松山城の付近で崩れた土砂(写真・共同通信)

「擁壁のひび割れや傾きはもちろん、道路そのものも歪んでいて、1メートルを超える亀裂がいくつもあった。この1年間で、何人もの住民が市役所に危険だと訴えていたんですよ……」

 と、松山市役所への不信感を訴えるのは、“事故現場”近くの住民だ。

 7月12日、愛媛県松山市の土砂崩れは悲惨な結果となった。崩れた斜面は、松山城がある城山のもので、幅50m、長さ300mにわたって土砂が流れ落ち、城址公園下の集合住宅や民家を直撃した。土砂に埋まった木造住宅に住んでいた90代と80代の両親と、40代の息子の3人が亡くなった。

「崩れたのは警察や救急の緊急車両や工事車両が通る緊急車両道路の脇です。2023年7月の集中豪雨で崩れたため、今月から擁壁の撤去と補修作業をまさに開始しようとしたところでした。

 現在はブルーシートが被せられていますが、松山市は先月末から断続的な大雨に見舞われており、地盤はかなり緩んでいました。工事との因果関係は不明ですが、もっと早く補修工事をできていれば、ここまでひどい土砂災害が発生しなかったのではないか、と市への批判の声が高まっています」(地元紙記者)

 地元住民が不安を覚えた“亀裂”を1年間も放置ーー。これは天災ではなく人災ではないのか。

「松山城・城址公園は国の指定史跡であるため、工事には厳格な法手続きがあるんです。松山市役所は2023年11月に、工事に向けた発掘調査を文化庁に申請し、12月にはその許可を得ていました。2024年1月に工事予定個所の発掘調査を実施後、2月に調査結果を市の審議会に報告しています。そして4月に文化庁への工事申請を行い、文化庁内の審議会の決済も下りた約1カ月後の5月17日に工事許可が下りました」

 松山市は同時に市議会で予算の承認をおこない、結局工事が開始されたのは7月1日だった。

「そもそも擁壁の亀裂が発見されたのは6年前なので、この間はただ放置されていました。また、文化庁によれば災害復旧などの緊急時には特例的に手続きを簡略化できる“特例的措置”もあるので、すぐにでも擁壁を補修することはできたはずです」

 実際、文化庁文化財二課の担当者に確認すると、「その都度、適切な助言はしている」、として本誌の取材にこう答えた。

「事業主体は松山市なので、申請書類の記載内容を見て許可を出します。今回、書類や資料に不備などはなく、申請に遅れはありませんでした。松山市からの“特例措置”を求める請求は今回なかったですね」

 冒頭の地元住民の証言もあるように、擁壁の亀裂だけでなく、2023年の豪雨によって、緊急車両道路上に亀裂や傾きが多く存在することは知られていた。松山市はなぜ工事開始まで1年もかけたのか。松山市役所はこう答えた。

「緊急車両道路は、一般車両が立ち入り出来ない道路ですが、1年間、毎日、巡回して現状の把握に努めました。緊急性はないと判断した中で、現実には土砂崩れが起きたことは事実です」

 現場が見過ごされていた背景としてこんな見方もある。冒頭の地元紙記者が言う。

「昨年11月、松山観光の目玉の一つである、『坊ちゃん列車』の運休を伊予鉄道が発表しました。地元観光のためとはいえ、14億円もの赤字が積みあがり仕方なく中止されたんです。これに対し、松山市と愛媛県は観光促進のために『坊ちゃん列車』の運行再開を望みつつ、民間企業の赤字事業に公費投入はできないという姿勢は崩さず、伊予鉄、松山市、愛媛県が互いの主張をぶつけ合う泥仕合になっていて、問題は今も解決していません。

 こうした“揉め事”自治体、市民、さらにメディアの目が、豪雨災害の被害から離れていたのは確かです」(地元紙記者)

 もっと早く工事をおこなえていれば、救えた命だった可能性は高い。