『わたしの小さな古本屋』田中美穂(2012年1月31日発売/洋泉社)
先月書いた『古本道入門』のレビューで「古本が好きすぎるヒトタチにはカビの匂いもチョコレートのように甘く感じられる」というような話を書いたけど、なんと、この本の最終章のタイトルもまた「チョコレートの匂い」なのだった。古本宇宙ってロマンチックよねえ。

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古書店の店主が書いた本というのは、思いのほか多い。有名なところでは葛飾区「青木書店」の店主・青木正美氏が書いた『東京下町古本屋三十年』や、青森「林語堂」店主・喜多村拓氏の『古本屋開業入門 ─古本商売ウラオモテ』、オンライン書店「杉並北尾堂」店主・北尾トロ氏の『ぼくはオンライン古書店のおやじさん』などなど、いくらでも挙げられる。
本書『わたしの小さな古本屋』もそんなひとつで、書いたのは岡山県倉敷で文字通りの小さな古本屋「蟲文庫」を経営する田中美穂さんだ。

彼女が古本屋を開業したのは、若干21歳のとき。それ以前に古書店で修行をしていたとか、どこかの商店で客商売の経験を積んでいたとか、そういうことはまったくない。単なるアルバイト暮らしをしていた女の子が、バイトを辞めたのをきっかけに、突然、古本屋をはじめた。普通なら、そこで別のアルバイトを探すとか、就職活動に取り掛かるとかするものだろう。なのに、彼女は古本屋の開業を思いついてしまった。思いついちゃったんだからしょうがないよね。

それまでに貯めていたなけなしの100万円を資金にして、不動産屋をまわった。予算は家賃5万円。多少予算をオーバーしながらも、なんとか格安の物件を借りることができた。屋号を決め、古物商の資格をとり、本棚を自作して、ようやく開業にこぎつけた。古書組合に加入するほどの予算は残っていなかったので、とりあえず店頭には自分の蔵書を並べ、仕入れはお客様からの買取りだけでのスタートとなった。このあたりのフットワークの軽さと行動力のたしかさには、目を見張るものがある。

古本好きなら誰もが一度は夢見るのは「自分だけの古本屋をひらく」ことだ。でも、ほとんどのひとは「やっぱり無理!」とあきらめてしまう。
古物商の許可申請って警察行かなきゃなんないんでしょ? 古本の売り上げごときで家賃払えるの? 本の束の積み降ろしで腰痛が悪化しそう。青色申告ってメンドクサーい!
だけど、本人にやる気さえあれば案外なんとかなっちゃうものなのだ。現に田中美穂さんもなんとかなっている。蟲文庫は1994年に開業して以来およそ20年。大儲けすることもないが、かといって夜逃げをすることもなく、なんとかやってこれている。

蟲文庫のある倉敷という土地は観光地でもあるから、普通の古本屋には起こりにくい出来事もたびたび発生する。
ふらりと入って来たお客さんに「ここは何をする場所ですか?」と聞かれたり、入ってくるなりトイレを探されたり、店内でバシバシ記念写真を撮られたり、本も買わずに荷物だけ預かってもらおうとされたり、しまいにゃ託児所として利用されそうになったり……。
わたしが店主ならブチ切れてるところだが、田中美穂さんは、こうした現象に対して、
「本が好きだというだけで古本屋になったわたしには苦痛でしかありませんが、ただ、裏返せば、これは、古本屋の持つ独特の入りにくさがない、ということでもあるのでしょう」
と、好意的に受け止めてみせる。
浮き沈みなく、蟲文庫が20年続いてきた理由の一端はこんなところにあるのかもしれない。

『わたしの小さな古本屋』を読むと、古本屋にも行きたくなるけれど、自分で古本屋をはじめてみたくもなる。
(とみさわ昭仁)