを目指せるかどうかが重要ですよね。今回は、そんな挫折からはい上がり、大きな活躍をしたスポーツ選手を紹介します。
●本田圭佑(サッカー)
イタリアの名門ACミランに日本人で初めて所属し、10番を背負うなど日本サッカー界にとって欠かせないプレーヤーとなった本田圭佑選手。そんな本田選手ですが、中学時代に大きな挫折を味わっています。当時強豪のガンバ大阪ジュニアユースに所属しており、一つ上のユースチームへのセレクションを受けることになりますが、これが不合格。しかしこれをきっかけに、「絶対にプロにならねばならない」と志をより強固なものにし、高校卒業時に見事名古屋グランパスエイトと契約します。その後は2008年に海外へ渡り、ついには「セリエAの10番になる」という小学校の卒業文集に書いた夢をかなえました。
●中村俊輔(サッカー)
日本サッカー史上屈指のテクニックを持つ中村俊輔選手。そんな中村俊輔選手の挫折といえば、やはり2002年ワールドカップのメンバー落選でしょう。けがの状態などを考慮しての落選でしたが、誰もが代表入りだと思っていた中での落選だったのが衝撃的でした。実はそれ以前にも本田圭佑選手のようにユース入りのセレクションで不合格になったこともありました。2002年のメンバー落選の後は海外に移籍し、次の可能性を探しました。ユース入りできなかったときは桐光学園に進学し、全国大会で準優勝しています。挫折に負けず常に前を向いていたということでしょう。
●長友佑都(サッカー)
大学時代に行ったFC東京との練習試合で注目され、FC東京に入団。海外移籍を果たして1年でイタリアの名門インテルに入団するなど、まさに「シンデレラストーリー」を歩んでいる印象の長友佑都選手ですが、実は何度も挫折を味わっています。最初の挫折は地元サッカークラブのセレクションでの不合格。進学した中学校でサッカー熱を失いますが、その学校で最初の恩師との出会いで奮起しました。しかし明治大学入学後、出場機会もなく、ヘルニアを患ったこともあり、卒業後は普通に就職しようとまで考えていたそうです。そこでも監督によってサイドバックにコンバートされたことで才能が開花。ヘルニアを克服するために地道にやっていたトレーニングも功を奏し、先ほどのシンデレラストーリーへとつながりました。
●中村紀洋(野球)
プロ野球界にも逆境からはい上がってきた選手が何人もいます。かつて大阪近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)の看板選手だった中村紀洋選手もその一人です。バファローズ時代は二冠王になるなど活躍しましたが、アメリカ移籍で活躍できず帰国。オリックス・バファローズに入団するも結果を出せずに自由契約となりました。その後中日に育成選手として入団。チームトップクラスの打撃成績を残し、優勝に貢献しました。中日を退団後に加入した楽天では結果が残せず、再度挫折を味わいます。しかし次に入団した横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)で再度奮起。オールスターに選出される活躍を見せました。
●石井義人(野球)
西武・巨人で活躍した石井義人も、挫折からはい上がり、大きな成功をつかんだ野球選手です。最初に入団したのは横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)でしたが、出場機会を失い西武ライオンズへとトレードに出されます。ここで約7シーズンにわたり西武の欠かせない選手として活躍します。特に2009年は125試合に出場し、打率3割の好成績を残しました。しかし2011年に打撃不振から戦力外になってしまいます。そこで現役を諦めずトライアウトで読売ジャイアンツに入団。2012年シーズンはチームの優勝に貢献し、さらには日本シリーズのMVPに選ばれる活躍をしました。
今回はメジャースポーツのサッカーと野球の世界で、「挫折からはい上がった選手」をピックアップしてみました。どの選手も、挫折を味わってもそこで諦めたりせずに、次の目標を見据えた努力をし、そして成功をつかんでいます。皆さんも何か壁にぶつかったときは、そこで諦めないで「あがいてみるべき」かもしれませんね。
(中田ボンベ@dcp)