伸井太一『ニセドイツ3』社会評論社
同じ著者による『ニセドイツ』シリーズの第3弾。カバーを飾るのは、西ドイツが誇る名車フォルクスワーゲン「ビートル」のうち、累計100万台達成を記念してつくられた黄金のビートル。現物は、ヴォルフスブルクにあるVW自動車博物館に展示されているという。ちなみにこのシリーズ、黄色いカバーの1巻、赤いカバーの2巻、そして黒いカバーの3巻とそろえていくとドイツ国旗が完成する。

写真拡大

先頃、フロッシュというドイツ生まれの家庭用洗剤が旭化成より発売された。宮崎あおい出演でテレビCMも放映中だ。カエル(ドイツ語でフロッシュ)がトレードマークのこの洗剤は、ドイツの政治と浅からぬ関係がある。

伸井太一の『ニセドイツ3』という本によればフロッシュが生まれたのは1986年、当時の西ドイツのマインツ市においてだった。

フロッシュは当初より環境に優しい洗剤という触れこみで売り出されたものの、ヒット商品になったのは2000年代に入ってからだった。この背景にはドイツ全体での環境ブームがあるという。同時期のドイツでは1970年代に誕生した「緑の党」が徐々に勢力を伸ばしていた。フロッシュが発売された頃、マインツ市に隣接するヴィースバーデン市を州都とするヘッセン州では、緑の党初期からの代表メンバーであるヨシュカ・フィッシャーが環境大臣を務めていた。これと前後して1983年に国政に進出した緑の党は、東西ドイツ統一後の1998年には連立政権に参加するまでにいたり、党首のフィッシャーは副首相兼外務大臣として入閣した(在任期間は2005年まで)。緑の党は政権内にあって、環境に優しい製品への優遇措置をとることになる。フロッシュもその恩恵に預かったことはいうまでもない。2009年にフロッシュの本社移転式典にはフィッシャーも出席、くだんの洗剤を「自分と同様に緑の時代のひとつの先駆者」と讃えている。

前出の『ニセドイツ3』はフロッシュを引き合いに出しながら、緑の党の功績として第一に《環境問題の解決策を「ビジネス」の俎上に載せたこと》をあげる。緑の党は、旧来の左翼のように資本主義と対立するのではなく、資本主義に乗っかりながらも環境問題を改善することをめざしたというのだ。こうした事実は、日本人の抱く緑の党のイメージとはちょっとズレがあるかもしれない。同書は先の文に続けて次のように指摘している。

《日本での、「緑の党」理解は、「緑の党」を理想化するあまりに歪んでいる場合が多い。たとえば、反核や環境だけを取り出しており、ビジネスライクな緑の党を見ようとしていない。ドイツの緑の党は、反原発の主張にしても代替エネルギーによる環境産業として、環境運動をビジネスを遡上(ママ)に乗せたのである》

ちょっと話が固くなったが、『ニセドイツ3』は政治だけでなく、旧西ドイツの工業製品や生活用品、ポップカルチャー、オモチャなどの子供文化などさまざまなモノや事柄を通じて、ドイツの現代史を描き出している。文字は細かいがひとつの記事が短いうえ、写真もふんだんに使われていて、さながら「写真で見る現代ドイツ百科」という趣きだ(できれば、索引もつけてほしかったところだが)。

巻頭にはフォルクスワーゲンのビートル(カブトムシ)やベンツのウニグモ、ポルシェの赤いトラクターなどドイツの誇る名車たちが登場、カーマニアならずとも目を惹きつけられる。ドイツの食に関するパートも面白い。たとえば、ドイツのイタリアンレストランでパスタを注文する場合、あらかじめ「アルデンテ(固茹で)にできますか?」と訊ねたうえ、そこで「アルデンテって何?」と聞き返されたのなら注文は避けるべきだという。それほどまでにドイツの店で出されるパスタは柔らかく、コシなどあったものではないらしい。

ほかにも、現在はアメリカのコカ・コーラ社が商標を持つファンタが、もともとはドイツ生まれだったことや、日本のアニメ「アルプスの少女ハイジ」は西ドイツでもテレビ放映されたものの、ドイツ人にはいまだにヨーロッパ製のアニメと信じて疑わない人も多いこと(逆に、そこまで完璧にヨーロッパ風につくりあげた宮崎駿や高畑勲たちがすごいといえるが)などなど、トリビアも満載だ。

ぼくも子供の頃によく遊んだプレイモビルが、ドイツのおもちゃだという事実もこの本で初めて知った。1974年に発売されたプレイモビルは、「動物」「海賊船」「遊園地」などのテーマごとに、さまざまな職業を模したプラスチック製の人形が用意されている(このあたりはデンマーク生まれのレゴとも似ているが)。これでストーリー立てて遊ぶことで、想像力や表現力、あるいは社会性を育もうというねらいがあった。なかには、「酔っ払いのホームレスと職務質問する警官」とか「デートの約束をすっぽかされた男」などといった人形があったりして、そのリアルの追求ぶりはさすがドイツというべきか。

前出の「緑の党」が環境主義を掲げつつも、きわめて現実的にそれを具体化しようとしたことといい、西ドイツではあらゆる事物にリアリズムが貫かれていたように思われる。それは第2次大戦後すぐに始まった冷戦のなかで、分断された東半分(東ドイツ)がソ連の勢力下に組み入れられたことも大きいのだろう。共産圏と軍事上対抗するべく徴兵制が布かれ、ソ連と同じ「プロレタリア独裁」に依拠する共産党の活動が事実上禁じられた。一方で、よく知られているようにドイツ国内ではいまでもナチズムが厳しく禁止されている。西ドイツ時代より経済のみならず政治的にも軍事的にも西ヨーロッパのなかで大きな役割を担ってきたドイツだが、その地位を築くには、かつて戦争に巻きこんだ周辺諸国に対して、戦争責任の追及を徹底し信用を得ることがやはり必須だったのだ。

さて、『ニセドイツ3』ということは、もちろん『ニセドイツ1』と『ニセドイツ2』という本が先に刊行されているのだが、既刊2冊は旧東ドイツ(正式名称はドイツ民主共和国)をテーマに、どこかパチモン臭すらただよう工業製品や生活用品を通していまは亡き共産国家が顧みられている。

なおタイトルの『ニセドイツ』とは西ドイツのもじりで、第1巻の「おわりに」によれば《東ドイツ製品の「妖しい」雰囲気を強調する効果を狙った題名》だという。ただしこのニセは「贋」ではなく、《贋と言われたくがないための似せ》(太字は原文では傍点)であると著者は説明する。東西ドイツが「本物ドイツ」に似せるべく互いに競い合った、それこそが敗戦から東西統一までのドイツの歴史であったというわけである。

もっとも個人的に、『ニセドイツ3』を読んでいて、西ドイツと重ね合わせたのは東ドイツというより、むしろ我が日本だった。いうまでもなく西ドイツも日本も第2次世界大戦の敗戦国であり、戦後は主に工業製品の輸出により奇跡的な経済成長をとげた点で共通する。戦闘機をつくっていたメーカーが戦後の占領政策でそれを禁じられ、自動車製造へと転じた例は西ドイツにも日本にも見られるし、本書に載っている西ドイツの電化製品の広告などを見ると、日本の高度成長期のそれを思い起こしたりもする。

日本ではここしばらく高度成長の時代を懐かしむ風潮が続いているが、それと似たように、ドイツでも東西統一後、東(オスト)への郷愁という意味の「オスタルギー」という言葉が流行ったのに続き、近年では西(ヴェスト)ドイツ時代に対し《「奇跡の経済復興」「ドイツ人で団結して頑張り抜いた過去」などといったヴェスタルギーも少なからず存在している》という。これというのも、《高度成長という資本主義の夢をもはや見ることは叶わない、低成長時代に突入した》がゆえと説明される。

もっとも日本とドイツには共通点以上に、異なるところも多い。たとえば、東西ドイツ統一までに西ドイツの首相を務めたのは8人。コロコロと首相が変わる日本とはえらい違いだ。ここには、戦前のワイマール共和国が政治の不安定により崩壊し、ナチスの台頭を招いたことへの反省があるという。

そんな政治のあり方も含め西ドイツのたどった道を見ると、戦後の日本にももっとべつの選択肢があったのではないかという思いが頭をもたげる。果たして、もし歴代首相が長期にわたり政権を維持していたら? もし再軍備して徴兵制が布かれていたら? そもそも日本がドイツのように東西に分断されていたらどうなっていたのだろうか?(そんな仮定のもと書かれた矢作俊彦の『あ・じゃ・ぱん』のような小説もあったが)……旧西ドイツの歴史をヒントに、「ニセニッポン」ともいうべきパラレルワールドを想像してみるのも、今後の日本を考えるうえでけっして無駄ではないだろう。(近藤正高)