伝説のバッテリー、ノーサインで投げていた現役当時を語る
2日、テレビ朝日「報道ステーション」では、野球解説者・長嶋一茂氏が「伝説のバッテリーを紹介したいと思います」と語り、元ロッテオリオンズ・村田兆治氏&袴田英利氏の特集を放送した。
足を高く上げるダイナミックな投球モーションから“マサカリ投法”と呼ばれ、通算215勝を挙げた村田氏だが、袴田氏とバッテリーを組む際には「実はノーサインで投げていた」(長嶋氏)という。
番組のカメラに対し、「当時いた近鉄・梨田とか“本当にノーサインで投げているんですか?”っていうから“そうだよ”って」と話した村田氏。これを可能にしたキャッチャー・袴田氏は「村田さんはあまり視力がよくなくて、ナイターではライトの加減でサインと違ったボールを投げてくる。それと投球テンポのすごい速いピッチャー。一つ、二つで(サインを)出したくらいで構えている。サインが合えばそのまま放ってくるし、サインが違うと首振ってそのままくるんですよ」と説明すると、「それだったら、分からない状態のほうが受けられるのかなと」とノーサインの理由を明かした。
しかし、「村田さんのフォークはスピードがあって、バッターの目線からもよく消えるって言われてたんですよ。ノーサインの当初は僕の目線からも消えてしまう」という袴田氏。事実、番組では試合中に何度も後逸する場面が紹介され、袴田氏は何度も指を脱臼しながらボールを受けてきたという。村田氏はそんな袴田氏を「私の陰で何度も涙を流したんだと思いますよ。“なんとしても止める、次きたら止める”」と語った。
1982年には肘を故障し、腱の移植手術を経た村田氏は、1985年4月14日の西武戦で再び先発のマウンドに立つと、その試合前に「彼(袴田氏)に助けてくれ。頼むから勝たせてくれって」と話していたことを明かすし、その一方で袴田氏も「苦しんでる姿を見ましたし、余計に必死になりましたね」と話した通り、村田氏のフォークを後逸しないよう必死に捕球し、1073日ぶりの完投勝利に貢献。「最後に握手したときは、二人で勝てた。お前がいたから勝てた」(村田氏)、「そりゃ嬉しかったですね。最後まで村田さんがマウンドにいてくれたってことで、握手より飛びついた気がします」(袴田氏)と振り返った。
あれから20年以上もの月日が流れた先月、長野で行われた野球教室で23年ぶりにバッテリーを組んだ両氏。子供たちの前で村田氏がフォークを投げると、袴田氏はポロッと落球。「捕れたじゃないか!」と大声を挙げる村田氏に、袴田氏は「23年ぶりにフォークを見てますから、落ちてます」と嬉しそうに答えた。
足を高く上げるダイナミックな投球モーションから“マサカリ投法”と呼ばれ、通算215勝を挙げた村田氏だが、袴田氏とバッテリーを組む際には「実はノーサインで投げていた」(長嶋氏)という。
番組のカメラに対し、「当時いた近鉄・梨田とか“本当にノーサインで投げているんですか?”っていうから“そうだよ”って」と話した村田氏。これを可能にしたキャッチャー・袴田氏は「村田さんはあまり視力がよくなくて、ナイターではライトの加減でサインと違ったボールを投げてくる。それと投球テンポのすごい速いピッチャー。一つ、二つで(サインを)出したくらいで構えている。サインが合えばそのまま放ってくるし、サインが違うと首振ってそのままくるんですよ」と説明すると、「それだったら、分からない状態のほうが受けられるのかなと」とノーサインの理由を明かした。
1982年には肘を故障し、腱の移植手術を経た村田氏は、1985年4月14日の西武戦で再び先発のマウンドに立つと、その試合前に「彼(袴田氏)に助けてくれ。頼むから勝たせてくれって」と話していたことを明かすし、その一方で袴田氏も「苦しんでる姿を見ましたし、余計に必死になりましたね」と話した通り、村田氏のフォークを後逸しないよう必死に捕球し、1073日ぶりの完投勝利に貢献。「最後に握手したときは、二人で勝てた。お前がいたから勝てた」(村田氏)、「そりゃ嬉しかったですね。最後まで村田さんがマウンドにいてくれたってことで、握手より飛びついた気がします」(袴田氏)と振り返った。
あれから20年以上もの月日が流れた先月、長野で行われた野球教室で23年ぶりにバッテリーを組んだ両氏。子供たちの前で村田氏がフォークを投げると、袴田氏はポロッと落球。「捕れたじゃないか!」と大声を挙げる村田氏に、袴田氏は「23年ぶりにフォークを見てますから、落ちてます」と嬉しそうに答えた。