俺だって、少しでも高いレベルでプレーしようと思ってやってきたはずだ--と。宇賀神は浦和に進むことを決めた。
 
 2010年のルーキーイヤー、「実に賢いプレーをしている」とフォルカー・フィンケ監督に適応力の高さを買われ、開幕の鹿島戦で左SBの先発に抜擢された。
 
 ただ2012年に現在のペトロヴィッチ監督が就任したあと、最初の10試合は一度も出場機会すら得られなかった。が……ナビスコカップ・グループリーグの川崎戦で再びチャンスを活かしてゴールを決め、そこからスタメンの座を掴んでみせた。
 
 13年からこれまで、不動の左ウイングバックとして活躍。チーム状況に応じて、右ウイングバック、両ストッパーをこなしてきた。ペトロヴィッチ監督の戦術を理解し、浦和のバランスを整えつつ、ダイナミックなサイドアタックやカットインからゴールをもたらしてきた。
 
 宇賀神は次のような、印象的なことを話していたことがある。
 
「自分で何とかしよう、何とかしなければと目の前のプレーにばかり集中していた。ただ僕はドリブルを特長にしているとは言ったものの、関根(貴大)や駒井(善成)のような魅せられる選手にはなれないのは承知していました。
 
 それでふと周りを見たら、そうかこのハイレベルな選手たちの良さを上手く引き出して、自分をそのなかで生かしていければいいんだと、走ってボールを動かすことに加え、頭を働かせるようになりました。堀(孝史)コーチから『自分だけではなく、周りをもっと見てみなさい』というのは、本当に大切なキーワードになりました」
 
 人生を自ら切り開いてきた。再三訪れたサッカー人生の土壇場、そこでチャンスを掴んできた。もちろん本人はそんな一度どん底に叩き落され、そこから這い上がる人生など望んでいなかったはずだが……。そういう運命のもとに生まれてきたのかもしれない。
 
 守備力では、ヨーロッパの強靭なアタッカー陣と対峙してきた酒井高徳、酒井宏樹、長友佑都に一日の長があると言える。ただ、90分間走り切れる爆発的な運動量と両足を自在に使い分けられるテクニックやキックを活かし、周りにいる選手のストロングポイントを引き出して“黒子”になれる。
 
 それはもしかすると――。強烈な個性の集う日本代表にあって、宇賀神にしかできない役割かもしれない。
 
取材・文:塚越 始(サッカーダイジェスト編集部)