愛し合うのは「傘」と「傘立て」!? 正気を疑うBLマンガ『放課後水入らず』はなぜ生まれたのか【BLマンガ家・あぶくインタビュー】

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 鍛え抜かれたBL読者はあらゆるものにカップリングを見出すというが、さすがにこのマンガには虚を突かれたのではないだろうか。傘 × 傘立て──しかも擬人化せず、ビニール傘と傘立てそのままの姿で愛を交わすという、異色のマンガが今、BL界をざわつかせている。

【漫画】「人体からは出ないであろう音を探しました」こだわりの擬音にも注目

 コミックシーモアに掲載された『放課後水入らず』は、株式会社人間が原作を手掛け、人気BLマンガ家・あぶくさんが作画を担当したBLコミック。オメガバース、ケーキバースなど、BL読者にはなじみ深いジャンルになぞらえ、「カサバース」という世界観を打ち出している。「男同士の裸を見るのは恥ずかしい」というBLビギナーに向けて、「濡れ場がやさしいBLジャンル」という触れ込みだが、蓋を開けてみればかなりの妄想力も試される玄人向け作品ともとれる仕上がりに。この問題作について、漫画家・あぶくさんにお話を伺った。

「企画を聞いた時は、全然意味がわかりませんでした」

──『放課後水入らず』は、「攻め」と「受け」を傘と傘立てに置き換えた作品です。株式会社人間がこの企画を立ち上げ、あぶく先生にマンガ化をお願いしたそうですが、最初に企画内容を聞いた時、どう思いましたか?

あぶくさん(以下、あぶく):もう、全然意味がわかりませんでした(笑)。バースというからにはペア性があるんだろうなとは思いましたが、本当に驚いて。しかも、傘と傘立てを擬人化するのかなと思ったら、最初から最後までずっと無機物。「あえて人間の姿は一回も出さないままいきたいんですよね」と担当者から言われ、「あ、強いな」って思いました。

──そもそもBLには、オメガバースをはじめとする「バース」という概念がありますよね。どういうバリエーションがあるのか、教えていただけますか?

あぶく:オメガバースから派生して、ケーキバース、Dom/Subユニバースなどたくさんの種類があります。商業化作品に限らず、趣味でBLを描いている方がどんどん新しいバースを生み出しているので、もう果てしなく数があるんです。大体共通しているのは、ペア性があること。「この子にはこの子じゃないとダメ」という感じですね。カサバースも傘と傘立てというペアがしっくりきたので、天才だなと思いました(笑)

──変な質問ですが、これまで傘と傘立てに対してそういう妄想をしたことはありましたか?

あぶく:ないです(笑)。本当に困惑しましたが、知り合いの作家さんからの紹介だったので、その方を信用してお引き受けすることにしました。

──あぶく先生に依頼があった段階では、すでに大枠のストーリーはできていたのでしょうか。

あぶく:はい。最初に、株式会社人間から青春王道BLと水泳部を舞台にした部活ものの2案をいただきました。マンガの公開が梅雨から夏頃を予定していたので、「水を感じて涼しげですし、部活もののほうがいいかもしれないですね」と提案させていただいて。笠井君と立山君というふたりのキャラクターも、すでになんとなく出来上がっていました。

「イメージに合う傘を探して、コンビニや薬局を回りました」

──作中では、自分の泳ぎに自信をなくしてマネージャー業に専念する立山と、そんな彼にひそかな憧れを抱く1年生エース・笠井のBLストーリーが展開されます。あぶく先生は、笠井君、立山君の設定を聞いてどんなところに魅力を感じましたか?

あぶく:笠井君は、クール系の一匹狼をイメージしました。ちょっと細身で、水泳部の学生なのでビニール傘がいいかな、と。作りやすいキャラクターでしたね。

──なるほど、傘と言ってもビニール傘ではない可能性ももちろんあったわけですね。

あぶく:そうですね。打ち合わせの時点で、「この傘は、人間だったらこういうタイプですよね」という話をしました。例えば、デパートで売っているような高級感のある傘なら紳士、とか。笠井君のモデルになったのはコンビニなどで売っているビニール傘でしたが、なかなかイメージ通りのものがなくて。笠井君を探して、コンビニや薬局を回りました(笑)

──同じビニール傘でも、「これは笠井君じゃない」とイメージに合わなかったんですね。どこが違うんですか?

あぶく:シュッとしていて、強風を受けると裏返りそうな傘が欲しいなと思っていたんです。でも、最近のビニール傘はしっかりとした作りで壊れにくそうで。まあ、泳いでいる時に壊れても困るしなと思い、最終的にしっかりしたものを買いました。

──立山君はいかがでしょう。

あぶく:立山君は弟や妹がたくさんいて、コンビニの傘立てのようにみんなに頼りにされているという設定でした。懐も深くて、誰でも受け入れるタイプの子。見た目も精神的にもしっかりどっしりしているところが魅力です。

──傘立ても、いろいろな種類がありそうですよね。

あぶく:そうなんです。最近は、傘の先端をスポッと入れる1本用のコンパクトな傘立ても。家庭で使う筒状のものや、柄を引っかける傘かけタイプもあります。ですが、今回は「このタイプでお願いします」とオーダーがあったので、学校で使われているようなどっしりした傘立てになりました。

──作中では描かれていませんが、あぶく先生はふたりの人間の姿も考えていたのでしょうか。

あぶく:そうですね。擬人化したらこういうタイプだなというイメージはありましたし、コミックシーモアや株式会社人間の皆さんにも人間バージョンを共有しました。笠井君は黒髪でクールな、シュッとした爽やかイケメン。あまり愛想はよくないタイプを想像していました。立山君は、笠井君より体格が良くてしっかりしたタイプ。優しげな表情で、おっとりしている子をイメージしました。

「我に返らず、狂気のままに突っ走ろうと思いました」

──人間の姿をイメージしつつ、描くのはあくまでも傘と傘立てです。作中では、1ページ目から傘がシュッと泳いでいて衝撃的でしたが、どのようにイメージを膨らませて作画したのでしょうか。

あぶく:プロットを何度も読み返し、とりあえず傘を手に持ってぐるぐる回しながら絵になる角度を探していきました。とにかく部屋で傘を振り回しましたね。

──じっくり見ていくと、「あ、この角度はカッコいい」と気づくものなのでしょうか。

あぶく:そうです。俯瞰で見たり、あおりで見たり、ちょっと開いてみたり、いろいろ試すとカッコいい角度が見つかって。ビニール傘は透明なので、表情もつけやすいんですよね。反射もあるし、水がかかった時にはキラキラするので。

──あぶく先生のお母様も、協力してくださったそうですね。

あぶく:母はBLに興味があるわけではないのですが、以前からうまく描けない時にポーズを取ってもらうことがありました。今回は、濡れ場で笠井君がちょっと膨らむんですね。自分ひとりだと傘の微妙な開き加減を写真に撮るのが難しかったので、母親に協力してもらいました。

──ちなみに、傘と傘立てのBLだと知って、お母様はどういう反応でしたか……?

あぶく:最初は動揺しつつも、気付いたら傘に思考を乗っ取られていました。頭の中が傘でいっぱいになったようで、夕食の時にもみずから「フリルの傘だったらさぁ」と不意に傘の話を振るくらい。私より、傘のことを考えていました(笑)

──あぶく先生も、作画の際には傘と傘立てのことばかり考えるわけですよね。

あぶく:そうなんです。途中で正気に戻ると「何やってるんだろう……」となってしまうので、狂気のままに突っ走ろうと思いました。ネームの段階から、何度も頭がおかしくなりそうになりましたね。人間はモブしかいなくて、ずっと背景を描いているような感覚でした。

──苦労された甲斐あって、傘の動きが見事でした。水中をシュッと泳ぐ姿、プールから上がってバサバサと水を切る姿など、「傘でここまで表現できるんだ!」と感心しました。

あぶく:背景に同化しないよう、無機物でありながら人間らしさを感じられるしぐさ、コミカルな動きを多めに入れました。傘はヒラヒラさせることもできますし、しぶきも飛ばせるので表情がつけやすいんですよね。逆に、傘立ては鉄の塊でしかなくて。体をひねることもできないので、タオルを置いたり、ガタゴト動かしてみたり、身ぶりを大きめにしたりして人間らしさを出しました。

──水泳シーンで、あぶく先生が特に気に入っているのはどの場面でしょうか。

あぶく:最初に、笠井君がクイックターンをするシーンはお気に入りです。

──冒頭のシーンですね。あの場面を見ただけで、読者も「あ、こういう世界観なんだ」とひと目で理解できたのではないかと思います。

あぶく:最初に「頭おかしいマンガだぞ」と伝えなければならなかったので、笠井君が普通に立って登場するようなシーンはそもそも考えていませんでした。かと言って、ただ泳がせると棒状のものがまっすぐ進むだけなので、クイックターンを入れて動きを出してみたんです。

──聞けば聞くほど、大変そうですね。もっとも苦労したのはどんな点でしょうか。

あぶく:もう苦労しかなかったですね。描いているのは傘と傘立てですが、背景だと思われず、登場人物として見てもらわなければならないし、ふたりの個性も出したくて。感情や動きを伝えるにはどうすればいいのか、すごく悩みました。人間が一切出てこないマンガも読みましたし、水泳の動画も観ましたね。でも、水泳部の部活マンガを選んだのは私なので、描き切らねばと頑張りました。とにかく試されている感が強くて怖かったので、「出せるものはすべて出さねば」と思って。

「人体からは出ないであろう音を探しました」

──では、濡れ場の注目シーンについてもお聞かせください。当然ながら、濡れ場も傘と傘立てで表現されていましたが、やはり苦労も多かったのではないでしょうか。

あぶく:濡れ場は、株式会社人間からの要望がすごくて(笑)。「もうちょっとここを膨らませてください」「傘をもっと開いてください」という修正がたくさん入りました。それならばと、傘を上下に動かしたり、エロティックに見せるために汁気を描いたり、生々しい擬音を入れまくったりしたのですが、今度は逆に「やりすぎです」と言われてしまいました(笑)

──人間同士の濡れ場では、使わないような擬音も描かれていますね。

あぶく:そうですね。人体からは出ないであろう音を探しました。傘が傘立てにぶつかる音を想像したり、傘が開く時のバスッバスッという音を入れたりして。フィニッシュシーンも「汁を濁してはいけません」と言われ、透明度を上げました(笑)

──フィニッシュで「アメージング」とつぶやくのも斬新でした。

あぶく:あのセリフは、プロットの段階からすでに書いてありました。株式会社人間の発案です。私には思いつかないです。繰り返しますが、決して私の案ではないです(笑)

──擬音以外で工夫したところは?

あぶく:体位ですね。人間の場合、「ここを見せたい」と思ったら、カメラアングルを工夫することができますけど、このふたりは無機物ですし、立山君なんて穴だらけなんですよね。作画の際に混乱しないよう、傘立てを3DCGにしてぐるぐる回転させて「この角度はもう描いたから今度はこのカメラアングルで」「でも、この角度だと笠井君がどうなっているのかわからないな」と工夫しながら描きました。傘が入る穴も間違えないように、「上から何番目、右から何番目」とメモしたうえで描いています。

──変なことを聞きますが、立山君はどちらが前面でどちらが背面なのでしょうか?

あぶく:細かいのですが、傘立ての後ろ側に金属の柵があるので、そっちを背中にしました。長い面と短い面どちらを正面とするかも悩みましたが、立山君はダイナミックな泳ぎをする設定なので、結局長い面を正面にしました。

「BLにこだわらず、普通のマンガとして軽い気持ちで読んでください」

──初心者向けという触れ込みですが、実は上級者向けのような気もします。あぶくさんは、初心者にやさしいつもりで描いたのでしょうか。

あぶく:傘と傘立てのペアな時点で、よくわからないですよね。ネームを描きながら「玄人向けな気がする……」と思いました。

──上級者には、どのような見どころがあると思いますか?

あぶく:培ってきた想像力が試されるマンガだと思うので、自分の好きな見た目を想像しながら読んでもらってもいいですし、濡れ場の体位がどうなっているのか考えるのも楽しいかもしれません。実は4つくらいの体位を描いているので、どうなっているのか想像してみてください。

──この作品を描いたことで、あぶくさんの中で新たな扉が開いたりはしませんでしたか?

あぶく:開かなかったので、逆に安心しました(笑)。でも、傘とか傘立てを見ると「あ」と思うことは増えましたね。BL思考とまではいかないですが、想像力をかきたてられるので、街を歩くのも楽しくなるのでは、と思います。

──表現の幅は広がりましたか?

あぶく:そうですね。トーンを手伝ってくれた友達と、完成後に「何かはわからないけど、何かを得たね」「スキルアップした気がするけど、何だったんだろうね」という話をしました。人間ではないものを人間のように見せる、無機物を色っぽく見せる、短い話の中で飽きさせないよう展開を作るといった、マンガに関する根本的な学びが本当に多くて。おかげさまで、背景を描くのはめちゃくちゃ速くなりました(笑)。

──読者からの反響はいかがでしたか?

あぶく:思った以上にいろいろな方に読んでいただけて、うれしいです。怒る方もたくさんいるだろうなと思っていましたが、楽しんでくださっている方が多くてびっくりしました。海外の方もX(旧Twitter)でリポストしてくれて。BLの文化を研究している方が、深掘りして考察してくださったりもしていてすごいなと思いました。

──BLは、妄想力を試される知的なジャンルでもありますよね。あぶくさんはBLの奥深さ、このジャンルの面白さについてどう捉えていますか?

あぶく:ひと口にBLと言っても、最近はリアルな恋愛からファンタジー、ホラー、SF、今回のカサバースのようなブッ飛んだものまで、本当に幅広い作品がありますよね。私が学生の頃は、ここまでBLが細分化されていなくてオフィスラブ、学園もの、幼なじみのようなジャンル分けしかありませんでした。今は、ベースはホラーでBL要素が加わったもの、異世界ものなどもあるので、探せば自分の好きな作品と必ず出合えると思います。

──読者層も広がっていますよね。

あぶく:そうですね。一時期サブカル系のような感じで読まれていたこともありましたが、今はもっと広がっている気がします。BLが好きで読むというよりは、マンガが好きで幅広い作品を読んでいて、その中の1ジャンルとしてBLも読むという方も多いですよね。年齢層も幅広いなと思います。

──あぶくさんは、本来どんなジャンルがお得意なのでしょうか。

あぶく:リアルなものより、ファンタジー要素が強いものが多いですね。片方は人間だとしても、相手は獣人やサキュバス。そういった人外ものをよく描いています。リアルな男性同士の恋愛はよくわからないので、要素を足したほうが楽しいし、描きやすいんですよね。

──コミックシーモアのレビューでは、『放課後水入らず』の続編を望む方、人間バージョンを見てみたいという方もいました。続編の構想はありますか?

あぶく:続編があるとしたら、他のマンガ家さんを紹介したいです(笑)。ネームの作業中は、インフルエンザの時に見る悪夢みたいな感じで、本当に頭がおかしくなるかと思ったので。

──苦労された甲斐もあって、完成度の高い作品に仕上がりました。これから読む方に向けて、アピールをお願いします。

あぶく:BLと聞くと入りにくいかもしれませんが、BLにこだわらず、普通のマンガとして軽い気持ちで読んでいただきたいです。そのほうが「こういうBLがあるということは、こんなものもあるかもしれない」と、いろいろな方向にハマる可能性がある気がしますね。レビューにも「あぶくが描いた人間同士のBLも読みたくなった」といううれしいお声があり、いろいろと興味を持っていただけたようです。令和の日本ならではの、多様な作品がいっぱいあるので、ぜひ幅広く楽しんでいただけたらと思います。

取材・文=野本由起