「ロシアの教室は”遠い国の異常事態”ではない」オスカー受賞ドキュメンタリー『プーチンの愛国教室』監督が日本人に鳴らす警鐘
ロシア・ウラル地方のカラバシュは、銅の精錬所を抱え、汚染の深刻さで知られる町だ。その町の学校で撮られた映像だけで作られた映画『プーチンの愛国教室』が、10月3日から公開される。学校行事の企画と記録を担当していた職員パヴェル・タランキンさん(作品では愛称のパーシャで呼ばれる)が侵攻後の教室を撮り続け、その映像を国外で受け取って作品にしたのが共同監督のデヴィッド・ボレンスタインさんである。第98回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した。コペンハーゲンを拠点にする監督に話を聞いた。
恐ろしいのは、これが遠い国の異常な話にとどまらないことだ。日本がこれから向かう先の景色にすら見える。
最初に届いたのは、歴史の授業だった
最初の映像が届いたのは、ロシアがウクライナへの全面侵攻を始めてから、わずか数週間後のことだった。歴史の授業である。ロシアからの石油が止まったので、フランス人はまた馬に乗ることになる。制裁で困るのは西側のほうだ、という筋立てだ。教師が生徒にそう説明している。
「驚きました。そして、これは何か重要なものだと、その場ですぐにわかりました。ヨーロッパ全体が、なぜ侵攻が起きてしまったのかと騒然としていた時期です。まさか現実になるとは誰も思っていなかった。その渦中に、教室で何が起きているかがリアルタイムで届いたのです」
誰を主人公にするのかも、どんな話になるのかも、その時点では決まっていなかった。撮影していたのもタランキンさん一人ではない。初期には監督のチームの一人が現地に入り、撮影する彼の姿を撮っていた。
「ありえない」が日常に変わるまで
監督が国外で見続けたのは、同じ学校で数年にわたって撮られた映像である。生徒の反応は、その間に変わっていく。
「授業が始まったばかりのころは、笑い声が多かった。真剣に受け止めていませんでした。それが、これは新しい現実の一部なのだとわかってくると、慣れて、日常の一部として扱うようになっていきました。ばかげたものとしか思われていなかったことが、当たり前になる。それがたった1年か2年で起きたのです」
作品には、民間軍事会社の傭兵が学校に来て武器の扱いを見せる場面や、生徒が手榴弾を投げる場面が出てくる。ただしその場面については、監督は少し違う見方をしていた。
「あの場面は、さすがに極端すぎたのだと思います。子どもたちの顔を見てください。何が起きているんだ、という顔をしている。あれが日常になったとは言えません」
そのうえで、授業が日常になっていく過程から受け取ったものを話した。
「私たちの考え方や、何を普通と感じるかが、どれほど柔らかいものか。学校でも、職場でも、社会でも、考えられないと思っていたことが、2年後には消えてなくなる。制度も規範も、あっという間に壊せるということです。だからこの映画は、行動の呼びかけでもあります」
銅の町では、兵士になることが最も賢い選択になる
卒業生は入隊し、戦地に送られていく。その流れをどう見たのかを尋ねると、監督は、社会全体を軍事化していくひとつのシステムだと答えた。プロパガンダの授業のなかで、それがはっきりと口に出されているという。
「ロシアで劇的に変わったこと、おそらく最大の変化は、兵士になれば良い金が稼げるようになったことです。学校では、兵士ほど立派なものはないと繰り返し教えられる。そして卒業すると、カラバシュの子は選べます。人が早く死んでいくのに金にならない銅の工場で働くか、その3倍を稼げる兵士になるか。ある意味では、経済的にいちばん賢い選択が兵士なんです」
日本では、多くの自治体が、その年度に18歳になる人などの氏名や住所を自衛隊に提供している。募集の案内を郵送するためだ。政府は自衛官募集の基本方針で、すべての市区町村からの提供を目指すとしている。
信じさせるためのプロパガンダではない
学校の愛国教育という題材に反応した理由は、これまで自身が手掛けてきた作品の延長にある。
「私が作ってきた映画は、どれもプロパガンダについての映画です。中国が舞台の映画は、外から人が来るときだけポチョムキン都市(ハリボテ)に仕立てられる街の話でした。インターネットについての映画でも、シリコンバレーが利益のために私たちの考え方や感じ方をどうコントロールしているかを扱いました。露骨ではありませんが、ある集団の力を強めるために人の頭の中を作りかえるという点では同じです」
今回は、その最も露骨な例にあたる。ただし監督は、最初はむしろ物足りなさを感じたという。
「正直に言えば、ずいぶん雑だなと思いました。ところが実際に作ってみると、驚くことばかりでした」
共通するものと、今回だけの発見は何か。
「共通しているのは、プロパガンダはどれも固有のものだということです。私は中国に10年住み、現地のメディアの中で働きました。その経験から言うと、中国とロシアではまったく違います。中国では、国の言うことに沿った意見を口にする人は、たいていそれを信じている。信じるだけの理由がある。ロシアでは、誰も信じていないと思います」
信じていない。それでも効果は生まれている。ここが今回の発見だった。
「ロシアのプロパガンダの目的は、納得させることではないように見えます。目的はむしろ、ばかげていることそのものにある。ばかげたことを何度も何度も言わせて、自分は何かを決められる人間だという感覚をなくさせる。自分の役割は、くだらないことを繰り返すことだけだと思わせ、しらけさせる。歴史のなかで自分が何かを動かせるという可能性を、頭の中から消してしまうんです」
日本では、内閣官房が2027年度予算の概算要求で、内閣広報室の経費に約72億円を計上した。2026年度の予算が約7億円だから、10倍を超える。高市早苗首相が個人のSNSアカウントで発信を続けるなかでの増額要求に、税金を使った政権の宣伝ではないかという批判が出ている。金額に加え、政府が自分の言葉を直接届ける回路を太くしていくことが気になる。
フロリダの教育でも、同じことが起きている
この作品の作り方について、監督は役割を分けて考えていた。
「パーシャがいたことで、この映画はロシアの人にとって意味のあるものになりました。私の仕事は、世界中の誰にとっても意味のあるものにすることでした」
アメリカでは、この作品を自分の国の話として見る人が多いという。いま世界が同じ方向に進んでいると感じるか。監督は即答した。
「その通りです。私はアメリカのフロリダの出身ですが、教育をめぐって同じような流れがいくつも起きています。これは自由主義への攻撃です。パーシャの学校のなかにあった自由な場所が壊されていく話です。同じことがアメリカで起きていて、ヨーロッパでも始まり、加速している。しかもロシアがそれを後押ししている」
自分の国ではまだ何も起きていないと思っている人は、何に気づくべきか。最後にそう尋ねた。
「自由主義をもう一度、魅力的なものにしないといけません。誰もが声を持っていい、社会のなかに違う生き方がいくつもあっていい。この単純な考えは、啓蒙の時代には過激なものでした。違う声や違うあり方を認め合う社会に自分たちが住んでいて、それを今では当たり前だと思えている。これは歴史の奇跡であり、そこには大きな希望があるはずです。壊すのは簡単です。維持するほうが難しい。だからまず、自分たちが作り上げてきた仕組みがどれほど複雑で興味深いものかを、もう一度受け止めることです」
日本の教育基本法は2006年の改正で、教育の目標に「我が国と郷土を愛する(中略)態度を養う」と書き込まれた。今年7月には日本の国旗を傷つける行為を罰する法律ができ、8月に施行された。参議院の参考人質疑では、憲法学者2人が合憲性を論証するのは困難だと述べた。この法律は、自民党と日本維新の会の連立政権合意書に明記されていたものである。同じ特別国会では、内閣官房に国家情報局を置く国家情報会議設置法も成立した。
高市首相はスパイ防止に関わる法整備にも意欲を示していて、同じ合意書は、その例として基本法、外国代理人登録法、ロビー活動公開法を挙げている。外国代理人という言葉は、この映画にも出てくる。ロシアでは、外国とつながりのある者を登録させるこの法律が、政権に批判的な人を社会から切り離すために使われてきた。タランキンさんとボレンスタイン監督の共同作業も、この法律によって犯罪になった。
制度の作りも、使われ方も、日本とロシアでは違う。それでも、ありえないと思われていたことが1年か2年で日常になったという監督の話は、日本の話として聞くべきものだ。
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『プーチンの愛国教室』は10月3日からシアター・イメージフォーラムほかで全国順次公開。
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