オーストリア中部の山間部にある小さな街ツェルトベクを見下ろすように、山の中腹一帯がサーキットになっていた。2003年以来のグランプリ開催となるレッドブルリンクは、小林可夢偉にとって初めて訪れる地だった。

 いつものように木曜の朝早くにサーキットに到着し、午前9時からチームメンバーたちとともにコース1周をゆっくりと歩き始める。コース図を見ただけでは山のアップダウンは分からない。

「コース幅が狭いし、1コーナー、2コーナーが思いのほかタイトでしたね。あと、サーキットの周りにレストランも何もないなっていう(苦笑)」

 ケータハムのシミュレーターにはこのサーキットのデータは入っておらず、可夢偉は事前の準備もほとんどなしにここへやって来ていた。もちろん、その程度のことがさして有利・不利につながらないのがF1ドライバーの資質というものなのだが、普通のサーキットなら2、3周も走ればすぐに勘所がつかめるという可夢偉でも、このサーキットはそう簡単ではないだろうと感じ取っていた。

「10周くらいはかかると思いますよ。ここはアップダウンがあるからどこの角度を使うかっていうのが問題で、その感覚を掴むまでに普通よりも時間がかかると思いますね」

 コーナーが実質的に7つしかなく、1周は4kmちょっとで、時間にして70秒程度と短い。そのほとんどが直線を低速コーナーでつないだレイアウトだ。しかしセクター2の途中から山を下っていくセクションは中高速コーナーが連続し、繊細なマシンコントロールが要求される。

 可夢偉はそれを独自の感覚で表現する。

「こういうサーキットって、水を流し込むような感じなんです。攻めて曲がろうとするとダメで、投げ込もうとするようなイメージでいかなあかんのです。ブレーキングを遅らせ過ぎてもダメやし、早過ぎてもダメやし、ブレーキを踏みすぎてもあかんし、頑張るんじゃなくて"置き"に行く感じですよ。開けてる口にマシュマロをポン、ポン、ポンって流れ作業で投げ入れる感じ(笑)」

 そう言いながら、可夢偉は両手で下から上へとボールを投げる動作をしてみせる。

 常人には理解するのが難しい感覚だが、可夢偉は自分にしか分からないその感覚をどう表現すれば周りに理解してもらえるのか、もどかしそうに言葉を探すが、なかなか適切な表現が見つからない。それはきっと、日本で異端児と言われた可夢偉がこれまでレースキャリアを通してずっと感じ続けてきたことなのかもしれない。

 よくよく話を聞いてみれば、つまりはできるだけブレーキングで車体の姿勢を変えないようにして、マシンを空力的に安定させながらターンインしていくということのようだ。

「ターンインのきっかけだけ与えてやると、あとは自然にクルマが曲がっていくような感じ。そこに放り込むんですよ」

 独自の感性を持っているという点で言えば、可夢偉は土曜日の予選前にもその片鱗を見せていた。

 午前中のフリー走行の終わりが近付こうとしている中で、可夢偉のマシンがリアを滑らせながら最終コーナーを立ち上がってきてそのままスピンをした映像が映し出された。前にはニコ・ロズベルグが走っていて、可夢偉の後ろからも続々と最後のアタックラップをこなしているマシンたちがやってくる。可夢偉はそのまま後ろ向きにランオフエリアへと進んで安全な場所に止まったが、少しヒヤリとするような場面だった。

 しかし後でそのことを聞くと、当の本人はしてやったりという顔で言ってのけた。

「あれはね、わざとスピンしたんです。そうじゃないとケータハムなんて映してくれないでしょ?」

 一体どういうことなのか? これも常人にはにわかには信じがたい話だ。

「僕はアタックラップやったんですけど、ロズベルグが前でゆっくり走ってて。向こうはケータハムごときに道を譲ってくれないんです。僕が(アタックを妨害されて)文句を言うても、ただほざいてるだけになるから、どうせタイムが出せへんのやったら(邪魔されたように見せて)綺麗にスピンするくらいのことしたら、テレビも映してくれるかなって思ってああやったんですよ(笑)。どんだけアイツらが遅いクルマに気をつかってないかっていうことを見せられるかなって思って」

 ケータハムのマシンではどうあがいてもラップタイムでトップチームに対抗できないが、せめて自分の叫びは届けたい。そんな思いが可夢偉をわざとスピンするという行動に駆り立てたのだった。

 折しも、チームの周辺が騒がしくなってきていた。ケータハムはチーム売却が間近であるという報道や、即時撤退だという過激な噂まであった。5月中旬のモナコGPの頃から、そんな雑音ばかりになっていた。

「僕自身は走るのが仕事やから、そこを考えても何ができるわけでもないし、そこは彼ら(経営陣)の仕事なんで、僕はあんまり興味ないですよ。それよりも、どうやったらクルマが速くなるかっていう方に労力を使いたい」

 この間にもチームはウェアを刷新し、テストの準備を進め、10月のロシアGP開催予定地の視察も行なっていた。周囲で何が起ころうと、グランプリは目まぐるしいスピードで前に進んでいく。チームも前に進み続けるしかない。可夢偉も、前しか見ていなかった。

「僕は単純にレースがしたいっていうだけです。もう3戦もまともにレースできてないですからね。そろそろまともにレースしたいなっていうのがありますね。今はチームにとってもツラい時期ですよ、クルマ的にも精神的にも。これをどうやって立て直すか......」

 ケータハムCT05が苦手とする高速コーナーが少ないレッドブルリンクでは、ライバルに対してなんとか太刀打ちできそうだった。スタートからマルシアを追いかけ、10周目に可夢偉はバックストレートでDRS(Drag Reduction System:ドラッグ削減システム/ダウンフォース抑制 システム)を使って前を行くマルシアのジュール・ビアンキを抜き去った。

「うん、普通に抜いたんです」

 可夢偉は事も無げに言う。だが、このレッドブルリンクではケータハムのマシンもそれだけのレベルで戦えていたということだ。トップ集団が追い付いてきたレース中盤からは、狭く短いコースで彼らに道を譲るためにミラーばかりを見る走りを強いられた。そしてレース終盤を前に、ケータハムは可夢偉の戦略変更を決断した。

「2ストップ戦略の予定だったんですけど、『あれ? えらいスティントが長いなぁ』って思って『あと何周?』って聞いたら『あと15周』って言われて、『最後までやん!』みたいな(苦笑)。その瞬間『こらあかんわ』って思いましたよ」

 タイヤの摩耗レートをもとにピレリが各チームに通達していたソフトタイヤの最大周回限度は「45周」だった。しかし可夢偉は14周目にこのタイヤに換えてから2周遅れでチェッカーフラッグを受ける69周目までを走ろうというのだから55周になる。かなり強引な戦略だった。

「ソフトタイヤで50周以上走ったら、最後はもう話にならへんような状態でしたよ。2ストップやったらもうちょっと戦えていたと思います。(15位の)ビアンキの前に行けてたと思いますよ」

 16位で完走した可夢偉はやや苛立ちを交えて言った。レース後、可夢偉はこの戦略変更の決断を下した戦略担当エンジニアに詰め寄ったというが、それは良いことのようにも感じられた。レース後、いつも以上に綿密な計算によって自分たちの戦略が検証されることだろう。もし夢も希望もないのであれば、ただ漫然と305kmを走りチェッカーを受けるだけのこと。だが希望を抱いているからこそ、可夢偉は怒りをぶつけ、さらに前へ進もうとする。

「経営に関しては、上の人たちが頑張ってることは間違いないから、僕がどうこう言うことはできないでしょ? 僕がアルバイトしてお金持っていっても限られてるし(苦笑)。チームが経済的に安定したときに結果を出せるようにしておくこと。僕にはそれしかできないですからね」

 この先どんな未来が待っているのか、それは誰にも分からない。しかし、前に進もうとする思いがなければ明るい未来を手に入れることはできないだろう。それがどんな道のりであったとしても、きっと可夢偉は独自の感性と思いの強さで突き進んで行ってくれる。そう信じて、見守っていきたい。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki