クラブW杯決勝でレアル・マドリーをもう一歩の所まで追い込んだ鹿島アントラーズ。巷でよく耳にするのは「日本代表と鹿島。強いのは鹿島じゃない?」との声だ。両者が対戦することはおそらく永遠にないので、不毛の議論そのものになるが、そう言いたくなる気持ちは理解できる。鹿島は、2018年W杯アジア最終予選で、4つどもえの戦いを強いられているハリルジャパンとは、対照的な存在に見える。


ハリルジャパンの前回の試合(サウジアラビア戦)に、鹿島から招集された選手は2人(植田直通、永木亮太)。それ以前に遡れば、金崎夢生と柴崎岳も含まれるが、いずれにせよハリルホジッチから重要な戦力として扱われたわけではない。

 日本代表クラスで占められているわけではない鹿島。日本のサッカー界に大きな影響を与える、日本の中心的なクラブではない。前にも述べた通り、サッカーの中身も従来の日本サッカーとは一線を画したチームだ。
 しかし、クラブW杯を中継していたテレビは、実況と解説者が「Jリーグのレベル、日本サッカーのレベルが低くないことを証明しました」と、鹿島の躍進を、日本の躍進話に置き換え、胸を張った。

 サッカー話ではなく日本話にしてしまえば、発言者自身までレベルアップに貢献している要因の1つに見えてしまう。つまり、日本人全員でハッピーになれるが、話をその方向に持って行くと、鹿島の貴重さは広まるどころか、闇に葬られることになる。

 メンバー選考の際、ハリルホジッチは「本田圭佑に代わる選手はいるだろうか?」と述べた。欧州組と国内組のレベル差について嘆いた。Jリーグのレベルの低さにも常々、言及してきた。日本代表のスタメンが1人もいない鹿島が、レアル・マドリーをあそこまで追い込む姿を、彼はどう見たのか。

 ハリルホジッチが鹿島の監督として指揮を執ったら、石井監督と同様の成果は得られないと思われる。
 ハリルジャパンが、レアル・マドリーを向こうに回し、鹿島と同程度、渡り合う姿は想像できないのだ。
 鹿島より何倍も豪華メンバーを揃えるハリルジャパン。その従来の主張に、説得力を感じない。
 サッカーはやり方次第で、相手との差を詰められる。逆転も可能ーーというサッカーの本質を、改めて確認させてくれたのが今回の鹿島だ。実力上位とおぼしき海外組をスタメンにズラッと並べれば、最強チームが完成するという思考法は、サッカー的ではない。

 それはレアル・マドリーの過去からも学ぶことができる。

 銀河系軍団の形成が始まったのは00−01シーズン。バルセロナからフィーゴが移籍してきたところがスタートだ。01−02にはジダン、02−03にはロナウド、03−04にはベッカムが加わり、銀河系軍団のオールスターキャストが揃うことになったが、その間CL優勝は01−02の僅か一度だけ。

 97−98、99−00、そして01−02とレアル・マドリーは、この5年の間に1年間隔で3度優勝。黄金期を築いたが、皮肉にも銀河系軍団化が進むと、それは終焉を迎えた。CLでは決勝トーナメント1回戦辺りで、早々に敗退する番狂わせを連続して許した。

 地味なメンバーで臨んだ時の方が、結果を残すことができた。サッカーの現実を見る気がする。アトレティコ・マドリーは、なぜバルサやマドリーと互角に戦えるのか(今季は若干調子が悪いとはいえ)。サッカーに番狂わせが絶えない理由はなぜか。ハリルホジッチが目指すべきは、銀河系軍団的なサッカーではない。オールスターキャストではないアトレティコ・マドリー系のサッカー。つまり。鹿島系のサッカーなのだ。

 ビッグネームがずらり並ぶチームではなく、名前は少し落ちるが、よいサッカーをするチーム。こちらの方が、結果は出やすい。世界のサッカー及びサッカーの歴史はそう語る。まず優れるべきはサッカーの質。監督だ。メンバーの知名度や実績より、それはサッカーにおいて優先する。