「錯視」で世界ナンバーワンの杉原厚吉教授。イリュージョンの国際コンテストで3度目の優勝を果たした(撮影:今井康一)

10月に本コラムでご紹介した世界の「杉原錯視」(「『錯視』世界一!杉原厚吉教授の『不可能立体』」)は読者の皆さんにたいへんご好評をいただいた。その直後に、杉原錯視は国際的な錯視コンテストで今年も優勝し、通算で優勝3回・準優勝2回の快挙となった。そこで今回、筆者・蟹分解が、作者の明治大学特任教授・杉原厚吉博士に記念のインタビューを行った。

――杉原錯視は、どうやって不思議な現象を作り出しているのですか?

数理科学を応用して、「ありえない」立体を作っています。立体を片目で見るか、カメラで撮れば、平面画像が得られます。平面画像の基となる立体は、数理的には無数に存在しますが、人間はその中の1つの形に決めて認識します。その際には、3方向の平行線だけから構成された立体を「直角立体」であると誤認しやすいなどの特性があります。それを利用し、人間の脳が形を誤認するように計算した立体を作るのです。

――なぜ、脳はさまざまな角度を、直角だと認識したがるのでしょうか。


この連載の過去記事はこちら

難しい問題です。文明社会には、人工物による直角が多くあり、「直角を好む」ことに有用性があります。では、人工物のない社会はどうか。

先端数理科学インスティテュートの人類学の研究者に頼んで、アフリカの狩猟民族に「不可能モーション」(後述)のビデオを見てもらい、同様の錯覚が起きることを確かめました。

ところが、その人たちも、近年は半年ぐらいは都市で暮らしていることが判明したので、結論は出ませんでした。動物はどうか実験したいところですが、動物に聞くのは難しい。ただ、動いて見える静止画など、直角以外の錯覚について、動物にも生じるとの研究結果が出始めています。

――杉原錯視には多くの「世代」があるんですね。

はい。進化を続けています。これまでの9世代を説明しましょう。

「錯視」は9世代まで進化発展

第1世代「だまし絵立体」:平面画に、エッシャーの無限階段のような「だまし絵」があります。コンピュータによる画像認識を研究していて、だまし絵の中に、実際に立体で作れるものがあると気づきました。無限階段や四角柱がよじれてつながる「ペンローズ四角形」などを作成しました。(※以下、作品写真はいずれも杉原教授提供)



杉原 厚吉(すぎはら こうきち)/明治大学先端数理科学インスティテュート所長、同大特任教授。東京大学名誉教授。岐阜県生まれ。1971年東京大学工学部計数工学科卒業、80年工学博士(東京大学)。通商産業省電子技術総合研究所研究官、名古屋大学工学部情報工学科助教授等を経て、91年東京大学工学部教授。2009年明治大学特任教授。著書、受賞論文(情報処理学会、電子情報通信学会、日本芸術科学会等)多数。錯視研究でも世界的に著名。(撮影:今井康一)

第2世代「不可能モーション」:一見、普通に見える立体が、球を転がすとか棒を差し込む動作によって、ありえないとわかる。「窓と棒」は、ありきたりの立体に、変な動きで棒が入ってゆくように見えますが、本当は立体のほうが、見え方とは違う変な形なのです。画像情報に奥行きがないことを利用し、立体を実際と違う形だと思わせます(右の坂道を転がって上る球「四方向反重力滑り台」の動画はこちらで見ることができます)。


第3世代「変身立体」:ある方向から見ると特定の形に見える立体は、無数にあります。そこで、別な方向からは違う形に見えるように、方程式を連立させて解けば、見る方向によって姿を変える立体ができる。


丸い柱が、反対から見ると四角く見えたり、ガレージの丸屋根が、鏡に映すとギザギザに見えたりします。画像に奥行きがない性質を、二重に利用したわけです。

ガレージの屋根とその解説図を見てください。仮想的な平面上で、第1の視点Eからは青い線に、第2の視点Fからは赤い線に見えるように、方程式を連立する。これを解くと、緑の線がその答えになります。さらに錯覚を強化するため、元の平面に垂直な線分が緑の線に沿って動くとき掃き出す平行四辺形を加えます。


すると、直角が大好きな脳は、これが長方形だと思いたくなる。その結果、出入り口の大きく出たり引っ込んだりした緑の線が、垂直な断面でスパッと切った、平らな切り口に見えてきます。加えた平行四辺形の辺が等長なので、視点が多少ずれても長方形と思い、それで緑の線が、平面による切り口に見えるのです。

第4世代「透身立体」:鏡に映すと、下半分が消えてしまうといった立体です。この場合下半分は、平面に書いた絵なのですが、ある視点では立体に見え、別な視点では、上の立体にすっぽり隠れてしまいます。平面の絵に描かれたいくつもの平行四辺形が、長方形を斜めに見たものと認識され、立体だと思わせています。両眼で見ると実際は平面とわかります。


第5世代「トポロジー攪乱立体」:図形のつながり方をトポロジーと言いますが、これは鏡に映したとき、そのトポロジーが変わる立体で、2つの円が、視点によって離れて見えたり重なって見えたりします。第1の視点からは離れて、第2の視点からは接触して見えるように、2つの立体を高さを違えて並べています。さらに、ただ接触しているのではなく、交差していると見間違う形にしてあります。脳は、円も大好きですから、円弧が接触して見えると、つながった円だと思うのです。


第6世代は「軟体立体」:これは右向きの矢印ですが、このように180度水平に回転しても、しつこく右を向いています(動画はこちらです)。


原理は変身立体と同じですが、これは鏡なしでも、回転することで錯視が楽しめます。鏡に映せば左を向いた矢印に見えます。視点を動かすにつれ、形が変形していくように見えるので、軟体立体と名付けました。

第7世代「高さ反転立体」:これは、立体の下段に乗っていたはずのニワトリが、鏡で見ると、上段に移動しているものです。実は、全体が平面に描いた絵です。絵ですから、鏡に映せば反対側に移るのは当たり前ですが、平行四辺形を長方形と見せかけるテクニックで、絵ではなく立体だと思わせています。それぞれの平行四辺形について、長方形に見える視点方向が限定されますので、すべてがうまくそろう一方向から見たときに錯視が生じますが、視点をすこし動かすと消えてしまいます。


第8世代「鏡映合成変身立体」:鏡の上に載せると、別な形をした「下半分」が映る立体です。立体そのものはスペード、ハート、クラブ、ダイヤを、半分に切った上部だけの立体なのですが、鏡に載せると、下半分が映って完全な図形に見えます。ダイヤはもともと上下対称ですが、ほかのものは、鏡映が違う形に見える変身立体の技法を使って実現しています。


第9世代は「3方向多義立体」で、これが、10月に発表された国際コンテストの優勝作品です。立体ではなく、平面の絵に、ピンと旗が立っているものです。背後に鏡を2つ立てて、3方向それぞれから、異なる立体図形に見えるように作ってあります。あえて遠近法を使わず、3方向の平行線で図形を描いているのも錯視を生むポイントです。


原理に基づく部分と未解明の部分がある

――今回優勝されたのは、どういう国際コンテストでしょうか。

正式にはBest Illusion of the Year Contestと言います。錯視は、視覚の極端な振る舞いと言え、目の仕組みを調べる研究に手段を提供してくれます。そこで、アメリカ神経相関学会が、錯覚の「新作」の発見を奨励しようとコンテストを行っています。ファイナリスト10人の選出は、専門家が新規性を評価して行い、これを通ればアカデミックな業績と認められます。

その後、1〜3位の決定は、面白さや美しさなどを考慮し、一般の人の投票で行います。以前は決勝戦をフロリダの舞台で行っていましたが、最近はWeb上だけになりました。舞台でのプレゼンは、「欽ちゃんの仮想大賞」のようなノリで、過去、私のジョークが大うけした経験もあり、なくなったのは少し残念です。

――錯視研究を事故防止や渋滞対策に応用する例を教えてください。

日常で多い錯覚に、坂道の傾きの誤認があります。原理的には「不可能モーション」と同じです。運転中、下り坂を認識しないと事故の原因になり、上り坂を認識できなければ渋滞の原因になります。この錯覚の発生地点はわかっていますが、対策にはまだ課題が残ります。

「速度低下に注意」などの看板は設置済みですが、文字情報は脳に届くのが遅いのです。より視覚に訴えることを狙って、トンネル内で、壁に水平な線を描いて上り下りを認識させるシミュレーション実験をしましたが、個人差が大きく逆効果になる人もいて、まだ解決していません。道路の構造を変えてしまえればいいのですが。

――数理工学を、錯視以外にもさまざまな分野に応用されています。数理を適用する観点で、学問分野による違いはありますか。

原理がわかって基本方程式から解ける分野と、原理はわからないが、目的によってそれなりに使える方程式を見つけていく分野の2つがあると思います。前者は、力学や電磁気学などで、この方程式を大規模に利用して成功している例の1つが最近の天気予報です。一方、生物学や進化、社会科学などは、基本方程式がわからない分野です。

錯視の場合は、ものを見るのは光学的な原理のわかる分野、それを認識するのはメカニズムが未解明の分野という組み合わせです。ただ、錯視では、原理未解明の部分も、実験を繰り返して解明が進められます。その点、経済学は、事象が1回限りで再現できないから難しいですが、数理の適用をあきらめるべきではない。過信を戒めつつ、一定の論理を立て、それを検証していくべきと思います。

――英語論文の書き方、プログラミング、子供向けの啓発記事など、後進の育成のための著作にも注力されています。

はい。とても便利で、知っておくと得ですよ、というメッセージです。自分が学んで有益だったことを、どうしても書きたくなる。教育では、数学が物事を理解する力を持っているだけでなく、新しいものを作り出す力もあることを伝えたいのです。高校生から、「数学は何の役に立つのか」と聞かれる先生が多いと聞きます。そのとき、役に立つと知ってもらう意義は大きい。数学が好きな生徒は、そうすればもっと勉強しようと思うはずです。

錯視は、不思議さで興味を呼びます。数学でこれが作れると知れば、勉強する意欲が刺激されるでしょう。高校からの講演依頼を多くいただきますが、極力応じるようにしています。最近も依頼があり、札幌で全校生徒を集めた講演をします。

自分にしか書けない本を書く

――「ボロノイ図のバイブル」と言われる名著を書かれ、世界でも有名だそうですが、ボロノイ図とは何ですか?


ボロノイ図

ボロノイ図は、「勢力圏図」と考えてもらうといいでしょう。平面または曲面上に置かれた拠点からの距離で領域を分割したものです。

工学では、さまざまな計算に偏微分方程式が用いられますが、このボロノイ図は、偏微分方程式を解く際にたいへん役立ちます。コンピュータは、領域をメッシュという小さな三角形に分けて近似計算を行いますが、そのとき、ボロノイ図を利用すると計算精度が高い最適なメッシュが得られるのです。

また、より平明な応用例では、救急車が直線でなく道のりで到達することを前提に、どこの拠点からどの地区をカバーするのがよいか、といった問題にも使えます。


――ご著作には、さいころが歪んでいた場合の確率計算など、クリエーティブと言いますか、類例のないオリジナルな研究が多いと感じました。

そうかもしれません。本を書くときは、「自分にしか書けない本を書く」ように心がけています。昭和23年(1948年)の生まれで、日本は加工貿易で立国すると教えられた世代です。子供の頃からモノを作ろうという思いがあって、工学部に進むつもりでした。工作は得意で、中学の発明コンテストで自動記録雨量計を作って岐阜県から表彰されたりしました。数学パズルも好きで、ある問題を自力で解いて、教わってはいないのですが「これは二進法の原理だ」と先生に言われたのを覚えています。

――最近のAIの進歩をどうご覧になるか、教えてください。

深層学習など、学習機能による発展が主流になっています。すばらしいことですが、人間と同じように学習させれば、人間と同じ錯覚を起こすようにもなるでしょう。答えは出せても説明できない、ブラックボックス化の問題もある。機械の持つよさは生かし、人間のまねをしてほしくないところは、しないようになってほしいですね。

視覚心理学に数学を持ち込んだことの斬新さ

――数理が「役に立つ」ことを多くお示しいただいていますが、錯覚はそれ以前に好奇心を刺激します。

そうですね。私が研究を始めたのも、自分が面白いという好奇心からだったと思います。ただ、やってみて実感するのは、錯覚は皆に楽しんでもらえることです。ボロノイ図や計算幾何もたいへん面白いのですが、一般の人に理解してもらうのが難しい。錯覚なら誰でも不思議さに驚いてもらえる。そうすると、もっと驚いてもらおうという気になりますね。

――今後の研究の方向性を教えてください。

心理学や脳科学の分野の研究者から、共同研究のオファーがあります。脳のどこの部位が反応しているかの研究や、なぜ「直角が大好き」なのかのさらなる研究などがあります。錯覚は伝統的には視覚心理学の分野で、そこに数学という新しい手法を持ち込んだところが、興味を呼んでいるのだと思います。

後記:明治大学先端数理科学インスティテュート所長、東大名誉教授、国際コンテスト優勝多数といった肩書のイメージと異なり、とても温かなお人柄で、素人質問にも懇切丁寧なご説明をいただきました。「理解が深い人ほど説明が平易」という手本を見るようでした。このインタビューを通じ、杉原先生の魅力の一端を皆様に知っていただけたらと思います。先生のますますのご活躍と、日本中に杉原錯視が知れわたることを祈念します。(杉原教授のホームページではほかにもさまざまな作品を見ることができます)