遥かなるツール・ド・フランス 〜片山右京とTeamUKYOの挑戦〜
【連載・第8回】

 TeamUKYOを立ち上げた1年目は、苦戦の連続だった。結成初年度からチームを知るキャプテンの狩野智也はそう振り返る。しかし結成2年目、狩野より10歳年下の土井雪広がTeamUKYOに加わると、チームの戦力は格段に上がった。ただ、その土井も、TeamUKYOに加入した直後は、驚きの連続だったという。

 土井雪広がTeamUKYOへの移籍を発表したのは、2012年11月上旬。幕張メッセで開催された自転車展示会「サイクルモードインターナショナル」のイベントステージ上だった。予想外の移籍先に、会場からはどよめきのような声があがった。

 2005年に渡欧した土井はプロツアーチームのアルゴス・シマノ(現チーム・ジャイアント=シマノ)に所属し、グランツールのブエルタ・ア・エスパーニャや数々のクラシックレースをいくつも走り抜いてきた。2012年の初夏には日本選手権でも優勝し、「日本で一番速い選手」としてナショナルチャンピオンジャージを着用していた。そのようなトップライダーが、結成して1年が経ったばかりの弱小チームに移籍すると発表したのだから、驚きをもって受け止められたのは当然だったかもしれない。

 発表の場で、土井と一緒にステージ上に立った片山は、

「ずっとラブコールを送ってきた。自分たちのチームには絶対的なエースが必要だし、次世代を担う若手を育成しなければいけないという点でも意気投合した」

 と、加入に至る経緯を説明した。

 土井の獲得には、チームのテクニカルアドバイザー、今中大介も大きな役割を果たした。

 今中は片山に対して、

「チームの中心になる爆発的な力を持った選手がいてこそ、若手の育成につながる。だから、まずは圧倒的に強いチームを作ろう」

 と助言をしていたという。

 当の土井は、加入の経緯をステージ上でこんなふうに説明した。

「日本の自転車界を盛り上げたい。若い世代に自分が走る姿を見せながら、チームが目標としている海外進出にも力を貸すことができれば、うれしく思います」

 後日、土井が明らかにしたところによると、TeamUKYOへの移籍が決定するまで、いっそレースを辞めて引退してしまおう、とも考えていたのだという。アルゴス・シマノからスポンサー事情等により翌年のシートがないと突如通告され、移籍先を探して複数のプロツアーチームとも交渉を持っていたが、条件が一致するチームはなかなか見つからずにいた。

「もう、辞めちゃおうかと思ってたんですよ、自転車を。でも、辞めたからといって特に何かすることがあるわけでもないし、将来やりたいと考えていることはあったから、ならばその間は自転車に乗っていてもいいのかな、と」

 やや照れたような笑みを浮かべながら、土井はその当時の心境を説明した。

「日本の自転車業界に対して何か自分が貢献できればとも思ったし、右京さんはヨーロッパに行きたいという夢を語っていたので、そういう意味では両者の思惑が一致した、という面もありましたよね」

 とはいえ、この当時のTeamUKYOは結成直後の弱小集団にすぎない。片山右京という元F1ドライバーがたとえビッグネームであったとしても、彼が運営するチームの姿は、欧州のトップチームで長年活動してナショナルチャンピオンジャージも着用する「日本最速ライダー」の目には、あまりに頼りないものとして映っていた。

「親がモータースポーツ好きで、自分も子どものころからF1を観ているような環境だったので、もちろん、右京さんのことは知っていました。その右京さんが、趣味で自転車に乗りはじめ、やがてレース会場で会って話をするようになり、『ああ、この人は本当に自転車が好きなんだなあ』とも感じていました。でも、自分が走ることと、チームを運営することは、まったく別じゃないですか。右京さんがチームを結成すると聞いたときには、『はァ?』って。『できるわけないじゃん、そんなの』って」

 その当時を思い出し、土井は愉快そうな表情で破顔する。自転車レースの頂点で、その世界の難しさや厳しさを隅々まで味わってきた選手にしてみれば、おそらくそれは当然すぎる反応だっただろう。

「結果的に、1年目のTeamUKYOは苦戦の連続で、『な〜にしてんのかなあ、この人たち......』みたいなふうに見てました。あのときは、まさか自分がその中に入ることになるとは思わなかった(笑)」

 そのチームが圧倒的な強さを見せるのは、年が明けてシーズンが始まってからのことだ。ぶっちぎりのポイント差で個人とチームの総合優勝を獲得するのは、このときからまだ1年も先だ。加入直後の土井は、予想を超える脆弱さにフラストレーションや、あるいは憤懣(ふんまん)に近い気持ちすら抱いたかもしれない。

「とにかく、すべてが足りない。マネージメントも、選手のモチベーションも、どこを見ても足りない部分ばかりで、何から何までいろんなものをどんどん足していかなければならない、と感じました」

 土井は、欧州時代に自らを鼓舞し、鍛え上げていった強いデタミネーション(断固たる強い決意)を、TeamUKYOの若い選手たちに移植しようとした。

(次回に続く)

西村章●構成・文 text by Nishimura Akira