イタリアの監督や選手たちによる賛辞の言葉は嫌味にしか聞こえない。お前ら弱いのによく頑張ったな、そう言われているようにしか聞こえない。南アフリカW杯前、パク・チソンが「歴代の日本代表の中で最も弱い」と当時の岡田ジャパンの事を酷評したが、その言葉の方がよほど愛があると思う。私は、イタリアの監督や選手たちから負け惜しみの声が聞きたかった。私は、バロテッリが問題児振りを発揮して、ふてくされたり、退場になったり、そういう姿が見たかった。むしろこの試合のバロテッリは普通の選手だった。それでも日本代表は善戦したと言えるのか? スコアが「3−4」だったからそうなのか? よく考えてみて欲しい。

それと、この試合の日本の戦い方を、ポゼッションサッカーをした、などとは、間違っても思って欲しくない。この試合の日本のサッカーは、ポゼッションサッカーではなく、ただ攻撃的に戦っただけのサッカー。欧州遠征のブラジル戦にしてもそう。相手にポゼッションさせられていだけの受動的なポゼッションサッカーはポゼッションサッカーではない。イタリアがガンガンとボールを取りに来たけどポゼッションできたのか? 守備的な意味のあるポゼッションを日本代表ができていたのか? まるでバルサやスペインかのように日本がイタリアの守備を崩して得点を奪ったのか? 選手たちを批判するべきだとは言わない。しかし、選手たちですら望んでいないような擁護をして何の意味がある? 本当によく考えてみて欲しい。