「学歴は一生の財産」は、本当か。『学歴社会から実力社会へ AI時代の教育・雇用・評価を問い直す』(朝日新書)を出した一橋大学名誉教授の野口悠紀雄さんは「日本では、教育に対する投資は、さほど有利なものではない」という――。
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■企業の賃上げ率でわかる学歴課題

現在の企業の賃上げは、将来の人手不足に対応していることから生じており、大企業が新卒者を囲い込んでいるという見方がある。そうした行動が結果として大企業の賃上げ率を高くしているというのだ。

実際にそうなっているかどうかを確かめるために年齢別の賃上げ率を見ると、企業規模計では20〜24歳の賃上げ率は3.5%であり、45〜49歳の賃上げ率4.8%よりかなり低い。大企業では、20〜24歳の賃上げ率は4.6%であり、45〜49歳の6.9%よりだいぶ低い。したがって、大学新卒者の囲い込みのために賃上げ率が高くなるという見方は、受け入れられない。

若年者の賃上げ率がとくに高いのは、小企業だ。19歳以下が4.2%と高くなっている。これは、 高校卒の労働者を獲得するためのものであろう。

現在の状況から脱却するためには、利上げを行なって円高を実現し、輸入価格の下落を実現することが必要だ。それによって、物価上昇率を引き下げる必要がある。

また、生産性上昇によって賃上げが実現すれば、ここで見たようなメカニズムは働かない。いまは転嫁の可能性で賃上げ率が決まるから、問題なのだ。

したがって、技術革新や資本装備率の向上によって労働生産性を高めることが、長期的な政策として必要だ。

■経済的に「大学進学」は割に合うものか

前節で述べた問題があるにせよ、平均して見れば、同一年齢で大卒者の賃金が高卒者より高いことに違いはない。

では、賃金差をもたらす原因を考慮せず結果だけを見た場合に、大学進学は経済的に割に合うものになっているだろうか? 以下では、この分析を行なう。

図表1において、A、B欄の数字は、賃金構造基本調査のデータを年収に換算し、学歴別、年齢別に示したものである(2022年、全企業)。これは、「決まって支給する現金給与総額」であり、ボーナスなどは含まれていない。

出典=『学歴社会から実力社会へ AI時代の教育・雇用・評価を問い直す』(朝日新書)

ここで、賃金構造基本調査のデータは、働いた場合の平均賃金であると解釈し、高卒は18歳から、大卒は23歳から、その賃金を得ると仮定しよう。C欄の数字は、この仮定に基づいて計算した大卒と高卒の年収の差を、年齢階級ごとに合計した結果である。

■学歴による生涯賃金格差の推移

例えば、20〜24歳階級においては、前半3年間がマイナス、後半2年間がプラスになる。C欄の数字の累積値をD欄に示す。この数字は、最初はマイナスになる。これは、大学在学中に働かなかったことによる逸失所得を表わしている。

D欄の数字は、その後は増え続け、70歳以上では、4500万円を超える。本書『学歴社会から実力社会へ AI時代の教育・雇用・評価を問い直す』で、学歴によって生涯で4000万〜6000万円程度の差が生じると前述したが、ほぼそれが裏付けられるわけだ。

D欄の数字がプラスに転じるのは、40代の初めだ。仮に無利子で逸失所得分を借り入れることができるなら、高卒との賃金差で返済して、40代初めにそれを完済できることになる。

D欄の数字は、50代の初めに1000万円を超える。仮に大学に進学するための費用が1000万円であれば、これを借入で賄(まかな)い、高卒との賃金格差で返済すれば、50代中頃に完済できることになる。

■教育とは回収期間が極めて長い投資

大学進学に要する費用としては、まず学費がある。「国公私立大学の授業料等の推移」(文部科学省)によると、年間授業料は、国立大学で53.6万円、私立大学で93.1万円だ(2021年)。

野口悠紀雄『学歴社会から実力社会へ AI時代の教育・雇用・評価を問い直す』(朝日新書)

また、親元を離れて一人暮らしをすれば、家賃や生活費がかかる。大学進学のために私立の中学高校や塾に通えば、さらに費用がかかる。こうしたことを考慮して、進学費用を1000万円と考え、かつ無利子融資を利用できると仮定すれば、50代の中頃までに、高卒との賃金差でそれを取り戻せる。

ただし、50代の中頃とは、子育ての期間も終わり、子供が大学を卒業するような時期だ。この頃まで、自分の大学進学の費用を返済できず、退職を意識するようになって、やっと完済できるということだ。

つまり、教育を投資と考えれば、それは回収期間が極めて長い投資だと言わざるを得ないのである。

■高卒との給与差では“返済”できない実態

実は、現実は前項で述べたよりもっと厳しい。なぜなら、無利子融資は存在しないからだ。

貸与型奨学金や政策金融公庫の「国の教育ローン」は、利率は低いが、額に限度がある。したがって、大学進学費用を借入でカバーするには、民間の金融機関による教育ローンを利用せざるを得ない。その金利は2%から3%程度のものが多い。

こうしたローンで借入をした場合に、どの時点で完済できるかを調べるために、D欄の割引現在価値をE欄に示した。ここでは、割引率は3%とした。

そして、Eの累積値をF欄に示した。この場合には、累計値がプラスに転じるのは、50歳代前半だ。つまり、この時点になるまで、逸失所得を取り戻すことができない。

そして、累積値は、生涯を通じて1000万円には達しない。つまり、大学進学のために1000万円が必要であり、それを金利3%のローンで賄ったとすると、高卒との賃金差だけでは、完済できないことになる(生活費を切り詰めれば、返済できるだろう。「高卒との給与差だけでは返済できない」という意味である)。

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■過剰に供給されている日本の大学教育

実際には70歳以上で働く人は少数なので、69歳までを見れば、大学に進学することの価値は700万円程度でしかないということになる。学歴による生涯賃金差は4500万円を超えると前述したが、それとは大きく異なる結果になってしまうわけだ。

以上の結果を見ると、複雑な気持ちにならざるを得ない。

日本では、教育に対する投資はさほど有利なものではないのだ。3%の利回りが見込まれる投資対象があれば、大学に進学せずに、それに投資をした方が有利だということになってしまう。

日本では、大学教育はその程度の価値しかないということになる。これは、大企業への就職が確実でない大学に入学した場合に、とりわけあてはまる。

つまり、日本では、大学教育が過剰に供給されていると考えることができる。

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野口 悠紀雄(のぐち・ゆきお)
一橋大学名誉教授
1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省入省、72年エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院教授などを経て一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書に『「超」整理法』『「超」文章法』(ともに中公新書)、『財政危機の構造』(東洋経済新報社)、『バブルの経済学』(日本経済新聞社)。近著に『日本が先進国から脱落する日』(プレジデント社、岡倉天心賞)、『「超」メモ革命 個人用クラウドで、仕事と生活を一変させる』(中公新書ラクレ)、『プア・ジャパン 気がつけば「貧困大国」』(朝日新書)、『戦後日本経済史』(東洋経済新報社)、『日銀の限界 円安、物価、賃金はどうなる?』『アメリカが壊れる!』(ともに幻冬舎新書)ほか多数。
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(一橋大学名誉教授 野口 悠紀雄)