学歴系YouTubeチャンネル「wakatte.TV」の福島大学をめぐる発言が炎上した。「学歴」にまつわる話題が賛否を呼ぶのはなぜか。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「日本社会では格差が見えにくい。そのため“学歴”がわかりやすい目印になっているのではないか」という--。
「wakatte.TV」びーやま氏(左)と高田ふーみん氏(右)(プレスリリースより)

■なぜ「学歴系YouTuber」は炎上したのか

「学歴」ネタで人気と批判をともに集めていたYouTubeチャンネルwakatte.TV(わかってティービー)が炎上した。出演する高田ふーみん氏は、X上で謝罪するとともに、YouTubeにも「【お詫び】福島大学キャンパス調査の動画の件について謝罪させていただきます」と題した動画をアップした。

2026年8月28日公開の「【入試ラクすぎ?】国公立最下位⁉震災復興・放射線研究から驚きの入試事情まで!福島大学キャンパス調査!」との動画(現在は削除)で、次のように発言していた。

放射能とか原子力って、エネルギーで超重要な問題なわけですよ。福島大にはさわらせたくない

福島県では、2011年3月、東京電力福島第一原子力発電所事故が起きた。当該動画に対する福島大学の佐野孝治学長の声明(「本学を取り上げたインターネット動画について」)にあるように、同大学は、「地域の皆様をはじめ、国内外の大学・研究機関等と連携しながら、福島の復興と地域課題の解決に向けた教育・研究に取り組んできた」。

■大学の全てを「偏差値」で測る危うさ

上記の謝罪動画で、こうした経緯について「たくさんの方が教えてくださいました」と高田氏は述べている。高田氏は、こうした経緯を(ほとんど)知らなかったのだろう。松本洋平文部科学大臣が、9月4日の閣議後の記者会見で指弾した通り、「大学の研究力は、偏差値で判断することは適切ではなく」という認識が、高田氏には欠けていたのではないか。入学試験の難易度=偏差値という1つの物差しで、研究力を含めた大学全体を測ろうとしたのではないか。

すでに、高田氏をはじめ、wakatte.TVや、その運営会社、さらには関係者まで含めての批判をはじめ、論点というか、言うべき内容は出尽くしている。いまさら、屋上屋を架すよりも、なぜ、wakatte.TVが炎上したのか、さらには、なぜ、「学歴」に関するニュースに熱くなる(人がいる)のか、を考えたい。

■毎日のように学歴が「ネタ」になる背景

wakatte.TVへの批判が集まるなか、「週刊新潮」が〈「新文科次官は青学卒」なぜ東大出身者が減少? ブラック過ぎて「旧帝大卒にとって魅力的ではない」〉とする記事を掲載した。内容は見出しの通りで、教育行政を司る文部科学省の事務方トップ・事務次官に青山学院大学出身の矢野和彦氏が8月6日に就いたところに焦点を当てている。

矢野氏の経歴を紹介しつつ、記事のタイトルにあるように、彼が東京大学をはじめとする「旧帝大」=昔の帝国大学出身ではない理由として、大学ジャーナリストの石渡嶺司氏の「文科省に限ったことではないのですが、中央省庁で働くことが、東大や旧帝大出身者にとってあまり魅力的でなくなったことも関係しているのではないでしょうか」とのコメントを載せている。

中央省庁の幹部に占める出身大学を分析すれば、旧帝大出身者の割合が減っているのかもしれない。また、そこには「ブラック霞ヶ関」とも呼ばれる労働環境が影響しているのかもしれない。

ここで考えたいのは、こうしたかたちで、定期的に、というよりも、ほぼ日常的と言ってよいほどに「学歴」にまつわるニュースが報じられる背景である。

■小泉進次郎はコロンビア大院卒なのに…

たとえば、私自身がプレジデントオンラインから依頼され、寄稿した記事だけでも「学歴」に関するものは多い。小泉進次郎防衛相への「学歴ロンダリング」との揶揄について書いた記事〈本当は「コロンビア大院卒の超高学歴」なのに…小泉進次郎氏が「これだから低学歴は」とバカにされる根本原因〉では、大学進学率の上昇が「学歴コンシャス」な社会を招いているのではないか、と仮説を立てた。

小泉進次郎防衛相[写真=防衛省・自衛隊(MOD、JSDF)/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons]

また、静岡県伊東市の田久保真紀・前市長の「学歴詐称」疑惑をめぐる記事〈なぜ人口6万人の伊東市長の「学歴詐称」が"祭り"になっているのか…東洋大学関係者だから気付いた根本原因〉では、東洋大学は知名度が高いものの、超高偏差値ではない“絶妙な立ち位置”にあるところが、たくさんの人の反応を呼び起こしたのではないか、と書いた。

どちらも、国や社会の行末をゆるがすほどの重大なテーマとは言えないのかもしれない。にもかかわらず、いや、だからこそ、興味を惹くのではないか。

■学歴は「格差」を見える化する

「学歴」が重要ではない、とか、「学歴」は社会では関係ない、といった「建前」を言いたいのではない。あるいは逆に、「学歴」は大切だ、とか、「学歴」こそ資産なのだ、とする「本音」を暴露したいわけでもない。

そうではなく、これまで、そして少なくともいまの日本において「学歴」は、とりわけわかりやすい「格差」(のひとつ)なのだろう。「学歴」そのものが「格差」なのではない。「学歴」が「格差」を見える化するのではないか。

社会学者の佐藤俊樹氏が『不平等社会日本 さよなら総中流』をあらわしてから四半世紀以上が過ぎた。日本に「格差」があるのかないのか、あるいは、どんな「格差」なのかをめぐって、私たちは25年以上にわたり、毎年のように、毎日のようにニュースを見聞きしてきた。

過去で言えば、「勝ち組」とされた「ヒルズ族」と呼ばれる人たちのライフスタイルが話題になった。最近では、不動産経済研究所の調査によれば、2026年7月に東京23区で発売された新築マンション1戸当たりの平均価格は2億6520万円になり、注目を集めた。

写真=iStock.com/mizoula
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mizoula

■キャッチーに「序列」を表現できる

裏を返せば、これだけ飽きもせずに語り続けられるほどに、私たちにとっての「格差」とは、格好の「ネタ」と言えるのではないか。「格差がない」とか、「格差は大したことがない」と主張したいわけではない。東から太陽が上り、西に沈む、といったような自明の理ではないからこそ、私たちはずっと「格差」語りをやめないのではないか。

とりわけ「学歴」は、「格差」のなかでも、もっとも見えやすく、その反面、どのような影響があるのかが見えにくいのではないか。大学名は履歴書に書けるし、裏付けとなる偏差値がある。「早慶上理」や「GMARCH」から「Fラン」に至るまでキャッチーに序列を表現できる。それゆえに、いつもトピックにしやすいのではないか。

「学歴フィルター」ということばに代表されるように、就職活動において、大学入試の偏差値が高い大学以外を除外する企業はあるのかもしれない。出身大学別の年収ランキングは、ネット記事やTikTokの動画で取り沙汰されている。「学歴」による「格差」はあるのだろう。

けれども、その影響、それも、生活に直結する影響が、どこまで、どんなかたちなのかが、この社会では見えにくいのではないか。

■学歴が「社会的地位」を左右する国

おとなりの国・韓国を例にとろう。

ソウル大学を頂点とする「学歴」の序列が厳然としていると言われて久しい。2019年に広島大学の小川佳万・姜姫銀両氏がまとめた「韓国の高等教育政策 直面する課題と利害関係者」で、姜氏は、「ソウル大学(国立)が頂点に位置し、私立の高麗(Korea)大学・延世(Yonsei)大学(これら3校のイニシャルをとって、一般に「SKY」と呼ばれる)をはじめ諸大学がそれに次ぐヒエラルキーは『学閥社会』の象徴であり、その再生産の主な装置でもあることに異論の余地はない」と断言する(第5章 大学統合ネットワーク論 「大学序列体制」の解体をめぐる諸論について)。

ソウル大の正門モニュメント(写真=서어현/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

これには、小川氏が同書で描写する次のような状況が前提となっている。

ほとんどの高校生は、誰もが進学するからこそ特に名高い大学への進学を望んで激しい受験競争に自ずと参加する。そして、その多くが、有名大学への合格のみを優先するため、自分の適性や関心などとは関係のない専攻を選択し、大学生活では学問より、資格取得や留学経験などの「スペック稼ぎ」に専念するようになる。韓国ではこのように大学への進学がまるで義務であるかのように認識され、逆に進学しない人たちを「正当なルート」から逸脱した問題人のような奇異な目で見ることさえある(第2章 高等教育における若年者雇用問題への対策 中小企業就職への支援と生涯職業教育体制の構築を中心に)

■韓国や米国ほど競争は激しくないが

私の友人であるソウル大学教授は、同大学卒業後に米国で博士号を取得し、その後に母校で教鞭を執っている。娘も同大を卒業後、いまは彼と同じく米国の大学院に通っている。そんな彼は「自分はラッキーだ」と何度も言っていた。そうでも言わなければならないほど、つまり、「学歴」は自分の実力や努力の賜物だ、とは断言できないところが、韓国社会での「学歴」の大きさを物語る。

あるいは、その彼が学位を取った米国であれば、変化は見られるとは言うものの、アイビーリーグと呼ばれる大学群と、それ以外とのあいだの「格差」が喧伝されてきた。

ひるがえって日本は、どうか。いくら「学歴」が重視されている(と思われている)からといっても、ここまで苛烈ではないだろう。ダブルスクールに勤しむ学生もいるし、「ガクチカ」=学生時代にチカラを入れたことを増やそうとする学生も少なくない。日本にも大学名による序列がある(と言われてきた)。それでも、韓国ほどには強いとは言えないのではないか。

■複雑な違いを「わかりやすい記号」にする

日本社会でも、人種や、性別、出身地、あるいは宗教といった、さまざまな要因による「違い」がある。ただ、それらを一目で判断できる「記号」には乏しい。いろいろな要素が生み出す(とされる)「格差」もまた、可視化されにくいのではないか。

もう少し慎重に言えば、日本から見れば、そうしたいろいろな要素による「格差」は、見えやすい(ように感じる)。「あの国は、宗教対立があるから」、とか、「かの国では、人種差別がまだ残っているから」といったかたちで、納得しやすい。

これに対して、日本のなかから日本を見る場合は、当事者である以上、いろいろな「違い」が、まず見えにくい。その上、街中にホームレスがあふれてもいなければ、韓国のように「スペック稼ぎ」が常套手段になってもいない。すると、「東大卒」「Fラン」といった「学歴」をめぐる表現が、複雑な「違い」を、誰にでもわかるかのような記号に置き換える(ように見える)。

「学歴」がこれほど頻繁に取り沙汰され、ときに炎上するのは、社会における「格差」そのものというよりも、見えにくい「格差」を、大学名=偏差値という記号で、理解しやすくしているからではないか。

■炎上騒動は私たちの社会を映す「鏡」

むろん、子どもの貧困率の高さをはじめとして、「格差」は至る所にある。もはや「総中流」とは言いがたい。

それでも、もしくは、それゆえにこそ、私たちは「学歴」という、見えやすく、それでいて、「格差」にどれぐらいつながっているのか、とらえがたい目印をめぐって、語り続けてきたし、いまも語っているのだろう。

メディア史家の佐藤卓己氏の近著『受験戦争のメディア史 無名戦士たちの合格体験記』の書名にある「受験戦争」が死語になるほどに、もはや競争は緩和されたものの、かえって、ますます、「学歴」(というよりも、大学入学試験の偏差値)による序列への注視は、強まっているのではないか。

大学の価値を偏差値だけで測る。それが問題なのは、わざわざ言うまでもない。けれども、偏差値という1つの数字で大学を並べたくなる誘惑は、wakatte.TVだけのものではない。私たちは、社会の「格差」を、できるだけ簡単な言葉で理解したい。「東大」「Fラン」といった、わかりやすさだけで、人の努力や能力、さらには人生までわかった気分に浸ろうとする。その意味では、wakatte.TVの炎上は、特殊な人たちの問題というよりも、私たち自身が「学歴」をどう見ているのかを映す鏡なのかもしれない。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)