29日放送、テレビ朝日マツコ&有吉の怒り新党」の人気コーナー「新・3大〇〇調査会」では、「新3大ビターゼ・アミランの“試合を決める大技”」と題し、90年代に活動した格闘技団体リングスに参戦していたグルジア出身の格闘家を取り上げた。

辛うじてその名を知っていた有吉弘行は、「ビターゼ・アミラン?いや、マイナーよ。お兄さんいるでしょ?」と苦笑い。そんなアミランの3大〇〇は、1995年10月の山本宜久戦からはじまった。ここまで5戦全敗のアミランは、この試合でも“悪い癖”が出てしまう。互角以上の戦いを見せていたかと思いきや、突然ド派手な回転蹴りにトライ。これを難なくかわされると、無防備になったところでチョークスリーパーを極められ、アッサリとタップをしたのだ。

「最後の蹴りは私でもよけられたんじゃない? あれ成功したことあんの?」と興味津々のマツコ・デラックス。二つ目の紹介された試合もまた同様の展開だった。1999年1月のヨープ・カステル戦で積極的に攻めるアミランは掌打でダウンを奪うなど優勢に試合を進めるも、ここでまさかの回転蹴り。これが空を切ると、学習しないその戦いぶりには実況アナウンサーも「いつものパターンであります」と絶叫するしかなかった。

だが、1996年6月のデニス・ラーフェン戦のアミランは違った。ここでも回転蹴りを見せ、空を切る結果となったが、この日のアミランはすぐさま立ち上がり、成長の跡を見せる。すると、軽く跳び上がるようなフェイントを見せたアミランが続いて回転蹴りを放つや、今度はラーフェンの喉元にズバリ。崩れ落ちるラーフェンに対し、試合後も大喜びのアミランには、マツコも「会いたくなってきちゃった」と目を細めていた。