尾上右近

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歌舞伎俳優の尾上右近が「自己研鑽の場」として2015年、23歳で始めた自主公演『研の會』。今年で8回目を迎える今回は8月31日(土)、9月1日(日)に国立文楽劇場で初の大阪公演を行う。演目は、うら若い継母が継子に恋をする異色の名作「摂州合邦辻」と、能の「石橋」をもとにした長唄の人気舞踊「連獅子」の二作。右近をはじめ、中村橋之助、中村鶴松、尾上菊三呂、市川青虎、市川猿弥、尾上眞秀が出演する。「歌舞伎とは依存関係にある」と話す右近。一体どれほど歌舞伎に魅了されているのか。尋ねるうちに、こんこんと湧き出る源泉のように熱い思いがあふれ出した。

尾上右近

――『研の會』は自己研鑽の場ということで、これまでにもさまざまなチャレンジをされてきたと思いますが、右近さんは目の前に困難があったら奮い立つ方ですか?

いや、割と不安に押しつぶされそうになるタイプです。結構弱音を吐きますし、弱気にもなるし、くよくよします。周りに泣き言もよく言います。でも、やるとなったらやるしかないという状態になるので、その瞬間「そんなこと言った覚えないぞ」と強気になる感じが、困ったものです。

――『研の會』でも弱音が出てしまう時はありますか?

チケットが売れないと不安です。あとは別に不安じゃないです。大阪公演はまだチケットあります!

――チケットを売る時に、一番大切なことは何だと思いますか?

そんなの俺が教えてほしいですよ!(笑) ちなみに何だと思いますか?

――すみません……(笑)。私も一度、イベントを企画したことがあって、その時つくづく人の心を動かすのはめちゃくちゃ難しいと思ったんです。

本当にそうですよね。

尾上右近

――いざチケットを売る側になったら全然で、結局どうしたら買ってくれるのか分からなかったんですよ。

それは分からないですね。でもね、もう続けていくしかない。工夫することも非常に重要ですけども、工夫して、工夫して、これ以上工夫できないというところまでやって限界があるのだったら、いいお芝居をすることに専念するしかないというのが僕の考え方です。例えば、ひと月くらいの歌舞伎の興行で、自分が主役を勤めさせてもらったりすると責任は自分にありますから、たくさんお客さんを呼びたい。だけど初日近辺で「あれ? もっとお客さんが入らないとまずいな」と感じながら演じることがあります。そんな時は「今日、観に来てくれたお客さんには絶対に、また観に来てもらうぞ」というつもりでやる。一つの着火剤になるんですよね。それで後半になって尻上がりにお客さんが入ってくれると、「これで間違ってなかったんだ」と思うし、「最終的にいっぱいになったらしいね」と言ってもらえると、いいお芝居だったという印象が残るから、今度上演する時にはまた違うスタート地点からの話になってくる。だから、重ねていくことが重要なんじゃないかなと思います。一回や二回、思ったようにいかなくてもくじけちゃいけない。

――継続は力なりと。

くじけちゃいけないと思うくらい、そこに強い思いがあるかどうかということです。無理する必要はないから。本当にそれをやりたいのであればくじけてる場合じゃないし、くじけちゃうくらいだったらそんなに執着してないものだと思うんですよ。そうなったらもうさっと引いた方が精神衛生上、自分のためですよね。そこで無理をしてもいいものはできないし。人間関係もそうで、だから無理はしない方がいい。だけど、どうしてもやりたいのであれば、くじけないことは非常に重要なんじゃないかなと思いますね。

――自分自身への見極めも大事ですね。そういったことは、これまで『研の會』を7回上演されてきて学んだことでもありますか?

そうですね。でも最初は考えられなかったです。国立文楽劇場と(東京公演の)浅草公会堂は、20代の自分にはすごくキャパの大きい劇場という感覚もあったし、ましてやその頃、歌舞伎の興行はその劇場でやっていなかったので、想像できなかったです。なので、今こうやって「大阪はまだチケットあります」とお話しする弾みで、「東京はほぼ即日完売でした」とさらっと言わせてもらっていますけど(笑)、東京では4,000枚が売れているわけですから。それだけ買っていただけたということは、大きな劇場で自主公演をやるということを現実的に考えることが非常に難しかった時期のことを思うと、本当にありがたい限りです。

――そうですね。感謝ですね。

作り上げていく段階、チケットを売る段階、こうやって取材していただく段階では、真心を込めることが非常に重要だと思うんですよね。感謝と思いやりを忘れてはいけないんですけど、でもね、舞台の上ではその謙虚さは非常に邪魔になるものだなとも思うんですよ。当たり前のように、ふてぶてしく、ゴリゴリやらないと、人は感動しない。感謝というより威嚇すること。「私なんか……と思ってるやつに金払ってるつもりはねえぞ」と言われたら、「そうですよね」となりますよね。

尾上右近

――強気の方が惹かれますね。

そうそう、「俺の芸は価値あるだろ?」と言うくらいじゃないと失礼だと思うんです。でもそれは割とね、伝統の世界では履き違いやすい問題でもあると思う。なぜなら、歌舞伎は先人たちが築き上げたものを自分がやるわけだから、「やらせていただく」という感覚が強くなければいけない。自分一人で築き上げたものではない、受け継がれてきたものだということへの敬意は大前提にあるから。その気持ちがあまりにも強くなったら、知らない間に謙虚になっちゃうんですよね。それは落とし穴だと思うんですよ。だから、「過去の人たちが築き上げてきたものをやらせてもらいます」と敬意を示しつつ、舞台の上では「過去の役者たちより俺が一番いいんだ!」というつもりでやらなかったら、先人にも失礼ですよね。

――演じる役柄にもよるでしょうが、共演者に対しても「でも俺の方がいいんだ!」という強気なマインドの方が、互いに相乗効果を生み出すということはありますか?

僕は、一人でやっている時は「俺の方がいいんだ!」となるんです。でも、先輩、後輩たちと共演する時は、最初は「負けねえぞ」と思うんですけど、舞台の上で目が合った瞬間に感謝になっちゃう。「もうありがとう!」と胸がいっぱいになるタイプです。「負けないぞ」と対抗心を燃やした直後に「勝ち負けじゃない」と思ったり、「勝ち負けじゃないよ」と悟った時に「負けてたまるか」と思ったり。自分の気持ちですら想像できない。ということは、人の気持ちを想像するなんて、とてもできない。それはつかめるものじゃないから。そうなったらもう、素直な気持ちで、真っすぐいることしかできないですよね。

――舞台は生ものと聞きますが、心情もまさにそうですね。

変わりますね。僕、ものすごく緊張症なので、毎日「この仕事向いてないね」と思います。朝起きた時の不安と、ドキドキと……。なんというか、憂鬱なんですよ。どんなに自分の好きなお役でも、ワクワクする演目でも、初日の朝は必ず憂鬱になる。お腹壊しちゃうし、「これはもうやめた方がいいかもしれない」と毎回思うんですよ。でも、千穐楽になると「もう終わっちゃうのか」という気持ちでいっぱいになる。「またやらしてもらいたいな」なんて、同じ人間とは思えないメンタルになっているんですね(笑)。だから、移り変わりはすごくあると思いますよ。お客さんにもそのマインドは絶対伝わっているでしょうしね。で、結局、パーン! とスイッチが入ります。

――初日の朝に「もう向いていない」と思いながらも劇場に向かって。どこでそのスイッチが入るんですか?

劇場に入ったら、ですね。中日を過ぎてくると、体も疲れてくるし、ほかの仕事が重なった日は「今日、まともにできるかな」とすんごい不安な気持ちになる時がある。でも、楽屋に入るじゃないですか。そうすると、みんなが「おはようございます!」と普通に準備していて。そしたら「さあ、始まるぞ!」と切り替わる。だから、楽屋ではいつも元気な右近君だと思われています。その一面に傷をつけたくないというのが自分自身の中にあるので、から元気でやっていく。そうやっているうちに憂鬱な気持ちも忘れちゃうんですよ。から元気で人を騙しているうちに、自分のことも騙せて元気になっていると。

――いいですね。そう思わせるのは、劇場の匂いとか音か空気感とか、そういうものも関係しているのでしょうか。

何なんでしょうね。でも、いまだに劇場に入ったらワクワクしますよ。

尾上右近

――では、国立文楽劇場は、右近さんにとってはどんな印象ですか。

国立文楽劇場は、僕はいい思い出しかなくて。楽しかった思い出がすごく詰まっているんですよね。明るい印象がすごく強いですね。あと文楽で言ったら、竹本織太夫さんにもお世話になっているし、鶴澤藤蔵先生が僕の義太夫の先生でもあるから、文楽劇場はお稽古に行く場所でもあります。

――例えばどんな思い出がありますか?

歌舞伎座がまだない頃なので13、4年くらい前だと思うんですけど、藤蔵先生にいきなり「お目にかかってお稽古していただきたいというご相談に上がりたいのですが」とアポを取って、文楽劇場に行ったんですよね。その日は(市川)團十郎のお兄さんと一緒にご飯を食べる予定だったので「1時間くらいお話しして帰ってくるので、僕、後から追いつきます」と言っていたのに、結局2時間半ぐらい藤蔵先生としゃべっちゃって、團十郎さんをめちゃめちゃ待たせてしまったんです。でも、團十郎さんに「楽しかったんだろ?」と言ってもらったことを覚えています。「絶対、楽しかったって帰ってくると思ったよ。どんな感じのお稽古の話になったの?」と。藤蔵先生とは、歌舞伎と文楽のお話をさせてもらって、それが国立文楽劇場だったので、すごく神聖な場所という印象が強いですね。

――右近さんは研究熱心で、いろんな勉強をされていますね。

僕ですか? でも好きなことしかできないですよ。本当にそう思う。好きなことしか耳に入ってこない。目に入ってないタイプです。

――ちなみに、歌舞伎のどこに一番惹かれていますか?

何で好きなんだろうな……。調子がいい時はもちろん、調子が悪い時も、どんな時でも救われているところですかね。だから完全に依存していますよ。それは間違いない。依存です。もし歌舞伎が人間だったら大変な依存をしている。「もう頼むから一緒にいてほしい」みたいな状態だと思いますよ。「え!? 次はあの人とお芝居するの!? なんで僕じゃないの!!」みたいな。「新作やるわ」「僕、やりましょうか」「いやいや、今回はあの人に頼むから」「でも僕が……!!」(とすがる)みたいな(笑)。それぐらい執着してるし、依存してると思います。もし歌舞伎が人間だったら大変。

――大変ですね。歌舞伎だから受け止めてくれる。

と、勝手に僕は思っています。でも「楽しい」が一番大きいかな。なんて言うんだろうな、こういう芸風が好きとか、こういう役者さんのお芝居が好きとか、こういう演目が好きとか好みはありますよ。どの瞬間を切り取っても、いろんな役者さんを見ても、「歌舞伎っていいな」と思う。その瞬間があることが、一番好きな理由かな。

――その瞬間について、詳しく教えてください。

それが何なのかというと、代々重ねてきたものを今、見させてもらっているという感覚もそうだし、ただ受け継いでいるだけじゃなくて、その役者さんの人生観と重なる部分があることにも面白みを感じていて。だって、真っ白に顔を塗って、あんなにでっかい鬘をかぶって、衣裳を着て、大きい声を出して、リアルとはかけ離れたことをやるわけじゃないですか。でも、その中に「すっごい分かる!!」という気持ちや、その人の人生観、背景、生活観みたいなものが見えた時、デフォルメされたフェイクの中から滲み出るリアルに震える瞬間があるんですよ。それが歌舞伎の一番魅力的な部分じゃないかな。それはイコール役者の魅力ですよね。その役者がどういうふうに生きているかが見える。だから、「歌舞伎の見方」とか解説をやらせてもらう時は、「歌舞伎は人間力のミュージアムです」と必ず言うようにしています。役者の生き様が、演目や役柄から透けて見えるのが歌舞伎の魅力ですね。

尾上右近

――なるほど、めちゃくちゃ分かりやすいです! ありがとうございます。最後に、もう一つ好きなものについてお聞きしようと思うのですが、最近、大阪で気になるカレー屋さんはありますか?

開拓という意味ではできていないのですが、ずっと好きなお店は「て」というスパイスカレーのお店です。南船場にあるのですが、もう5、6年、通っているかな。『研の會』のポスターも貼ってもらっています。

――そうなんですね。では、お客様には『研の會』を観てもらって、「て」でカレーも食べてもらって、大阪を楽しんでもらいたいですね。

そうですね。国立文楽劇場からも近いので、ぜひです!

取材・文=Iwamoto.K 撮影=松井ヒロシ