あなたは土偶をどう見ていますか(写真:Wikimediacommons)

ここまで、縄文人たちの世界観についてお話ししてきた。読者の中には「んなことあるかい! 幻想じゃ」という方や、「そうよね、縄文人たちはきっと優しい人たちだったわよね」という方もいることだろう。


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私個人的には、いろんな意見があってしかるべきだと思っている。「縄文時代はこうである」と定義すること自体が土台無理な話なのだ。彼らが、現代人が解読できる文字で己の生活を書き残していない以上、誰も本当のことはわからない。わからないけれど、近づく手段がある。

それは、彼らが作った土器や土偶から想像することである。あくまで想像だけれども。そこで今回は、土器や土偶について話をしようと思う。

土偶の用途はいったい何だったのか

私事で恐縮だが、私には文筆家のほかに「土偶女子」なる肩書がついている。もちろん、自分が付けたわけではない。当初、なんだかお尻の座りが悪いような、何とも落ち着かない心持ちだったけれど、今ではわかりやすい目印としてそのまま肩書としている。

さて、その土偶。

読者の皆さんはいったい何だと思うだろうか。土偶は見る人によって宇宙人とも赤ちゃんのようだとも言われるが、縄文時代に粘土で作られた人形(ひとがた)の焼物、というのがざっくりとした定義になる。その姿は、妊娠した女性を表しているとか、精霊を表しているとも言われる。

では、用途は何だったのかと言えば、狩猟・採集・漁撈(ぎょろう)などの食料確保の成功祈願の道具だったり、安産や命の再生、病気治癒の願掛け道具とも言われている。ものによっては、「どう見ても子どもの玩具じゃない?」というものもあるから、本当にいかようにも想像ができる存在である。

では、私が土偶をどう見ているかと言えば、縄文人がイメージする「超自然的存在」の具現化ではないかと思っている。超自然的存在とは、いわゆる「目に見えない存在」ということであり、人によってはそれを「八百万の神様」という人もいるだろうし、「精霊」や「女神」という人もいる。研究者の中でもさまざまな表現があり、統一はされていない。

おおむね「善なるもの」の空気をまとっている

そう思うと、あの宇宙人のような遮光器土偶の造形も「あってもおかしくはない」という気持ちになる。集落の人々がイメージした見えない存在の具現化なのだとしたら「そうか、その集落の人にとって心を寄せるべき形があれだったのか……」となる。


縄文のビーナスと呼ばれる長野県棚畑遺跡出土の土偶、国宝。茅野市尖石縄文考古館にて(写真:Wikimediacommons)

だからだろうか。

土偶は摩訶不思議な造形や簡略化しすぎているもの、ジワジワと面白みが伝わるもの、「なんで? ねえ、なんでこうなるの?」と突っ込みたくなるもの、子どもの粘土遊びか?と思うようなものまでさまざまある。中には迫力満点で、グロテスクなものもある。きっとその集落にとってグロテスクな存在に頼らねばならない事情があったのだろう。

とはいえ、おおむね土偶は「善なるもの」の空気をまとっている。完全に主観であるが、多くの土偶からあふれる空気感はどれも温かなものだ。「人を呪うために作られたかもしれない」という人もいるが、私はそうは思わない。

一方、見れば見るほど訳がわからないのが、土器である。いわゆる生活必需品の深い鍋なのだが、地域や時期によって違いがあるとはいえ、どうして鍋にあんなにごちゃごちゃした模様を付けるのか。中には、蛇とかカエルとかイノシシとかをモチーフに、集落の神話が描かれているのだという人もいるし、模様は方言である、という人もいる。土器をじっと見ていると、どれもそんな気がしてくる。

土器に関わる研究(制作年代、模様、普及範囲、影響、使用方法など)は盛んに行われていて、これなくして考古学は何も語れない。語れないけれど、「なぜこの模様が必要だったのか」「この模様の意味するところはなんなのか」ということは残念ながら縄文人に聞くしかないのが現状である。

日常品をご機嫌に使うためにかなり大げさに装飾したとも言えるが、だとしたら、火焔型土器はどう考えても使いにくい。もっと合理的で使いやすいものでいいではないかと思うけれど、それは、現代人の感覚でしかない。彼らにとって、日常的な道具として使う以上の意味が土器にはあったのだ。それは時に、亡くなった幼児を入れて埋葬するための棺にもなったし、見えない存在に祈りを托す儀式に使われる道具にもなった。

幼児を入れた土器は、母胎に見立てられたのだろうか。新たな命として再び母の身体に戻って来るよう縄文人たちは考えたのかもしれない。また、特別な土器で煮炊きされた食べ物は、見えない存在に捧げられ、儀式の終わりに集落の人々に分け与えられたはずだ。見えない存在の力を宿した食べ物は、結束と命をつなぐための生きる力を与えたかもしれない。

こうして土器の一部は、ただの鍋ではなくなった。

土器の模様はまるで祈りの呪文のよう

土偶や土器を見ていて思うことがある。彼らが作るものには、自己顕示がない。連載1回目(「空前の『縄文ブーム』背後にある日本人の憂鬱」)にも書いたが、とくに土偶はそう思う。誰かに褒められたくて、認められたくて奇抜な造形を作ったわけではない。前述してきたように、あるとすれば、見えない存在の視線を感じて作っていたのではないか。だから土偶は、奇抜な表現がなされていても嫌な感じがなく、善な空気をまとっているんじゃないだろうか。

では、土器はどうだろう。

中には「あ、この作り手、模様付けるの飽きてきたな」と思うものもある。模様がおざなりになって、だれ出す。そんな土器に出会うと、親近感を覚えてうれしくなる。

そうかと思えば、見ているだけで吐き気を覚えるぐらい狂気に満ちた土器もある。余白恐怖症ですか?と聞きたくなるくらい、土器の表面に細かい模様がびっしりと刻まれたものに出会うと、その気迫に気圧される。

何がここまで彼らを駆り立てるのだろうか。そう思わせる土器が山ほどある。そうなると、気まぐれで作った、もしくは、「オレの技量はすごいだろう」という個人的な思いで作ったとは思えない。

その模様はまるで、祈りの呪文のようだ。

すべての土器の模様がそうだとは思わない。しかし、土器には、見えない存在と対話するための模様が確かに刻まれている。そう考えるならば、現代人が考える使いやすい土器など彼らにとってさほど意味はない。複雑怪奇と思える造形にも合点が行くし、そうであらねばならなかったのだと思う。

とくに縄文時代中期に作られた土器を取り上げて岡本太郎はこう評した。「あの怪奇で重厚な、苛烈きわまる土器の美観に秘められてあるものは、まさにそのような四次元との対話なのです」〔『日本の伝統』岡本太郎(光文社知恵の森文庫)〕。

現代人の度肝を抜くような、一見すると非合理的に思える土器を無心で作ることは、一種のトランス状態になったはずだ。一心不乱に粘土と格闘し、たとえば心のうちにある祈りや集落の神話を見えない存在に伝えるように表現していく。時に激しく、時にたおやかに。

水が流れるような造形もあれば、炎が燃え上がるようなものもある。生き物のはらわたかと思うような、ぐねぐねとしたものが土器の表面に貼り付けられるものあれば、一目見て骨盤だとわかる土器もある。作り手は懸命に手を動かし、自分と、そして見えない存在と対話する。

縄文人が見えない存在に心を寄せたように

そうして出来上がった呪術的な模様は、集落の人たちに共有される。皆で同じ模様を作ることで連帯感は強まり、集落の証しになっていく。何代にもわたってその模様を作り続けることが、見えない存在との契約であるかのように。

突然降り掛かる天災や仲間や家族の死、食料の減少や気候の変化。すべては人智が及ばぬ世界で生きる彼らにとって、頼るべきは目に見えない存在であり、それは厳しい環境を生き抜いていくための装置だったと言えるかもしれない。

ひるがえって現代はどうだろう。国は揺らぎ、今の暮らしに不安を抱える人も増えている。

以前、ある研究者が言っていた。「社会に不安が増えると縄文時代が見直されるんだよ」と。

これを聞いたのは、東日本大震災の後で、実際に、それ以降、ジワジワと縄文時代に関心を寄せる人が増えたように思う。縄文人たちが土器や土偶を介して見えない存在に心を寄せたように、現代人も心の寄る辺を求めている。