<東名夫婦死亡事故>娘が見た事故直後の様子と、遺族の告白「容疑者は苦しみ抜いて」
「事故後に家に帰ると長女がピアノを弾いていたのですが、それが、すごく悲しい音色でね。長女はその1回、次女は3回ほど来たきりです。こっちに来ると、いろいろ思い出しちゃうからかな」
と亡くなった萩山嘉久さんの母・文子さん(77)。
以前はしょっちゅう孫たちも遊びに来ていたという。
「孫と一緒にお風呂に入ったりして、素敵なお尻だね、なんて会話をしてね。本当に楽しかった。でもそんなことも、もうなくって……」
今年6月、神奈川県大井町の東名高速下り車線で、理不尽極まりない事故は起きた。
事故直後、長女からの電話
嘉久さん(当時45)と妻の友香さん(当時37)、長女(15)、次女(11)の4人が乗ったワゴン車は、東京・台場への旅行の帰り道、静岡市の自宅へ戻る途中だった。
追い越し車線で前方の車に車線をふさがれ、やむなく停止。車から降りてきた男が、ドアから嘉久さんを引きずり出し、友香さんも車から降りたときだった。後続の大型トラックが突っ込んできた。
前の車を運転していた男は、福岡県中間市のアルバイト、石橋和歩容疑者(25)。10月10日、過失運転致死傷などの容疑で逮捕された。
トラックが突っ込んだ衝撃から目をつぶった長女が次に目を開けたとき、そこに両親の姿はなかった。長女はとっさの判断で父の親友である田中克明さん(45)に連絡をとった。田中さんの息子Aくんが同級生で連絡先を知っていたからだ。
「“お父さんとお母さんがいなくなった”って、すごく慌てて震えた声でした。緊迫した状況だと思い、もう1度ゆっくり説明してなと話し、父に代わりました」(Aくん)
田中さんも、緊迫した電話口でのやりとりを振り返る。
「どうしようどうしようという感じがすごく伝わってきました。お父さんとお母さんを探しに行くと言いだしたのですが、状況から追い越し車線だと思い、車の中にいるようにと指示しました」
約40分間、通話を続けた田中さんは、警察へと引き継いだ後、病院へと向かった。
「2人が“お父さんとお母さんがいなくなっちゃった”と僕のところに泣きながら駆け寄ってきたんです。でも、かける言葉もなくて……」
そして、「これは事故じゃない」と田中さんは声に力を込める。
「ふたりは殺されたんですよ。ちゃんと殺人罪で起訴をしてもらいたい。娘の卒業式も成人式も結婚式も孫の顔を見ることもできないんです」
嘉久さんの母・文子さんの家は、一家のすぐ近く。嘉久さんの家に駐車場がないため、仕事から遅くに帰宅する嘉久さんは実家の駐車場に車を止めていた。文子さんはその音を聞き、安心して眠りにつく日々だったというが、
「布団に入ると強く思い出します。全然眠れなくなってしまってね。あんなに優しかった子が、なぜ私のそばからいなくなってしまったんだろう。今も死んでしまったって認めたくないんです」
と悲しみに暮れたまま。幸せな家族を壊した石橋容疑者は、テレビの取材に対し、向こうに後ろからあおられたなどと答えていたことに憤る。
死刑は望まない、なぜならーー
「ウソばっかり話して、全然反省していないです。世の中にいなくていい。ずっと刑務所に入っていてほしいです」
しかし過失運転致死傷では懲役7年以下か罰金100万円以下。ふたりの命を奪ったにしては、あまりに軽い。長女と次女は事故の翌日から友香さんの父母と生活をしている。友香さんの父が、2人の孫の様子を明かしてくれた。
「学校に送りだして、帰ってきたら勉強をする。ごく普通に生活をしています。ただ、嘉久さんや友香だったら弁当を渡すとき、勉強を見るときになんて声をかけていたのかといつも考えます」
そして、法律のことはよくわからないですけどと断り、「やっぱり重い刑にしてくれればと思います。死刑は望まない。すぐ楽になっちゃうから。ずっと苦しんで、苦しみ抜いてほしい」
友香さんは、静岡大学の事務員として働いていた。同僚の女性はその人柄について、
「太陽のような人でね、いつも笑顔で、友香さんがいるとその場がパッと明るくなるような人でした」
今春には、友香さんと2人の娘、女性とその子どもの5人で旅行をしたことも。
「すっごく楽しくて。これからもっといっぱい出かけようねって話していたのに……」
事故後、2人の娘を心配した女性は連絡をとり、一緒に出かけたという。
「つらいそぶりは一切見せませんでした。大丈夫だよって、明るく振る舞って。本当に強い子たちだなって。ただ、しっかりしているだけに甘えられずにひとりで抱え込まないか心配です。できることはなんでも力になってあげたい」
事故後、嘉久さんが経営する自動車整備工場に1度、田中さんは足を運んだ。シャッターは下りたままだ。
「工場にはよく行っていました。萩山がいなくても中で待っていたりしていたのですが、もう以前のようにシャッターが上がり萩山が現れることはないんだなって……」
そんな悲しい現実を再確認したと田中さんは話し、
「事故の数日前に、友達になって30周年だから今度お祝いをしようって話をしていたのに……。しょっちゅう会っていたので一緒に撮った写真もないんですよ。今は記憶が薄れていくのが怖いです」
法律を変えなければふたりは浮かばれない
長女は、事故後1週間ほどで高校に戻った。
「表面上は元気に振る舞っていますけど……。事故が起こった直後はお父さんとお母さんがいなくなってどうやって生きていけばいいのかなと話していました。少しでもそのつらい気持ちを理解して、支えてあげたいです」(Aくん)
家族仲もよく、夫婦ゲンカも「見たことがない」と文子さん。箱根の温泉旅行や東京ディズニーランドなど、楽しかった日々が、今も鮮明に思い出されるという。
交通事故案件を多数手がける『弁護士法人・響』の徳原聖雨弁護士は、
「今回の事案では、今までの量刑相場から考えると禁固2年でおさまってしまうのではないかと推測します」
と見通し、こう指摘する。
「何度か引き上げられてはいますが、過失運転致死傷の量刑の上限をさらに引き上げてもいいと思うのです。最高で懲役7年だからといって、すべてが7年の判決になるわけではない。事故の状況などに沿い、選択肢の幅を広げてもいいのではないでしょうか」
警察庁によれば「あおり運転」などでの摘発件数は全国で昨年1年間に7625件。その87%、6690件が高速道路で起きているという。
「また同じような事故が起こらないように、法律を変えてほしい。そうでなければふたりが浮かばれないですよ」
文子さんの願いが社会に届くことを祈るばかりだ。