温泉ホテルの「廃墟」が観光名所に 佐賀・武雄温泉のホテルが取った大胆な起死回生策とは?
江戸時代末期に武雄(たけお)領主・鍋島茂義が作り上げた15万坪の池泉(ちせん)回遊式庭園「御船山楽園(みふねやまらくえん)」は、佐賀県武雄市の桜やツツジの名所として知られている。この公園内の北西側に建つのが「御船山楽園ホテル」。やわらかな泉質の武雄の湯が楽しめ、第11代佐賀藩主・鍋島直大(なおひろ)の別邸を移築した建物もあるなど歴史を感じさせるが、敷地にはデジタルテクノロジーの力で魅せる「廃墟エリア」があり、現代的な側面も併せ持つユニークな宿だ。
名所に建つ「御船山楽園ホテル」の廃墟アートとは?
「廃墟」というと、バブルの頃の負の遺産、捨て置かれた建物のイメージだが、御船山楽園ホテルの「廃墟エリア」はひと味違う。
使われなくなった廊下や大浴場跡などの廃墟エリアを閉鎖するのではなく、デジタルテクノロジーによるアート作品で彩った「廃墟アート」として新たな命を吹き込み、宿泊客が見て楽しめるエリアに昇華させたのだ。
ホテル2階の廊下の奥に足を踏み入れると、「こちらから先は廃墟エリアです」と書かれた立て看板が置いてある。壁はわざと落ちたままで、壁裏の鉄筋が露出している。照明の灯りもほとんどない。まずいところに足を踏み入れた……? 一瞬不安になる。
暗いトンネルの先に、赤々とデジタルの“焚き火”が灯る
そのまま進んでいくと、左右に赤いランプの灯されたトンネルが現れた。かなり暗い空間である。
「一人じゃ、怖くて進めないですよね……後ろからついていっていいですか?」
初めて会った浴衣姿の女性一人客が、こう話しかけてきた。お化け屋敷で立ちすくんだかのように、先に進めないらしい。一気に同志感が増す。
おそるおそる、長い廊下を歩いていった先には、暖炉の炎のように赤々と燃え盛る、デジタルテクノロジーによって再現された焚き火がゆらめいていた。暗がりの中でゆらめく炎が、廃墟の冷たい空間に温もりを与え、訪れる者に静かな安らぎをもたらす。デジタルだから熱くもないし、危なくもない。なんとも不思議な感じがする。
この作品を手がけたのは世界各国で活動するアートコレクティブ(芸術集団)「チームラボ」だ。
歴史的な場所に昭和41年創業、一時は経営破綻寸前に
ホテルが誕生したのは昭和41(1966)年で、団体旅行華やかなりし高度経済成長時代の真っ只中。その後、団体旅行が下火になるにつれて苦境に立たされる。現社長である小原嘉久さんが、この宿を買い取った父から引き継いだ頃には、経営破綻一歩手前だったという。
そんな、昭和の時代を象徴するような鉄筋コンクリートの大型ホテルが起死回生を図るため、2015年から手掛けたのが庭や館内をデジタルテクノロジーによるアートで彩った「チームラボ かみさまがすまう森」の展覧会。以後、10年間にわたって進化を続け、注目度も上がっていった。
なかでもフロアロビーや廃墟エリアを彩るアート展「チームラボ 廃墟と遺跡:淋汗茶の湯」は2019年に初めて開催された。2020年からは常設展示され、宿泊者とサウナ利用者は無料で作品体験ができる。11時から22時まで体験可能だが、廃墟ツアーだから行くなら断然、昼よりも夜の方がいい。
廃虚の大浴場に花々が咲く幻想的な風景
本館2階部分の建物奥に位置する元・大浴場は、「おそらく平成になってから、ずっと使われていなかった」(支配人の前田亮さん)廃墟である。
この《廃虚の湯屋にあるメガリス》と名付けられた大浴場には、今も半円形の湯船や洗い場がそのまま残っていて、巨大な石柱「メガリス」が不均一にニョキニョキとそそり立つ。この石柱にはコンピュータープログラムによって、1時間で1年間の花々が咲き、そして散り、枯れていく様子が描き出される。
同じ映像が繰り返し描き出されるのではなく、人が近づくと滝の水の流れが変わり、近くで人が動くのを感知すると、花が散っていくようにプログラミングされている。また、無数の水の粒子が作り出す線が空間を流れるように動き、幻想的な風景を生み出している。さまざまな要素が織りなす壮大なアート体験は、まさに生と死のサイクルが体感できる空間である。
チームラボが生み出すアートで、お化け屋敷が楽園に
さきほどの大浴場と左右対称の湯屋にも美しい花が出現するが、こちらは「チームラボ かみさまがすまう森-ジーシー」で11月初旬〜7月中旬に展示される《廃墟の湯屋のフラワーズボミング》という作品。この場所で7月中旬〜11月初旬に展示される作品《グラフィティネイチャー》を訪れた人々が紙にお絵かきした花々をスキャンし、デジタルで描き出したものである。
初めは「お化け屋敷」みたいな暗闇から始まった「廃墟ツアー」だったが、ピンクや黄色、青など色とりどりの美しい花々に囲まれているうちに、御船山楽園で自然散策をしているような清々しい気分に変わっていた。
御船山楽園ホテルの廃墟エリアは、単なる過去の遺産ではない。デジタルテクノロジーの力で生まれ変わったこの空間は、昭和の残骸が新たな命を得た、アート体験の場なのである。
「サウナシュラン」3年連続グランプリ!
また、このホテルはサウナー垂涎、サウナ界のミシュランこと「サウナシュラン」3年連続グランプリのサウナがある宿でもある。
地元の間伐材を薪サウナの薪に、御船山の古石をサウナストーンに。さらにサウナストーンに水をかけて熱い蒸気を出すセルフロウリュには「御船山の天然水」や、隣接する嬉野(うれしの)市名産「嬉野茶」の「ほうじ茶」を使っている。
薬草サウナには遊休地で育てたよもぎを用いる。水風呂もやわらかな水質の御船山の天然水。外の景色を見せる開放感のある休憩室では暖炉でかんころ餅を焼いて食べるなど、当地の自然と味覚を満喫できるサウナである。
ひとしきり廃墟巡りを楽しんだら、今度は温泉とサウナ浴場へ。現実と幻想が交差したホテルで“整って”帰ろう。
【武雄温泉】
730年頃成立した「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)」にもその名が記された古湯(ことう)で、神功(じんぐう)皇后が凱旋の際、太刀の柄で突いて温泉が湧き出してきたと伝わる。泉質は、無色透明でクセの少ない、柔らかな肌触りの単純温泉で、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が16世紀末に朝鮮出兵をした時には兵士の療養のための湯治場として使われた。武雄のシンボルともいえる竜宮城を思わせる天平式の楼門は大正4(1915)年の完成で、歓楽街として賑わった。御船山楽園ホテルは温泉街からは少し離れた場所にある一軒宿。
【宿データ】
『御船山楽園ホテル』
住所:佐賀県武雄市大字武雄4100
電話:0954-23-3131
泉質:単純温泉
アクセス:福岡空港から車で約1時間10分
https://www.mifuneyama.co.jp
文・写真/野添ちかこ
温泉と宿のライター、旅行作家。「心まであったかくする旅」をテーマに日々奔走中。「NIKKEIプラス1」(日本経済新聞土曜日版)に「湯の心旅」、「旅の手帖」(交通新聞社)に「会いに行きたい温泉宿」を連載中。著書に『旅行ライターになろう!』(青弓社)や『千葉の湯めぐり』(幹書房)。岐阜県中部山岳国立公園活性化プロジェクト顧問、熊野古道女子部理事。
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