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年金の受給開始時期を遅らせる「繰下げ受給」。最大84%増額される制度ですが、実際に繰り下げた高齢者からは「思ったより増えていない」という声も……。本記事では、年金を5年繰り下げて額面が月8万円アップしたものの、手取り額に違和感を覚えた71歳男性の事例をもとに、年金が増えることで生じる「税金と社会保険料の負担」について、CFPの石川亜希子氏が解説します。

貯金2,000万円・71歳おひとりさま男性…5年の「年金繰下げ受給」を決断

都内に暮らすマサルさん(仮名・71歳)は、年金の受給を5年間繰り下げました。しかし、年金が増えたようには感じられていませんでした。

マサルさんは若いころに離婚を経験したあとはずっと独身で、子どももいません。独り身ゆえ、老後の生活設計はしっかり立てていました。貯金も約2,000万円あります。

65歳の定年後、勤めていた会社で再雇用として嘱託で70歳まで働けることになったので、年金の受給は遅らせることにしました。月25万円ほどの収入を得て、65歳から70歳まで貯金を切り崩すことなく生活していました。

そして、いざ年金生活へ。年金は、繰り下げることで1ヵ月あたり0.7%ずつ増額されます。もともと、マサルさんの年金受給額は月に約19万円だったので、受給を5年間遅らせたことで月に約27万円になります。

額面で見れば、年金は月8万円増加しています。マサルさん自身も「これで余裕のある生活を送れる」と期待していました。しかし、実際に振り込まれた金額を見て、少し違和感を覚えます。

月8万円アップのはずが…年金が増えると引かれる「税金と社会保険料」

税金や社会保険料が差し引かれ、手取りはおよそ24万円ほどでした。65歳時点の額面が約19万円だったので、実際に増えてはいるものの「思っていたよりも増えてはいないな」と感じたマサルさん。

なぜ、このようなズレがうまれてしまうのでしょうか。まず押さえておきたいのは、公的年金は、所得税法上は「雑所得」として課税対象であり、非課税ではないという点です。

年金から直接差し引かれるものは下記のとおりです。

所得税
・住民税
・健康保険
・介護保険

総務省の2025(令和7)年家計調査報告(※1)によれば、65歳以上の単身無職世帯の平均は、実収入(年金などの額面受給額)が13万1,456円であるのに対し、非消費支出(所得税や社会保険料)が1万2,990円となっています。手取りは、約11万8,000円です。

雑所得は、累進課税制度といって所得が増えると所得税が増える仕組みです。住民税は一律10%ですが、元の所得が増えれば当然増えます。さらに、所得に応じて医療保険料や介護保険料も決まるため、年金受給額が増えれば、それに連動して社会保険料の負担も増えることになります。

つまり、年金の増額分のすべてが手元に残るわけではありません。マサルさんのように月8万円増えた場合でも、そのうち3万円程度は税金や保険料として差し引かれ、実感できる増加額は5万円ほどになってしまうのです。

この「思ったより増えていない」という感覚は、年金受給額が高い人ほど強くなります。もともと年金が月15万円の人が繰り下げた場合と、月25万円の人が繰り下げた場合では、後者のほうが税や保険料の負担が重くなり、手取りが増えていないように感じられるでしょう。

「思ったより増えていない」気力も衰え、71歳男性が抱えるモヤモヤ

65歳から70歳まで、再雇用による収入で貯金を減らすことなく生活できていたマサルさん。しかし、一方で、その5年間は旅行や趣味にお金を使う機会はあまりありませんでした。

「老後のため」と割り切って支出を抑えた生活をしていたものの、いざ年金生活に入ってみても、思い描いていたほどの変化は感じられません。

再雇用時代の収入が額面で約25万円、増えた年金の手取りが約24万円と、あまり変わらない気がしてしまいます。

さらに、70歳を過ぎて時間に余裕ができたものの、以前のように積極的に出かけようという気力が少しずつ薄れてきました。

「もう少し早く受け取って、その分を使ってもよかったのかもしれない……」

そう感じる一方で、繰り下げたことで年金額が増えているのも事実です。相談する相手もいないため、マサルさんはどうするのがよかったのかモヤモヤした日々を送っています。

【CFPが解説】額面ではなく「手取り」で比較を…年金繰下げ受給の判断基準

年金の繰下げ受給について、どのように判断すればいいのでしょうか。

まず意識したいのは、年金は額面ではなく手取りで比較するという視点です。たとえば、マサルさんのように月8万円の増額があっても、税金や社会保険料を差し引いた実質的な増加が5万円に留まる場合があるのです。

さらに、この増加分で繰下げ期間中に受け取らなかった未受給分の年金(19万円×12ヵ月×5年間=1,140万円)を回収するには、一定の年数がかかります。つまり、70代後半になってようやく効果が見えてくるともいえます。

そのうえで、次のような視点を持つと判断しやすくなります。

・65歳以降の収入源はあるか(再雇用やアルバイト、その他収入)
・医療や介護など、支出が増える可能性に備えられているか
・何歳頃に、どのようなことにお金を使いたいか

年金制度は、税や社会保険と密接に結びついています。そのため、「受給を遅らせると増額される」ことだけを切り取って判断するのではなく、全体のバランスのなかで捉えることが重要といえます。

繰下げ受給は、将来の安心を手厚くする選択ですが、一方で、その分だけ今の「使えるお金」や「使える時間」は相対的に減ることになります。金額だけで比較すると合理的に見える選択でも、その過程で生活の満足度が下がってしまっては、本来の目的から外れてしまう可能性もあります。

お金を使うタイミングは取り戻せない…納得感のある老後を迎えるために

年金を増やすことはできても、使うタイミングは取り戻せません。

繰下げ受給を検討する際は、「何歳でいくら受け取るか」だけではなく、「どの時期にどのような生活を送りたいか」、そして「そのためにどれだけのお金が必要か」を具体的に考えることが大切です。

そのような視点を持つことが、より納得感のある選択につながります。

石川 亜希
CFP

〈出典〉
※1 総務省「2025年(令和7年)家計調査報告」

https://www.stat.go.jp/data/kakei/sokuhou/tsuki/pdf/fies_gaikyo2025.pdf

※個人情報保護の観点から、登場人物の情報を一部変更しています。