連載 怪物・江川卓伝〜中畑清が見た大エースの孤独(後編)

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 中畑清と江川卓は、先輩・後輩以上の間柄である。付き合いの長さもさることながら、互いに自分をさらけ出し、リスペクトしているからこそ、より関係が深まっていった。


全力プレーと底抜けに明るいキャラクターで人気を博した中畑清 photo by Sankei Visual

【捕球できなかった牽制球】

 孤高のマウンドに立つ投手にとって、内野でもっとも近い距離にいるポジションはファーストではなかろうか。一塁への牽制やベースカバーなど、ゲームにおいてピッチャーとファーストのコンビネーションは大切であり、阿吽の呼吸が必要とされる。

「江川って、バッターとの間合いを外すために山なりのボールの牽制球しか投げてこないのに、一度、北海道の円山球場での試合でホームに投げるよりも速いボールを放ってきたことがあった。準備してないから驚くじゃん。ボールが『ゴオオオオォー』っとうなりを上げて、バスケットボールくらいの大きさで向かってきたから、『うわぁ』って逃げたよ。円山球場ってファウルゾーンが広いから球を拾いにいくのが大変で、ランナーは三塁まで行ってしまった。

 さすがにバツが悪くて、マウンド上で『バカやろー、あんなボール放りやがって。得点されるんじゃねぇぞ。あとはきっちり抑えろ、頼むぞ』って言ったら、『はい』ってすました顔でビュンビュンと連続三振よ。さすがだよ。でも、あの牽制球は死ぬかと思った。ミットを出したけど間に合わない。気づいたら顔のあたりだったからね。反射神経が悪かったら当たって死んでるって。あれは忘れもしない。あれが本当に江川の剛速球。ベンチに帰ったら監督の藤田(元司)さんに『ピッチャーの牽制球を逃げる一塁手がどこにいるんだ!』って怒られたよ」

 練習でもゲームでも、いつも十分に余力を残しながらプレーしている江川が、時折本気を見せると、周りは準備していないため慌てふためく。それを面白がっているフシがあったと中畑は言い、こんなエピソードを語ってくれた。

「江川が現役を辞める原因はオレだって言うからな。広島戦で小早川(毅彦)にサヨナラツーランを打たれる前に、ランナーなしでツーアウトまでとっていた。つづく高橋慶彦のセカンド寄りのゴロをオレが飛びついて捕って、一塁ベースカバーに入る江川に投げようとしたら、めちゃくちゃ速いんだよ。普段の走りじゃなかった。それでタイミングが合わずに送球が逸れてしまった。そしてサヨナラツーランを打たれて......。もともと江川は、短距離とかもめちゃくちゃ速い。盗塁王を獲った松本(匡史)の次に速いんだから」

 さらに中畑はつづける。

「野手として鍛えていたら、松本よりも速くなっていたかもっていうくらい速い。常に全力を見せずにやっていたからな。まともにやっていたのは、伊東キャンプまでじゃないか。あとは才能だけでやってきたからな。だから突然全力プレーされると、牽制球と同じでタイミングが合わないんだよ。ほんとは『想定外の動きをするんじゃないよ、バカヤロー』って言いたかったけどさ」

 江川は東京六大学であわや首位打者を獲るほどバッティングがよく、大学4年時には5番を打つほどだった。足も速く、フィールディングもいい。プロ野球の一流選手が驚愕するほど、走攻守において桁外れの能力を持っていた。そのなかでも、投げることについては誰も説明できないほどの能力だった。

 プロのバッターともなれば、当然真っすぐに対する意識は強く、ボールの軌道に合わせて打つ技術、感性はずば抜けている。その百戦錬磨の男たちが、真っすぐとわかっていても合わないのだ。それこそが江川のすごさというしかない。

 中畑は学生時代に江川と対戦したことは一度もなく、プロでは同じチームだったため打席での江川の球を見たことがない。

「キャンプ中の紅白戦で、味方相手に真剣に投げるわけがない。だって、敵に対しても本気で投げないんだから」

 クリーンナップ以外の打者に対しては、明らかに6〜8割程度の力で投げる。現役時代、よく「手抜き」と言われていたが、江川にしてみれば完投するための手段だった。それが簡単にできてしまうのが江川である。

【28年目の和解】

 そんな江川を半世紀近く見ているからこそ、中畑にはこんな思いが去来する。

「小林繁さんの人生を変えてしまったことをいまだに引きずっているのか、あいつのなかで拭いきれないものを持っていたんだなっていうのを、CMを見てわかった。17年前に流れていた『黄桜』のCMに、あいつの謙虚さがものすごく出ている。小林さんはあのCMのあとに亡くなっちゃうんだよね。だから、お互いどっかでひとつ踏んぎりがつけられたのかなって思う。あれはCMじゃない、ふたりのドキュメンタリー。小林さんの『謝ることないじゃん』『お互いしんどかったよな』の言葉に、もっと早く言ってあげたかったという思いが伝わったよ。オレとしても、なんでそういう時間をもっと早くつくってあげられなかったっていう悔いもあるよ」

 中畑は上を見つめながら、かすれ声で話した。

 2007年秋に流れた博報堂制作の『黄桜』のCM。白ホリのスタジオで、江川と小林が"28年目の和解"というテーマでお酒を酌み交わしてトークする。通常、CM撮影では絵コンテが必須だが、監督は「台本なし」の一発撮りを敢行したことも手伝って、当時大きな話題となり、のちにCM殿堂入りを果たしている。

"空白の一日"で人生が大きく変わった江川と小林のふたりが、CMのなかで邂逅し、28年間の想いを互いに慎重を要しつつもぶつけ合った。掛け値なしの人間ドラマが、たった1分30秒のなかに凝縮された。

「今回の巨人のOB会長を決める時もそうなんだけど、必ずあいつに言うんだよね。『次はおまえがやれ。それだけのポジションにいる人間なんだから。誰も文句は言わない』って。でもあいつは『それなら僕は抜けます』って、頑なに引き受けない。もはや意固地とかじゃなく、罪人みたいに思っているんだよ。だから、あまり目立ちたくない、トップになりたくない。本当の意味で、あいつに青春時代はなかったんだと思う。華やかな場所でやってきた人間なのに、あまりにも華やかなところを避けてしまう部分があるとオレは感じるんだよね。時間が解決してくれるはずなんだけど、あいつのなかで許せないところがあるんだろうね」

 江川には、自分のせいでひとりの人間の人生を変えてしまったことへの後悔。テレビで見せるひょうきんな表情の裏側に、いまだに償いきれない思いが宿っているのだろうか。江川が背負っている十字架は、想像以上に重いものなのかもしれない。だからこそ、中畑は今もなお罪深く感じている江川に対し思うことがある。

<もういいんだ、おまえだけが悪いわけじゃない、だからもういいんだ>

 そう耳元でささやくことで、江川の深奥にある硬く閉ざされた何かを、どうにかして和らげてあげたい。儚いかもしれないが、それが中畑清の思いだ。

(文中敬称略)


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している