「ドラフト1位」──数多のドラフト候補の中から毎年、選りすぐりの12人のみが手にできる輝かしい称号だ。11月15日、マツダスタジアムで開催された12球団合同トライアウト。首脳陣、ファンからの高い注目、多くの期待を一身に浴びながらも、悲痛な宣告を受け、ラストチャンスに懸ける3人の「ドラ1」たちの姿を追った。


2014年に中日からドラフト1位指名を受けた野村亮介

 2014年、中日から単独1位指名を受けた野村亮介。静清高(静岡)時代に甲子園出場を果たし、進んだ社会人・三菱日立パワーシステムズ横浜ではフォーム改良に成功。ドラフト解禁となる3年目には指名有力候補のひとりとして名前が挙がるようになっていた。

 野村をドラフト1位に押し上げたのは、ある人物の存在が大きく影響していた。その人物とは前年のシーズンオフからGMに就任していた落合博満氏だ。山粼康晃(当時・亜細亜大、現・DeNA)、有原航平(当時・早稲田大、現・日本ハム)らをスカウト陣が推すなか、落合氏は野村を推薦した。

「1位で入れるとは思っていなかった」と本人も驚く1位指名に加えて、球団が用意した背番号は中日のエースナンバーである「20」。大きな期待を背にスタートした野村のプロ野球人生だったが、その内容は厳しいものだった。

 入団1年目の2015年に3試合だけ一軍のマウンドを経験したものの、2年目、そして3年目となる今季は一軍登板なし。一軍で勝利を挙げられぬまま、中日を去ることとなった。

「フォームが安定しなかったことが一番大きかった」と技術面の課題を本人は挙げる。

 二軍で燻(くすぶ)るなかで徐々に失われていった自信。戦力外通告後も練習を継続していた野村だったが、「今の自分のレベルで野球を続けても仕方がない」と一度は不参加も考えた。

「『受けたほうがいい、まだできる』と言ってくれる方々が周りに沢山いて。奥さんからも『続けてほしい』と言ってもらえたので勝負しようと思いました」

 10月末にトライアウト参加を決意。トライアウト本番では本塁打を浴びるなど、厳しい結果となったが「トライアウトは楽しみたいと思って臨みました。そこは達成できたと思います」と気丈に振る舞った。

 3年間背負った背番号20については、次のように語った。

「最初のころは『重いな、責任重大だな』と思っていましたし、『エースナンバーを背負っているくせに』と言ってくる人もいたりしましたけど、最終的には気にする余裕もなかったというか……。気にならなくなりました」

 今後については、「自分だけではなく、家族もいるので」と独立リーグでの現役続行は考えず、NPB、企業チームからのオフォーを待つ意向を示した。


トライアウトで4者連続三振を奪った柿田裕太

 松本工(長野)高時代に甲子園出場を果たすも、高校卒業時点でのドラフトは指名漏れ。進んだ日本生命で才能を大きく開花させ、2013年、3球団競合のすえDeNAにドラフト1位でのプロ入りを叶えた柿田裕太。

 下半身の柔軟性を感じさせる、足を高々と上げるフォームから「ハマのライアン」の愛称でファンからも歓迎された。1位指名を受けた当時の心境を次のように振り返る。

「チームメイトだった小林(誠司、現・巨人)さんが1位に決まった後で、『自分も1位!? オレでいいの?』という感じでした」

 ルーキーイヤーの2014年はフレッシュオールスターにも出場。最終的にイースタンで7勝を挙げ、近い将来の一軍デビューを予感させた。だが、そこから大きく伸び悩んだ。

「いろいろ考えるうちに、どんどん自信がなくなってきて。それに伴って腕も振れなくなって……」

 今季はファームでの登板もわずか5試合にとどまり、「覚悟していた」という戦力外通告を受けた。

「(プロで過ごした)4年間で自分の実力を思い知らされた面があったので、受けるかどうか迷った」

 だが、トライアウトでは4者連続三振の快投を披露。終了後、晴れやかな表情でこう振り返った。

「一軍が使う球場、マウンドで投げたい気持ちも強くあった。お客さんもたくさん入っていましたし、気持ちよかったです」

 一軍で活躍するために自分に足りなかったものは何か?という問いに対して柿田は丁寧に言葉を選びながら答えてくれた。

「自分に対する絶対的な自信、ですかね。上で活躍している方々を見ていると『自分のボールを投げ切れば打たれるはずがない』と自信にあふれていますし、練習の段階でも『自分にはこれが必要』と迷わず取り組むことができている。口数の少ない人でもその自信が滲み出ているといいますか、はっきりわかるんです。僕にはそれがなかった」

 トライアウトで4者連続三振の結果を残したにも関わらず、「相手打者が変化球待ちだったので……。僕は三振を取るタイプではない」としきりに謙遜(けんそん)していたように、弱肉強食のプロの世界においては「いい人」過ぎる印象を受けたのも事実。

 今後については「やり切った気持ちもありますし、ズルズルと続けたくはないので」とNPB球団からオファーがなければ、現役を退くことを示唆した。


昨年現役を引退した巽真悟だが、今年再びトライアウトに挑戦した

 昨年、甲子園球場で開催されたトライアウトで参加投手最速の148キロをマークした巽真悟(たつみ・しんご)。確かな手応えを胸に他球団からのオファーを待ったが、吉報は届かず。現役引退を表明し、一般企業の正社員として新たなスタートを切っていた。

 就職先がBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスの親会社であることに加え、ZOZOマリンスタジアムへの人材派遣を請け負っていたこともあり、就職後も野球と関わる機会が多かった。その関わり合いの中で「野球への思い」がふつふつと湧き上がった。

「NPBを目指すためのアピールの場を求めている独立リーグの選手たちを見て、トライアウトの受験資格がある自分ってすごく恵まれているな、と感じたんですよね。せっかくそのチャンスがあるなら、やれるうちにもう一度挑戦したいな、と」

 今回の参加にあたり、トライアウト前日付で会社を退職。社長も「残念だけど、頑張ってこい」と送り出してくれた。そして「参加を正式に決めたのが1ヵ月半前、ボールを使った練習を始めたのが1カ月前」と急ピッチでトライアウトに向けての準備を行なった。

「ホークスのユニフォームを着るのも、打者相手に投球するのも1年ぶり」というマウンドでの結果は打者4人に対し、1四球1本塁打。手放しで喜べる内容ではないものの、138キロをマークした。

「もう少し準備期間があれば……と思うところもありますけど、今の自分が持っている実力は出し切れたと思います」と昨年同様やり切れたことを強調した。

 2008年ドラフトでソフトバンクから1位指名を受けた巽。彼にとって「ドラフト1位」の看板はどういうものだったのだろうか。

「特別重いとか、それがプレッシャーになったとか、そういうのはあまりなかったですね。ただ、野球界を離れて社会に出たときに『ドラフト1位だったんです』と話すと興味を持ってもらえたり、そこを評価してくださる方もいて。僕にとって一生ついて回るものでもあるので、それを生かせるようにしていきたいな、とは思いますね」

 今後はNPB球団からのオファーを待ちながら、他の選択肢についても「ゆっくり考えます」と語った。

 最後に「あっ、今年6月にZOZOマリンで始球式をしたので、打者相手に投げるのはそれ以来ですね」と冗談を交えて上述の発言を訂正する表情からも1年ぶりの実戦を終えたことへの充実感を感じさせた。

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 様々な思いを胸に奮闘した3人の「ドライチ」たち。彼らに手を差し伸べる球団は現れるだろうか──。たぎる思いを胸に秘め、”元エリート”は吉報を心待ちにしている。

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