オリンピック史研究の第一人者・來田享子の指摘 大会の意義を総括しないメディアの責任と東京五輪後に見え始めたアスリートの変化
東京五輪の総括は、それを行なうべき組織が解散。レガシーという言葉だけが残っている印象だ photo by Getty Images
検証:オリンピックの存在意義04〜來田享子インタビュー前編〜
パリオリンピックの開幕が近づいてきた。スポーツニュースではアスリートたちの五輪内定や直前情報などが日々報じられているが、その一方でロシアのウクライナ侵攻やイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃が続き、「力による現状変更」の苛烈なニュースもまた、止むことがない。このような世界の状況で開催される〈平和の祭典〉は、果たして現代の人々と社会に対してどのような意義を持っているのだろう。また、世界各地で今も残る様々な差別や格差、不平等に対してオリンピックはどのように向き合って解決を図ってきたのか。
オリンピックが長年抱えてきた課題と将来に目指すべき方向性について、中京大学スポーツ科学部教授・來田享子氏に訊いた。
後編〉〉〉「2年に1回の開催は、大会の意義を考えるいい機会にもなる」
【歴史に見る3回のパリ五輪の意義】――戦争や人道危機のニュースが日々報じられるなかでパリオリンピックの開幕が刻々と近づいていますが、オリンピックを取り巻く雰囲気は、結局、いつもと同じように見えます。最初に、オリンピックムーブメントやスポーツとジェンダーの関わりを研究してきた研究者として、來田さんはどんな思いでこのパリオリンピックを見ているのですか。
來田:東京大会を踏まえて思うことと、純粋にパリ大会について思うこと、というふたつのレベルの思いがあります。
パリのオリンピック開催は、1900年、1924年、そして2024年で今回が3回目です。ジェンダー平等や女性参加という視点からオリンピックムーブメント史を見ると、パリの3大会はどれも何かしらの転機になっているんです。
1900年は女性たちが初めて参加した大会です。ただし、つばがある帽子や裾までの長いスカートという服装でテニスやゴルフをしていたので、言ってみれば社交場の添え物的な存在にすぎませんでした。それが1924年になると、オリンピック憲章に「女性は参加することができる」という文章が入って女性アスリートの存在が明文化されるんです。
その後、そこから100年の間にさまざまなことがありましたが、2024年になってようやく男女の参加選手数が50:50の同数に到達しました。
――ちなみに前回の東京では、男女の参加数はどうだったんですか。
來田:かなり女性の参加数が半数に近づいて、47.8%までいきました。ただ、多様な性自認が理解されてきた現代社会で、男女という枠組みを壊さないことの弊害も顕在化しつつある、というのが現状ですね。
――最初に「東京大会を踏まえて思うことと、純粋にパリ大会について思うことのふたつのレベル」という話がありましたけれども、東京大会を踏まえた上で思うこととは、どのようなものでしょうか。
來田:メディアの方々には申し訳ないのですが、ひとつはメディア批判です。東京大会の時に、オリンピックの意味や開催意義を問い、組織委員会に対して批評的視点から報道するすばらしい流れができたわけですよね。にもかかわらず、今のメディアはオリンピックの意義をしっかり振り返ることなく、「誰がパリの選手の出場権を得た」「メダルに期待」という、かつてと同じような報道をしています。
今回のパリ大会は環境問題に非常に力を入れていて、招致段階から「環境に優しいよりよい世界を作るためのオリンピックをするのか、それともオリンピックをやらないか」という選択肢をパリ市長が提出し、市民の声を聞いたうえで開催に至っているわけです。「何のためのオリンピックなのか」ということを最初からしっかりと提示し、パリの組織委員会も日本のフランス大使館も発信しているのですが、残念ながら日本ではその情報をうまくキャッチできているように見えません。
東京大会の時は、「開催意義は何なのか」とあれだけ真剣に考えたのに、次に開催される大会はどんな意義で開催しようとしているのか、ということをメディアの側ではほとんどすくい上げていないように思います。
【議論する組織がない】――東京大会では批評的な議論ができかけていた、というお話でしたが、その東京大会でも競技が始まると、結局はいつものようなメダル報道と「感動をありがとう」という類型的な物語へ収束していったように見えました。
來田:たしかにそう思います。そうなってしまった原因のひとつは、議論をするための組織がうまく機能しなかったからでしょう。お金に関する不正問題は暫定的な組織で議論したけれども、オリンピックそのものについてきちっと振り返って検証し、税金に見合ったものができたのか、何が残されたのかということを議論する組織がなければ、それは何もできませんよね。東京都議会で多少は議論されたと思いますけれども、どうしても視点が不正問題にいってしまって、大会の意義は何だったのかという確認や議論はそのまま置き去りになったような恰好です。
――組織委員会も1年後に解散し、「レガシー(遺産)」という言葉だけがひとり歩きして、何が何だかわからないまま現在に至っている印象があるのですが、東京オリンピックのレガシーというものが、もしあったとすれば、それはいったい何だったのでしょうか。
來田:私は歴史研究者なので、長い時間軸で評価をしなければならないのですが、あえていま言えば、ひとつは、アスリートたち自身が社会とつながることの必要性を少しずつ意識し始めている、ということです。これは大きかったと私は思います。
オリンピックをやるべきなのかどうかとあれだけ批判されて、「自分たちはそこで走っていいんだろうか、投げていいんだろうか」と思い悩む経験があったからこそ、アスリートたちは「社会と切り離して競技だけやっていればいいわけじゃない」という思いに至りました。また、スポンサーの側でもそういう意識を持っている人でなければ協力し応援をする意義がない、と捉えるようになっています。
ただ、その変化はあまり報じられていないようにも思います。だから私はJOC(日本オリンピック委員会)での活動などでは「それが市民の皆さんにしっかり伝わって理解されなければ、オリンピックムーブメントの意義は十分に伝わらない」と指摘もしているのですが、なかなかそういう形にはなっていっていません。
もうひとつレガシーがあるとすれば、私は2025年の世界陸上東京大会の組織委員会にも関わっているのですが、不正が起きない仕組みやガバナンスの透明性について相当に強い意識が定着しています。これは東京オリンピックの教訓がなければ、このような運営にはなっていなかったと思います。
【日本で見え始めたポジティブな変化】――いま指摘されたふたつのレガシーのなかで、アスリートたちがパンデミックを契機に社会との関わりを主体的に捉えて意識するようになったというお話ですが、現在も彼ら彼女たちのなかに、その意識が生きているでしょうか。
來田:たとえばこういう活動をご存知ですか?(『HEROs PLEDGE』)。スポーツ界から使い捨てのプラごみをなくそうという運動も、その一環なんですよ。今までだと「意識の高いアスリートはこういうことをやるよね」くらいの考え方だったかもしれませんが、選手や指導者を含めて草の根レベルから環境負荷の意識を育んでいく。価値観が変わっていくのに時間はかかるかもしれませんが、意識の変化はこういうところにも形になって表れています。
――環境問題は異論や摩擦が起こりにくいので、選手や競技団体も積極的に啓発活動を行なうと思うのですが、世界の紛争や社会問題への意見表明を避ける風潮は相変わらず強いようですし、選手をマネージメントする側もそういった質問を好まない傾向が根強い印象もあります。
來田:そうですね。意見をはっきり言う人は言うし言わない人は言わない、ということだろうとも思いますが、日本人はそもそも学校教育でそういうトレーニングを受けませんよね。19、20歳、あるいはそれ以上の年齢のアスリートたちでも、発言の仕方を学んでいないと思います。これはアスリートたちだけの現象ではなく、たとえば私が取材を受けた際には「どうして日本のメディアはこういうことを書かないのですか?」と記者さんたちに訊ねると「上司が書くなと言うので......」という返事が返ってきたり、「賛否両論で炎上するかもしれないことは書くのを控えよう」という判断が働いたりもするようです。大人の社会がそのような状態なのだから、「アスリートであるあなたたちはロールモデルだから、逆風を乗り越えて発言しなさい」なんて言えるわけがありませんよ。
そんな状況のなかで、たとえ無難な環境啓発であったとしても活動を始めていることに、私は希望を見いだしたいです。アスリートたちが自分の主張をできるようになるまでに時間はかかるかもしれませんが、それは私たち大人が取り組んで変えていけなければならないことだと思います。
――そういったことも踏まえて今回のパリオリンピックを見ると、非常に象徴的な大会になるのではないかという気がします。環境問題という現代的なテーマ設定もさることながら、政治状況が不安定化し人々の価値観も移り変わっていく今の世の中にオリンピックはどう関わっていくことができるのか。いまご指摘があったように、日本のメディアがそれらの課題に対する取り組みを報道する意志を持っているのかどうか、という点では〈鶏と卵〉の問題なのかもしれませんが。
來田:そうですね。たとえばいくつかの競技団体は、トランスジェンダーの参加問題について真剣な取り組みを始めています。今までの日本だと「国際団体が動くまで待っていよう」「国際団体が決めたことに従いましょう」という姿勢でしたが、私が見る限りでは、国内競技団体の中には自分たちで考えて動きだそうとしているところがあります。結論はさまざまなのかもしれませんが、トランスジェンダーがトップレベル競技に参加できない状況が発生するのであれば、競技団体はそれが社会からの差別や排除につながらないよう、自分たちの行動で示す必要があります。国内の法整備が理解増進法にとどまり、差別禁止法がない現状では、より強く求められるべき対応です。共に参加できる競技会を考案するとか、差別や排除を起こさないためのハンドブックを作成して配布するとか、あるいは選手や指導者に教育・啓発をする、といったことですね。海外では多くみられるそうした活動に取り組む競技団体が国内でも出てくるようになったのは、東京オリンピックの際に大会の意義は何かという問いを突きつけられて考えさせられた競技団体からのフィードバックのひとつだと思います。
【大人が発言をしないのに若者に求めても...】
來田氏はオリンピック史研究を通して大会ごとの意義を説いている photo by Sportiva
――たとえば現在のイスラエルとパレスチナの状況や、ロシアのウクライナ侵攻に対する意思表示などは〈政治的〉と指弾される一方で、「政治ではなくあくまでも人権問題だ」という指摘もあります。オリンピック憲章規則50(※)の問題もありますが、日本のアスリートや競技団体はこれらの課題を積極的に考え、取り組もうとしているのでしょうか。
(※:選手が大会期間中に宣伝・広告、デモンストレーション、政治的・宗教的・人種的プロパガンダを行なうことを禁止する項目)
來田:IOCは昨年、オリンピック憲章を改正し、ガイドラインに沿って選手などが表現の自由を享受できると定めました。ですが、日本では、発言することやその方法について選手に十分伝えることはできていないと思います。そもそも大人が発言をしたがらない、発言をSNSなどでたたき合う国で、若い人たちに発言しろと言ってもそれは無理ですよ。投票率が30%や40%の国で、そんなことを期待できるはずもないじゃないですか(笑)。
――社会そのものの反映、ということですね。
來田:そうです。だからといってスポーツ界はあきらめてしまうのか、ということかと思います。トレーニングやスポーツを通して自分を育み、他者を理解し、社会が作られていくのだから、自分自身が社会を構成する一員として自分自身が発言できる人を育てる、ということが大切です。スポーツが政治から独立していなければならないのは、まさにそれが理由だと私は思います。だから私たちは、モスクワオリンピックのときにJSPO(日本スポーツ協会。日本体育協会から2018年に改称)とJOCが分かれた経緯を忘れてはならないんです。
――モスクワオリンピックの際に大会のボイコットとして日本体育協会が日本選手団の不参加を決定したのは45年近くも前の出来事で、その際に選手たちが涙ながらに抗議したことを記憶しているのはおそらく壮年以上の世代です。現役の若いアスリートたちは、テレビの映像でチラッと見たことがあるかどうかといった程度のように思います。
來田:だから、教育が大切なんです。私は大学で体育・スポーツ史を教えていますが、モスクワオリンピックの時にJOCと日本体育協会が分かれたことを知っている学生はほとんどいません。そのような教育がなければ過去の出来事は忘れられて風化しがちなので、講義のなかでは「スポーツ界の独立にはどういう意味があるのか」ということを学生たちに考えてもらいます。ただ短期的に目の前の大会で勝てばいいという教育ではなく、スポーツを巡るこの国の知の体系全体を俯瞰して考えていくことが必要でしょうね。
後編〉〉〉「2年に1回の開催は、大会の意義を考えるいい機会にもなる」
【Profile】來田享子(らいた・きょうこ)/中京大学スポーツ科学部スポーツ教育学科教授。近代オリンピック史研究の第一人者。ジェンダーやスポーツの社会的環境などさまざまな観点から国内外の史料を分析・研究する。これまで、日本のスポーツ団体にも関わり、日本オリンピック委員会、日本スポーツ協会、NPO法人日本オリンピック・アカデミーで要職を務め、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会では理事を務めた。