牛肉と豚肉どちらが好きかと聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか? 例えば育ち盛りの子ども、食べ盛りの若者なら、ステーキやすき焼きなどの豪勢な料理に使われるイメージがある牛肉と答える人が多いかもしれない。一方で、家計を握る主婦の方からは、牛肉よりも比較的安く手に入る豚肉の方が人気がある、とも考えられる。ヘスス・スアレスは一貫して牛肉愛を論じ、豚肉を徹底的に否定していた。この本からはそういう印象を受けた。
 
 



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<目次>
Reportage  あの日のペップとの会話
Chapter1  ジョゼ・モウリーニョ
Chapter2  マヌエル・ペジェグリーニ
Chapter3  チェザーレ・プランデッリ
Chapter4  ヨーゼフ・ユップ・ハインケス
Chapter5  ローラン・ブラン
Chapter6  ディエゴ・シメオネ
Chapter7  ヨアヒム・レーブ
Chapter8  アンドレ・ビラス・ボアス
Chapter9  マルセロ・ビエルサ
Chapter10  ジョゼップ・グアルディオラ
Epilogue  EURO2012総括
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 彼がフットボールに求めるのはスペクタクルであり、芸術性だ。その基盤はアスリートとしてではなくサッカー選手として必要な「ボールプレー」にあるとし、絶対的な価値観の元にフットボールの旨味を出すことの重要性を唱え続けている。
 
 独断と偏見に満ちた、「白と黒しか存在しない」フットボール論は、98年ワールドカップ、EURO2000を制したフランス代表を「フィジカルタフネスに抜きん出た」チームと表し、「スペインはフランスの真似をするべきではない」と豪語した。
 
 例え結果は出なくとも、ボールありきのチームを目指したローラン・ブラン、マヌエル・ペジェグリーニには一定の評価を与える。逆に、身体能力に頼ったプレー効率と勝利のみを考えた節約志向なプレーは頑として認めない。そんな戦術を敷くモウリーニョに対しては痛烈な批判を浴びせる。「試合には勝利しても、フットボールに敗れている」と、まさに挑戦状を叩きつけた。
 
 だがスアレスは「ポゼッションこそがすべて」と言っているわけではない。もちろん、スペクタクルと結果を両立させたジョゼップ・グアルディオラ監督に惜しみない賛辞を贈っている。体は小さくともテクニックに秀でたバルセロナの選手たちが欧州を制するさまを見て、ご満悦の表情を浮かべていたことだろう。
 
 他方で、スアレスは「支配率には興味がない」というディエゴ・シメオネにも高い評価を与えている。2011年12月にアトレティコ・マドリーの監督に就任したシメオネは、攻守の切り替えとカウンターを軸としたフットボールを展開した。一見すると、モウリーニョのレアル・マドリーと同様の戦術だ。
 
 しかしその実情は異なる。創造性を有するジエゴを中心としたカウンターは豊富なバリエーションを持ち、バルセロナとは異なるアタッキングフットボールで観客を魅了した。こういった「合い挽き肉」が存在することも、スアレスは重々承知なのだ。
 
 かくいう私もスアレスに近い感覚を持っており、本書を読んで非常に強い共感を覚えた。フットボールは体の強さや個人の才能だけで決まるものではない。そうであってはならない。確かにフィジカルの強さは大きな武器になるだろう。しかし体躯は天賦の才であり、それが勝負を決めてしまう要素になってしまっては夢も希望もない。ボールを足で扱う技術と個性が集まったチームで作り上げる戦術。これらが重なり合うことで、初めてフットボールはフットボールになるのだ。
 
 スアレスの言葉の棘(とげ)に少し戸惑いつつも、今のレアル・マドリーに対する論評には痛快さを感じる。かつて「ガラクティコ」と呼ばれたチームでは、ジダンがファンタジーをもたらし、フィーゴが緩急をつけ、ロナウドの爆発的なスピードを利用して、ラウルが狡猾さを発揮した。そこには見るものを魅了するフットボールがあった。
 
 あれから時代は移り、メンバーも大きく変わった。フットボールそのものも形をかえていった。No.7が「悲しみを感じている」チームに、もはやあの日のショーは期待できない。彼らのスタイルからは、牛肉の旨味は感じられないのだ。

 牛肉と豚肉、スペクタクルと勝利至上主義。あなたが選ぶ「名将」はどちらか。(編集部・中村僚)