16日放送、テレビ東京「解禁!暴露ナイト」では、元プロ野球選手でヤクルトスワローズ、千葉ロッテマリーンズなどに所属した内藤尚行氏が出演。当時の契約更改の様子や、当事者として関わりのある“世紀の大誤審”と呼ばれた一戦について語った。

「3年目で僕ブレイクしたんです。12勝して8セーブ。1年間フル回転で当時の前(年)の金額が800万だった。で、3倍増。2400万円になった」と振り返る内藤氏は、実際の契約更改について「“これな”って小さい紙に(書かれたメモを渡される)。電話の横にあるメモ用紙みたいなものに“2400万、これな”って言われて。(当時は)契約書に住所と名前と判子は球団で用意してあるんですよ、それをポンって押して帰る」と説明しつつ、「ピッチャーの大ベテランが尾花(高夫)さんだった。尾花さんの金額よりは上にいけないという見えないルールがあった」とも明かす。

また、野村克也氏の監督就任最初の公式戦となった1990年の開幕戦(巨人−ヤクルト)では、ヤクルトがリードしている8回に巨人・篠塚和典氏がポールぎりぎりにファールを打つも、これがホームランと判定され、結果ヤクルトは延長戦の末に敗れるという誤審判定が世間を騒がせた。

その背景について「1990年から審判が6人から4人制になった。その最初の試合だったんです」と切り出した内藤氏。篠塚氏の打席では、キャッチャーを務める秦真司氏と「ピンチになった時に秦さんと打ち合わせをして、様子を見たいっていうのでサインを見たらインコースのスライダーだったんですよ。様子見ですから僕はボールを投げますねと。ボールを狙って投げて打たれてもファールに(なるように)」といったやり取りがあったという。

しかし、実際に打たれたファールはホームランの判定に。「(篠塚氏に)何回も聞きました。“あれはファールだね”って」と笑った内藤氏は、「伝説としたらポールを白から黄色に変えた男です」と続けたが、その一方で「で、その配球をノムさんが怒るんですよ。“あんなバカなキャッチャーいない”って秦さんのことを怒るんですよ。その一ヵ月後に古田君が正捕手になった」とも――。図らずも当時の誤審が古田敦也氏のレギュラー定着をはやめることとなり、ヤクルトは野村氏の監督就任中4度のリーグ優勝、3度の日本一と黄金期へ突入することになった。