インタビュー:三池崇史監督「市川海老蔵は大物、三船敏郎さん以来の衝撃」
世の不条理を問う作家・滝口康彦の「異聞浪人記」を時代劇初の3D映画として映像化した『一命』。武士の誇りと家族愛を描く人間ドラマに仕上げたのは、映画『十三人の刺客』『クローズZERO』等の三池崇史監督だ。幅広い作風にして手堅くキメる、三池監督に話を聞いた。(取材・写真・文:南 樹里)
三池崇史監督(以下、三池監督):そうですね、ただ自分は別にアクションが好きってことでもない。アクションは、大変なんですよ。すごい才能が必要。だから、自分の場合はアクションといってもリアルではなく、“アクション風”(笑)。あと、ホラーっていっても僕自身は絶対にホラー映画は観ないから。
――監督は幅広いジャンルを手がけられますし、どちらかというと“動”のイメージが強いですけれど、映画『一命』では動を際立たせるための“静”を感じたのですが。
――それはなぜですか? 監督の過去作『インプリント 〜ぼっけえ、きょうてえ〜』は、失神しそうになりましたけど。
三池監督:だって、お金払って怖い思いしたくないもの(笑)。ホラーって、変なジャンルなんです。ホラー映画の監督って大概がホラーしか撮らないでしょ? ホラーファンなんですよ。ファンが作るのはいいと思うんです。けれども、その場合、自分の中で完結しちゃっている。だからホラーってジャンルは、世界で一番のオタクかもしれない。そういうタイプじゃなくて、僕はずっと“人”を撮ってきたわけ。ただ、人を撮っているとホラーになることもある。――やっぱり人間ってホラー要素を内包していて怖いですよね。映画を観ることで、人間の日常に潜んでいる恐怖を感じます。
三池監督:そうでしょ? 誰でも自分の心の中を正直に覗きこめば、「怖ぇ」とか「ヤバイよ、自分!」ってなるから! いろいろな宗教観はあるでしょうけど、悪魔とか怪物っていうのは登場させる必要はないんです。(過去作の)ホラー映画『オーディション』も人間だし、『インプリント〜』だって人間だしね。化け物を撮るより、人間を撮っているほうが怖くなる。――だからこそ、本作の(役所広司さんが演じた)井伊家の家老・斎藤勘解由にしても、(市川海老蔵さんが演じた)浪人・津雲半四郎の心の叫びが届かなかった、のではないかと?
三池監督:恐らく勘解由自身は、人の本質を分かっていると思う。実際に戦場でどれだけ人を斬ってきたかは定かではないけれど、あれだけの地位に居る人だから。彼らは、生きることは人を殺すことだという環境で生きてきたわけ。誇りがあるし自分の世界観を否定することになるから、半四郎の言葉一つで目から鱗(うろこ)とはいかない。それでも津雲半四郎という浪人に親近感というか、見事だという感情を抱く。彼の存在は勘解由の記憶に刻まれるし名前も忘れないと思う。だから勘解由が最期を迎える時、走馬灯のように巡る1ページとして津雲半四郎は出てくると思うし、それぐらいの影響は与えたと思う。半四郎にしても、それで十分。――その津雲半四郎が魅力的なキャラクターゆえ、井伊家に向かうに至るまでの期間、どういう気持ちでいたのだろかと考えました。
三池監督:津雲半四郎は世間に対してどうのではなく、自分に折り合いをつけるために行動したんです。あのままでは、彼があの世に逝っても自分の娘や娘婿に会わせる顔がない。一言でいいから、こういう状態だったという子どもたちの痛みを井伊家の者に伝えずにはいられなかった。当然、自決は覚悟の上。多少、額を傷つけたりしますけど、それはより深くメッセージを伝えるためであって、決して殺しはしない。刀を抜いてしまったら、単なる復讐劇。もし斬ってしまったら、復讐の連鎖が始まってしまう。そうでない部分が大事なんです。そんな市井の人の人生にも少しカメラを向けて、淡々と観ていくと、やっぱり素晴らしい。哀しいけれども美しい人生があるわけですよ。生きているって、こういうことだという。――それだから重みがあるのですね。
三池監督:でも、それってこの時代の人だけでなくて、どんな時代の誰にでも同じこと。だから重みを感じるのでしょう。