戦国武将・織田信長はこんな”声”だった!?『信長公記』など数少ない記録からその特徴を分析

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「快い声」だが…

織田信長はどんな人物だったのか」と聞かれたら、多くの人が、有名な肖像画などを思い浮かべることでしょう。それらの絵などからは、スラリと痩せた細面の男性だったとイメージさせられますね。

織田信長の肖像(Wikipediaより)

信長の外見についてはそうした手掛かりがありますが、では彼はどんな声だったのでしょうか? これについては、手掛かりはあるのでしょうか。

歴史上の人物の声など確かめようがない……と思われるかも知れませんが、実はそうでもありません。当時の人々が残した記録から、織田信長の声は非常によく通る声だったと想像できるのです。

例えば、宣教師だったルイス・フロイスは、その著書の中で信長のことを「快い声だが、人並み外れた大声を出すことがある」と、その特徴を述べています。

また、江戸初期の俳人で歌学者でもある松永貞徳は、若い頃に三条衣棚(現在の京都市中央区)の自宅にいた際、信長の大声を聞いたといい、その様子を記録していました。

松永貞徳(Wikipediaより)

その記録によると、1981(天正9)年に本能寺から内裏へと移動していた際、列が進まなくなったので信長は腹を立てました。そこで隊列に向かって怒鳴り声を上げたことがあったのです。

その時、信長は貞徳の家があった前述の三条衣棚から遠く離れた場所にいました。にもかかわらずその声が届いたというので、少なくとも信長の声がよく通るものだったのは間違いないでしょう。

戦場でも通る声?

他にも、信長が大きな声を上げたという記録が存在しています。太田牛一の『信長公記』は、織田信長に関する記録書としては第一級のものですが、これに青年武将時代のエピソードが載っているのです。

それによると、1556(弘治2)年の稲生の戦いで、敵に回っていた柴田勝家と林秀貞に対して大声を張り上げ、彼らを威嚇したというのです。

柴田勝家像

これらの記録や証言から想像すると、少なくとも織田信長の声は、戦場でもよく通る大きな声だったと思われます。

また、同時にしばしば人並み外れた大声を上げることがあったことも分かります。

昔から、このように声の大きい人物は場の主導権などを握りやすいものです。現代では、声の大きさだけで人を威嚇するのはパワハラと言われそうですが、もしかすると戦国時代においては、そういう点が信長の「強み」だったのかも知れませんね。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia