【プロ野球】少しの手応えと多くの課題。4番・中田翔の153試合
日本シリーズ第6戦、日本ハムの4番・中田翔は敗戦の瞬間をネクストバッターズサークルで迎えた。ジャイアンツファンの大歓声が東京ドームを包み込む中、ゆっくりと三塁側ベンチへ引き返す途中、中田はチラリとスコアボードに目をやった。序盤に3点のリードを奪われる劣勢の中、6回表に刻まれた「3」。一振りで同点に追いついた一撃は、手負いの4番として意地の一発でもあった。
シリーズ終了から2日後、第2戦で澤村拓一から受けた死球で左手甲は骨折していたことがわかった。それでもシリーズでは、死球を受けた2戦目こそ途中交代したが、残りの試合は4番としてフル出場を果たした。栗山監督の「本人には『いって』ではなく『いくよ』って言う。チームも(中田)翔がいないと困るという雰囲気になっている」という言葉を待つまでもなく、中田本人は何があっても出場するつもりだった。
そして第3戦、シリーズ初ヒットを放った直後、一塁ベースで手袋を外す時に中田の顔は大きく歪(ゆが)んだ。
「別に大丈夫っすよ。まだ何日かしか経っていないんで、そんなに変わんないですから」
試合後、左手の状態を聞くと、そう返ってきた。だが、試合前には「痛み止めは効かないし、腫れて力が入らない」と語っていた。もしその状態と変わらないのであれば、決して「大丈夫」なはずではない。それでもチームの命運を握る4番として弱音など吐けるはずもなかった。
振り返れば、開幕から4番に座った中田だが、ペナントレースでも苦しんだ。開幕からノーヒットが続き、シーズン初安打は6戦目の第3打席、じつに25打席目のことだった。打率も2割に満たない時期が続いた。「一軍と二軍を行き来する選手を見ると申し訳ない気持ちでいっぱいだった。一番打てていないのは、自分なのに……」と悔しい日々を送った。「うまく力が伝わらない」と交流戦最中の5月末に、これまで取り組んできたノーステップの“ガニ股打法”を止め、左足を大きく上げるフォームに変更。そこから徐々に上昇の気配を見せ始めたものの、前半戦の成績は打率.202、本塁打10、打点39と納得できる数字ではなかった。
だが、8月に入ると持ち前の力強いバッティングを取り戻し、打率.330、本塁打6、打点14をマーク。さらに熾烈な優勝争いの中、9月28日の西武戦では1試合2本塁打を放つなど5打点の活躍でマジック4を点灯させ、3年ぶりの優勝を引き寄せた。シーズンが進むにつれ勝負強さを発揮し、最終的に打率.239、本塁打24、打点77まで数字を上げた。
そして4番として迎えた初めての日本シリーズ。初戦から9打席ノーヒットが続いたが中田への信頼は変わらなかった。「翔が左手の痛みをおしてやっているのはわかっている。少しでも楽にやらせてやりたいと、周りのみんなが思っている」と語ったのはベテランの稲葉篤紀だった。
ペナントレース序盤、まったく数字が上がらない中田に対し周囲から不満の声が上がらなかったのは、中田の努力を知っていたからだろう。稲葉が課したという試合後のバッティング練習は、シーズン最後まで休むことなく続けられた。「野球がうまくなるために努力は一切惜しまない」という中田の姿勢は、一度もぶれることがなかった。だからこそ、栗山監督もこの男に賭けたいと思ったに違いない。「将来のことを考えれば、4番は中田しかいない。それが使命」と、4番としての責任と覚悟を育てていった。
ただ、日本シリーズでは死球の後、本来のスイングではなかった。第3戦の試合前の打撃練習でも柵越えは2本。
「考えないようにしても、本能的に左手をかばおうとしてしまう。フルスイングしようとしても、手首を返すときに痛みが走ってしまう」