「1個3000円」の下請けから脱却したカバン屋がある。香川県高松市に工房兼店舗を構えるカワニシカバンプロダクトだ。2017年から自社ブランド商品の販売を本格化し、売上4億4600万円にまで伸ばした。無名のブランドをどうやって軌道に乗せたのか。社長の川西功志さんに話を聞いた--。
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カワニシカバンプロダクト社長の川西功志さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■全然売れなかったカバンが人気商品に

2017年5月、カワニシブランド第1号の帆布製カバン「abb(アベベ)」、続いて第2号の帆布製ガーデンバッグ「grabe(グレーブ)」を自社サイトで販売した。

「ブランド立ち上げ当時は、どのカバンもまったく売れませんでした。値段を下げても、売上はゼロでした」

しかし現在は、カバンや財布、リュックなど、色や素材の違いを含め約400のバリエーションを展開する中で、この2商品は人気トップ3に入る。ほかにも、2万~15万円のカバンや財布が、40代を中心に売れている。中には、販売開始から即完売するものも。

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安定して売れている看板商品は、一万円札がぴったり収まる長財布「ricchyL(リッチーL)」だという - 撮影=プレジデントオンライン編集部

売上ゼロから売れる人気ブランドになるまで、どのような経緯をたどったのだろうか。そもそも、下請けから自社ブランド立ち上げに事業転換したきっかけとは何か。

川西さんは、創業当時のある出来事を話し始めた。

■値上げ通告後、新規の仕事はゼロ

「売上ゼロになるとは思いもしなかったんです。経営者としての読みが甘かった」

事の発端は2016年12月、カバンのOEM製造を長年引き受けていた大口の取引先2社宛てに、加工賃を30%値上げした見積書を一方的に送ったことだった。4カ月後、イタリアに出張中の川西さんのもとに、入社したばかりのスタッフから切羽詰まった連絡が入った。

「4月からの仕事がありません」

大口契約は何の通達もなくいきなり打ち切られ、2017年の売上は800万円まで激減した。

いったい、なぜ無謀ともいえる行動に出たのか。

■スタッフの「実質時給」は400~500円

「下請けの限界が見えていたからです」

重みのある一言だった。川西さんは20代のとき、カバン職人の世界に飛び込んだ。それから約20年、ミシンの振動が体に染み込むまで、朝から晩までカバンを縫い続けてきた彼にとって、下請けのまま成長する未来の姿が見えなかったという。

内職スタッフ3人の力を借りながらカバンを縫っても、1カ月に作れるカバンの個数は最大700個。手元に入る加工賃は1個あたり約3000円。そこから材料費、管理費、諸経費を引くと、出来高制で働くスタッフの作業時間で換算した「実質時給」は400~500円程度にしかならなかった。

さらに稼ごうと数をこなすと、品質が甘くなる。そうなると取引先からクレームが入り、値段が叩かれ、稼ぎが減る。負のスパイラルとの闘いが下請けの世界だった。

■「下請けを続けても成長はない」

値上げが無謀な行為だとわかっていたが、「負のスパイラルから抜け出して、加工賃を少しでも上げたい」一心だったという。そう強く思ったのは、初めて社員を雇用したことが大きく関係していた。

カバン作りが好きでカワニシカバンに見学しに来た現女性社員を「絶対生活できるようにするから、うち来て働いてくれへんか」と、反対する両親も含め説得し誘った責任があった。

写真提供=カワニシカバンプロダクト
カワニシブランド第1号の帆布製カバン「abb(アベベ)」。初めての社員がデザインを担当した女性向けトートバッグで、名前の由来にもなった - 写真提供=カワニシカバンプロダクト

「取引先に平謝りして、前の加工賃で下請けを続けようかと安易な選択肢が頭をよぎりました。ただ、このまま下請けを続けていれば、内職スタッフの賃金を上げることも、社員を雇うこともできずに成長のないままでいると思ったのです」

決断を下すとき、カバン職人になる前の自身の姿が浮かんだ。高校卒業後、自動車整備士、浄水器の訪問販売員、iモードのコンテンツ営業、パチンコ店員、古着屋店員、ウェブデザイナーと職を転々として、仕事で直面する困難から逃げてきた。そのこびりついた癖を変えるため、がむしゃらにカバン職人として修行してきた。今があるのは、職人として数々の困難に向き合ってきた結果だ。

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カバン職人歴は20年を超えた - 撮影=プレジデントオンライン編集部

1週間後、前へ進む覚悟を固めた川西さんは、スタッフの前で宣言した。

「カワニシカバンをブランドにして自分たちの商品を販売していこう!」

■コロナ禍ならではの商品がヒットするも…

現在、自社ブランドの販売を本格化させてから10年目で、社員・パートは19人、売上は5億円に迫る。会社が順調に成長していったと思いきや、実は、「営業利益は赤字という低迷の時期が数年続いた」と、川西さんは話す。

当初、ネット販売ではなかなか売れなかったが、クラウドファンディングでの販売が軌道に乗り、2年目となる2018年の年商は約1800万円に増加。会社を法人化して、内職スタッフをパート・正社員として雇用。組織として本腰を入れ、売上が微増していた矢先の2020年、コロナ禍による外出自粛が始まった。

ところが、同社はコロナによって売上が低迷するどころか、わずか2~3週間で1500万円の売上をたたき出した。開発したキッチンペーパーで作るマスクホルダーが爆発的に売れたのだ。しかし、マスク不足が解消したとたん、瞬く間に商品は売れなくなり、同社は在庫を抱えた。にもかかわらず、川西さんはこの儲けと、コロナ支援金や補助金を合わせたすべての資金を店舗開業に投入するという賭けに出た。

2020年12月、コロナによる外出自粛が強まる最中、高松市に店舗を開店させた。この判断が裏目に出たことは、言うまでもなかった。

写真提供=カワニシカバンプロダクト
カワニシカバンの本社に併設されている店舗 - 写真提供=カワニシカバンプロダクト

■品質はいいのに売れない理由は?

「お店を出したら、商品が売れると安易に思っていたのです。経営者として、甘い考えでした。店をオープンした2021年からの1年間は本当にしんどい時期で、地獄でしかなかった」

開店直後の12月、メディアが店舗について記事で取り上げてくれたため、客足が伸び、商品が売れた。ところが翌月には客足は遠のき、店は閑古鳥に。借入金で確保していた手元資金が、毎月100万円単位で減っていった。

藁にもすがる思いで、売上につながることは何でも試した。クラウドファンディング、百貨店催事、イベントへの出店、ふるさと納税、ヤフーショッピング、店舗での接客。だが、売れなかった。品質はいいのに、売れない。

売れない理由は、圧倒的なネームバリューのなさだった。

「知らない人間が知らないカバンを売っている。そういうカバンは品質が良くても、値段を下げても、誰も買いませんよね。当たり前のことをこの時、痛感しました」

無名のカワニシカバンを知らしめるには、どうすればいいのか。川西さんが考えた手段が、インスタグラムとYouTubeでの動画配信だった。

■7年目、他社も褒める動画がバズった

「地獄の2021年」からの復活を可能にしたのが、翌2022年4月に再始動したYouTubeチャンネル「カワニシカバンの休日」だった。

カワニシカバンのYouTubeチャンネルは9月に登録者数15万人を突破した

「メチャ、可愛いもん、コイツは」と、創業当時のメンバーがキナリノの帆布製の「minimon(ミニモン)」を斜め掛けして言うと、もう一人が小ぶりな「abb(アベベ)」を手に取り、「使えば使うほど、色あせたり、寄れたり、角が白くなってくる。それが、いいんです」と愛着を見せる。

そんな商品のお気に入りを香川弁で語り合う女子トークの回もあれば、ユニクロや無印良品、ワークマンなど他社製品を、川西さんが職人目線で見立てる回もあり、内容は飽きることがない。2023年3月に投稿したユニクロの回は再生回数155万回、同年7月のワークマン動画は174万回を記録し、バズった。

そして、YouTube登録者数が1万人を超えると、自社商品の売れ方がガラッと変わった。

視聴者を釘付けにする訴求力によって、登録者数は今年8月、15万人を超えた。と同時に、売上も過去最高の4億4600万円を記録した。

■「ファンを作ろう」とは考えていない

2021年からインスタグラムでのライブ配信も毎日続けた。「カバンには関係ない話をグダグダ話すだけ」で見ている人は0人という時代もあったが、少しずつ視聴の輪が広がっていった。

「視聴者を増やして、ファンを作ることを目的に配信しているわけではないんです。カバンもそうですけど、洋服やアクセサリーも、ものづくりの現場では機械でなくて手作業で作られているっていうことを、もっと多くの人たちに知ってもらいたいんです。そのために『ものづくりエンターテインメント』として情報発信し続けた結果、ファンとの強い関係が生まれたのだと思います」

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自身の強みは「うそをつかないこと」と話す - 撮影=プレジデントオンライン編集部

カバン作りは「底辺の仕事」と言われたこともあった。従業員が「大した仕事していないよね」と家族に言われたと悔しながらに話したこともあった。自身の経営者としての甘さに涙を流したことも数知れない。さまざまな経験がカワニシという経営者を育て、カワニシカバンの価値を築き上げるまでの糧となったという。

■「10万円バッグ」で怒られた苦い思い出

「うちのブランドを象徴する10万円の最高級のビジネスバッグを販売しようと目論んだこともあったんです。1個売れば、下請け50個分の売上になり、利益率が上がるなんて考えて、意気揚々として、完成したバッグをある経営者とビジネスコンサルタントに見せたんです。買ってもらえると甘く考えていたんですよね」

彼らの反応は、「川西さんは、お客様のことを1ミリも考えていない。考えていることは、『10万円で売れたらいいな』ということだけだ。商品というのは、お客様の問題を解決するためにあるんです。このカバンは君の自己満足にしか過ぎない」「川西さんが最高のカバンと思っていないものを、何で僕が買わないといけないの」と手厳しかった。そのおかげで、目が覚めた。

この経験から、自分たちの商品を磨き続けることの重要性を確信し、現在では経営理念を「愛されるものづくり」と定めている。

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自社工場に加え、日本・ベトナムの協力工場で月平均1000個のカバンを手作業で作っている - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■「人生を上機嫌にするカバン」を作る

そして、セールをしない、自社ECを軸に顧客に直接商品を届ける、をポリシーに据えた。「ものづくりのエンターテイナー」として、定番商品に甘んじることなく、毎週土曜日に新商品を発表するタスクを課している。念頭にあるのは、ファンや顧客との関係づくり。ファンとの交流イベントを実施したり、視聴者とライブで対話したりするのも、そのためだ。

そうして築き上げたカワニシカバンを応援する人々とのつながりが、同社の強みになっている。

2026年4月、東京・神楽坂にも出店した。広さ6坪、週4日の営業だが、全国からカワニシカバンを求め、新旧ファンが足を運ぶ。

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神楽坂のメインストリートに6坪の店舗を構えた - 撮影=プレジデントオンライン編集部

日本一のカバン屋、100億円、そして世界進出。川西さんはそれらを通過点とし、その先に『世界一愛されるブランド』を見据えている。

「僕は、世界一売れるブランドよりも、世界一愛されるブランドを作るほうがわくわくするんです。お客様も社員も職人も取引先も、関わるみんなと一緒にブランドを育てていきたい。100億円も、日本一も、世界進出も、その途中にある目標です。いつか世界中の人に、カワニシカバンを届けたいですね」

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川西 功志(かわにし・あつし)
カワニシカバンプロダクト代表取締役
1981年香川県高松市生まれ。香川県立高松工芸高校卒業後、自動車整備、訪問販売等、iモード営業、パチンコ店店員、古着店勤務、Webデザイナー、自動車整備士など複数の職種を経験。その後バッグ工場に入り、サンプル作成、裁断、縫製、量産管理まで製造の全工程を現場で習得する。2013年、香川県高松市でバッグ工場「カワニシカバン」を設立。2017年から自社ブランドの販売を本格化し、下請け中心の事業から自社ブランド主体へ転換。EC販売やYouTubeでの発信を通じてファンを増やし、自社ブランドとして再成長。現在は製造と販売を一体化したD2Cモデルで事業を展開し、売上4億円規模まで成長。著書に『仕事ゼロ、お金もコネもない 小さなカバン屋が自分たちのブランドをつくるまで』(BYAKUYA BIZ BOOKS)。
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(カワニシカバンプロダクト代表取締役 川西 功志 取材・文=ライター・中沢弘子)