ディドが技術以上にギャップを感じたのは、ミスを看過して指摘し合わない習慣だった【写真:Getty Images】

写真拡大

アマチュア時代の日本サッカーを知るGKディド「メンタリティーはGKにとってテクニック以上に大切」

「メンタリティーというのは、ゴールキーパーにとってテクニック以上に大切なものです。ポジティブな文句は、どんどん言い合ってチームが良くなればいい。でも僕が文句を言ったら泣き出してしまったDFがいた」――ハーフナー・ディド(元マツダ、名古屋グランパスエイトほか)

 ハーフナー・ディドが初めて来日してから、もう30年以上が経過した。今ではマツダ(現・サンフレッチェ広島)でプレーしていた頃に生まれた長男マイクのほうが有名になったが、エールディビジ(オランダ1部リーグ)で6シーズンもプレーしてきたGKが、1986年に日本のアマチュアリーグに参戦したのだ。その格差を考えても画期的なことだった。

「マツダでヘッドコーチを務めていたオフト(ハンス・オフト/後の日本代表監督)に誘われたんだ。『ディド、外国でプレーしたいだろう?』と聞かれたので、『もちろんだよ』と答えました。でも外国と言われてイメージしたのは、ドイツやイングランド。日本と言われた時は思わず『何?』と聞き返してしまったよ。日本に関する知識なんてゼロで、サッカーをやっていることも知らなかった」

 当時マツダの監督という肩書きだった今西和男からは「もうすぐ日本でもプロができる」と説明された。しかし実際にプロリーグが創設されるまでは8年間を要し、1年契約で来日したディドは名古屋グランパスエイト(当時)でJリーグの開幕を迎えた。

「まだ日本のGKのレベルは本当に低かった。キャッチをする時に頭が下を向いていたし、ハイボールは頭の後ろで取っていた。これではジャンプした時に、他の選手が見えないから、自分の身体をプロテクトすることができない。セービングする瞬間にも、軸足が地面から離れていた」

 だがディドが、技術以上にギャップを感じたのは、ミスを看過して指摘し合わない習慣だった。

「メンタリティーというのは、GKにとってテクニック以上に大切なものです。1回ミスをしても切り替えられる強さ。それがないと優れた選手にはなれません。ところが日本のGKは、ミスをするといつまでも『ア〜ア』と俯いていた。またミスをした味方に文句を言うこともない。もちろんネガティブな文句はいけない。でも『バックパスが弱過ぎる』とか、ポジティブな文句はどんどん言うべき」

ミスを指摘したDFには「自信を持って、文句を言い返して欲しかった」

 マツダに来た当初、ディドから文句を言われたあるDFは「僕のことが嫌いなんだ」と泣き出してしまったという。

「僕は彼に自信を持って、文句を言い返して欲しかった。互いに悪いことを言い合って、チームが良くなっていけばいい。ゲームの流れを読む力を含めて、まだ日本のサッカーは赤ちゃんみたいでしたね」

 だが、そんなディドも1年後に帰国してみると、安全な日本の生活に慣れてしまったせいか、逆に生まれ育ったオランダの環境が怖くなってしまったそうである。

 実は1989年に、ディドには大きなチャンスが訪れた。前のシーズンに欧州制覇をした母国の名門PSVからのオファーだった。しかし、マツダとの移籍交渉がまとまらずに断念。やがてディドは日本国籍を取得し、息子のマイクも日本代表を選択するのだった。(加部 究 / Kiwamu Kabe)

加部 究
1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記〜青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。