異次元の投手・江川卓を中畑清が語る「ひとりだけ違うところから出てきたピッチャー。ボールそのものが特殊だった」
こんな中畑清を見たことがなかった。
「ゼッコーチョー!」のキャッチコピーでON(王貞治、長嶋茂雄)が去ったあとの巨人のリーダーに君臨し、引退後は打撃コーチとして若き日の松井秀喜を指導し、そしてDeNAの監督時代は自ら先頭に立ってチーム改革を断行し、新しい時代を切り拓いた。
そんな底抜けに明るく、時に厳しさも兼ね備えている中畑が、心底憂いたのだ。
80年代の巨人を牽引した中畑清(写真左)と江川卓 photo by Sankei Visual
「やっぱり江川卓って、いろんな意味で別格だったよ。やっていることがなんかかわいいんだよな。あの体から醸し出す雰囲気っていうか。おちゃめだし、ネタもいっぱい持っていて、ふざけ出したらとことんやるし。でも、まだあいつのなかに引きずっているものがある。もう打ち破っていい頃だとは思うんだけど......本人のなかで、やっぱりあまりにも大きなことだったんだろうね。自分のせいで人の人生を変えてしまったっていうさぁ」
江川の入団時のことを言っているのは、すぐに理解できた。
中畑と江川は、日米野球で一緒になってからの仲である。江川が法政大2年時に日本代表に選ばれ、その時に主砲だったのが駒澤大4年の中畑だった。
「日米野球で思い出すのが、帰国する前夜にアメリカで世話をしてくれた方と一緒に、江川と田尾(安志/同志社大→中日)と田村(政雄/中央大→大洋)でラスベガスに行ったこと。車で4時間以上かかったんだけど、オレが2時間運転したかな。砂漠のなかの一本道で、夜中3時頃に着いたんだけど、遠くから見ると山火事かと思うくらいブワッーと光が浮かび上がってきて、最後は朝の太陽が出てきたくらいの光が目の前に現れて。映画の『未知との遭遇』じゃないけど、最後は大きな光に包まれていく感覚。プロ志望の4年生のオレたちにとって、あの光はこれから未知の世界へと飛び込む希望の光のように見えた。あの光景は忘れられないね」
砂漠のなかを走る車中から、はじめはポツンと灯る光りが見えたかと思うと、近づくにつれ、だんだんと包み込まれるような壮大なラスベガスの煌々と輝く光が現れた。その光景は、まさに希望と成功の象徴のように感じるのも無理はなかった。
江川とふたつ違いの中畑は、江川が巨人に入団して最初に会った時のあいさつを今でも忘れられないという。
「あいつふざけやがって、いきなりオレに言った言葉が『あっ、中畑さんだ。またエラーされる』って。こんなあいさつあるか。オレもまだロッカーさえまともに与えてもらえない一軍半の選手だったけど、目が合って『またエラーされる』はふつうないだろ。日米野球でエラーしたことを言っているんだろうけど。あいつが投げている時に内野フライを落としているんだよな。スタンドもないローカル球場で、照明も暗く、慣れていないナイターの試合
でフライが上がっても距離感がつかめないから捕れなかったんだよね。それにしても、そのことをいきなりあいさつ代わりにするとはなぁ」
このエピソードを聞くだけでも、中畑と江川の関係性がわかる。人一倍気を遣う江川は、縦社会の野球界において、先輩であればこそ言葉づかいもより丁寧になる。先輩に対しフランクな発言など絶対にしない。ましてや大騒動を起こして入団しただけに、周りとの距離感はより慎重に測っていたはずだ。
江川は、中畑と東京六大学リーグで一緒だった1歳下の鹿取義隆がいたおかげで、チームから完全に孤立することは逃れた感じだった。
【明らかに異質だった江川のボール】中畑にとって、江川は特別な存在であることは間違いない。大学時代は日本代表で一緒にプレーし、プロ入り後も巨人のチームメイトとしてともに戦った。江川の球をサード、もしくはファースト、さらにベンチから見てきたが、ボールの軌道がほかの投手と明らかに違っていた。調子がいいときは、垂れずにホップしているかのように見えたからだ。
「オレたちが教えるピッチャーの基本とは、ちょっと違うんだよね。あいつの投げ方は誰もマネできない。腕の振り方、ボールの握り方、力の抜き方、力の伝え方......ほかのピッチャーとは全然違う。だから、特殊なんだよね。ふつうの投手よりも球種が少ない。いろんな球種が投げにくい投げ方をしてたんだよ」
中畑の言葉に熱がこもる。
「あいつのキャッチボールを見ていて思うのは、ボールを滑らせるだけなんだよね。ふつうは人差し指と中指でボールを引っかける、噛ませるんだけど、あいつは指で滑らせる感じ。そんな投げ方でスピードボールを投げられるピッチャーは見たことがない。おまけにフォローがないんだよ。フォローというのは、投げたあと振り下ろした腕が背中のほうに巻き込むんだけど、江川は振りきらずに終わり。人差し指と中指の腹でトップスピンをかけるから振りきらない。いや、振りきれないんじゃないかな」
「腕を振りきれ」というのは、ピッチャーを指導するうえで基本中の基本と言われている。江川も腕を振りきってないわけではない。ただ、トップスピンを最大限にかけたいために、通常の腕を振りきる形にならないだけだ。おまけにフォロースルーも小さく、そのため江川のフォームは力感があまりなく、軽く投げているように映る。
「真っすぐとわかっていてもバッターが空振りしてしまうのは、投げるボールがふつうのピッチャーじゃないから。プロのバッターは同じピッチャーと対戦して、何百、何千回と同じボールを見ている。それなのに、江川のボールだけは異質と言われる。オレは一概に、江川のボールはスピードがどうこうと言うレベルではないと思う。ひとりだけ違うところから出てきたピッチャー。怪物とか言われているけど、ボールそのものが特殊なピッチャーなんだよね」
巨人の主軸として多くのピッチャーと対戦してきた中畑から見て、江川のボールは明らかに異質だった。スピードだけでは計れない特殊なボールを投げる投手、それが江川卓だった。
(文中敬称略)
後編につづく>>
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している