小学生男子2人の母・青木裕子が「得意じゃないのに好きなこと」を続ける息子たちを見て思うこと

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フリーアナウンサー、VERYモデルとして活躍する青木裕子さん(instagram: @yukoaoki_official)は、10歳と8歳の2人の男の子の母。4月には、青木さんがお子さんたちと一緒に実践してきた「体験学習」の具体例や、小学校受験の大原先生による月々のアドバイスなどを掲載した、書籍『「学びが好きな子に育つ!」 青木裕子の3歳からの子育て歳時記』が発売されました。

子育ての正解ってある? 教育ママじゃダメ? 子どもにとって“本当にいいこと”って? などなど、青木さんが子育てをする上で日々感じているアレコレを、「子どもの教育」をテーマにしつつ徒然なるままに語っていただいている本連載。今回は、息子さんたちが“得意じゃないのに好き”なことについてです。

息子のサッカー愛

今日も長男の機嫌が悪い。ニコニコしていたかなと思っても、何が気に障ったのか、すぐに雲行きが怪しくなる。そういう年頃なのだ。

そんな彼がサッカーの準備をしている気配を感じながら、朝食の片付けをしていた時。ふと、テーブルに置かれたサッカー雑誌に目がとまった。海外のサッカー選手が笑顔で不思議なポーズをとっている。「ねえ、これさ、何かのポーズなの?」私の質問に、ムスッとしたまま玄関に向かおうとしていた長男が立ち止まる。あら、またイライラの実を踏んでしまった? と思った私の耳に予想外の明るい声が届く。

「それはさ、ゴールパフォーマンスなんだよ」急なご機嫌に戸惑う私をよそに、「こうやって、ゴールを決めた後にいつもやるわけ」と実演付きの解説。そのまま「じゃあ、行ってきまーす」と、さっきまでの不機嫌が嘘のように明るい笑顔で出て行った。そういう年頃なのだ。

思春期と反抗期についての考察は、まだまだ考えをまとめることも、冷静に受け止めることも、締め切りまでに原稿を仕上げることもできなそうなので割愛するとして、彼のサッカー愛にはほとほと感心する。

私から見るとオタクと言って異論ない程度に、彼の頭の中はいつもサッカーだ。やるのもみるのも読むのも知るのも、好きらしい。幼稚園入園のころ習い事としてサッカーを始めて早7年ほど。うっかり、私のTBS在籍期間に迫る勢いだ。

ただね、ここで残念な現実が一つ。うまくないのだ。いや、言い過ぎた。私と比べたらずっとうまい。“すごく”うまくはないのだ。情熱や費やした時間に比例して能力も上がっていくシステムだとしたら、もう少し頻繁に彼のゴールパフォーマンスが見られるはずだ。

でも、好きこそものの上手なれとは上手くいかないのが世の常である。どうにも割が合わない、と、スポーツ未経験者の私には思えてしまう。これは、次男の空手についても同じで、稽古が好きだ、喜友名選手が好きだ、空手の発祥の地だから沖縄が好きだ、と言っている割にはたいして上達しない。

“得意じゃないのに好き”ってすごい

周囲にはスーパーキッズと呼んで差し支えないようなお友達がたくさんいる。やれ、サッカーで野球でバレエで海外留学だとか、空手で水泳で陸上で全国大会だとか。そういう話を耳にすると、自然とそうではない子どもを持つ親同士、「習い事って何のためにやらせてるんだろうね」なんて話になる。「まあ、本人が好きっていうからいいんだけどね」って。

でも、よく考えてみたら、うまくないのに好きって、なんだかすごい。得意なことを好きになるのは、当然と言えば当然だ。何かの番組で何かの経営者の方が(あやふやな記憶でごめんなさい)「苦手を伸ばそうとするんじゃなくて、得意を生かそうとすることが大切」というようなことを言っておられた。

その通りだと納得したし、振り返ってみると私はそうやって生きてきたような気がする。運動よりも勉強が好きだったのは、勉強の方が得意だったからで、得意が先か好きが先かというのは、卵が先か鶏が先かというようなもので、つまり、得意なものが好きだったのだ。

決してアナウンサーに向いていたとは思わないけれど、学生時代から「アナウンサーになりそう」と言われることが少なからずあったことは事実で、だから自身の中に「私はアナウンサーになりそうな経歴でありタイプなんだ」という思いがなくはなかった。いやあったからこそ、アナウンサー試験を受けたのだと思う。

報われないのに頑張るより報われそうだから頑張る方が効率がよい。天賦の才がない者の生存戦略として間違っていないと思う。そう思えばこそ、息子たちの“得意じゃないのに好き”って、なんだかすごいと感じてしまう。

絶対かなわない恋だけど恋は盲目だから、というのとは違って、彼らには自分の実力がわかっていると思う。それでもなお「今」「自分が」「これが好きだから」やりたいんだという気持ちに突き動かされているのだ。もちろん「いつか俺だって」という気持ちもあるだろうけど、彼らがそんなに長期的な見通しをもって行動できるとは思えない。とにかく好きなのだ。素晴らしいじゃないか。

好きなことをする息子を見て決心したこと

こう考えると、どうも私は親として、成功体験とか達成感みたいなことに縛られすぎているきらいがあることに気付いた。そういった経験を積ませることで子どもの自己肯定感が育まれますという論調に肩入れしすぎなのかもしれない。

成功も達成もしなくていい。大人になったら、「失敗したけど頑張ったんです」は通用しなくなるし毎日の生活が忙しすぎて、どうしたって効率よく生きることを考えなくちゃいけない。スキマ時間だって資格取得の勉強をして意味ある時間にしなくちゃいけないし、一見楽しんでいるだけに見える飲み会だって、スポーツだって、実は立派なロビー活動だったり、SNSで充実した自分を演出するためのイベントだったりするのだ。

何にもならないかもしれないけど、好きだからやるって、なんて贅沢なことなのだろう! うらやましいじゃあないか。

彼らは彼らで、やらなきゃいけないことも多くて(私が小学生の時と比べると随分と忙しい)、それらとバランスを取りながらにはなってしまうけど、でも、好きなことを続けられるうちは存分にやってほしいと、思うことにしようと決めた。

そういえば先日、夫と何の流れだったか、「子どものころさ、足に縄をつけてくるくる回して反対の足で飛ぶ遊びしたよね?」という話になった。子ども時代に12年のずれがある私たちだけど、どちらの記憶にも残っていた。「あれって、今考えると意味のない遊びだよねえ」と話していて、ふと、今の遊びって意味のあるものが多いなあと考える。

多くの情報が手に入るようになったからか、現代人の忙しさを反映しているのか、子どもにもどうせやるなら意味のある遊びをという親心が強くなっている気がする。「同じ体験でも取り組み方で意味のある体験にすることができるんです」なんていう本もあるとかないとか。(『3歳からの子育て歳時記』よろしくお願いします) でも時にはなーんの意味もないことをしてしまう時間と心の余裕をもっていたいよなあなんて。

秋の夜風に吹かれながら、「体力をつけたい」という長男に付き合って縄跳びにいそしんでいると、意味とかなんとかどうでもいいやという気持ちになります。子どもと過ごせる時間は貴重だわ、と。(そりゃあ、「どうせやるならダイエットに」って考えないこともないけれど(笑))もしかしたら、子育ては、私にとって、得意じゃないけど好きだからやりたいこと、なのかもしれません。

2児の母・青木裕子が夏休みに息子と過ごして感じた「自分で考える」ことの重要性