四国に現れたとんでもない逸材・岡村宝(高知商) 12球団のスカウトが視察したその魅力とは?
しなやかに、颯爽と駆ける姿をひと目見ただけで、「この選手は『高知の宝』どころか、『日本の宝』になるかもしれない」という予感が湧いてきた。
高知商業の3年生、岡村宝(たから)の存在は、ごく一部の野球ファンの間でしか認知されていない。だが、NPB12球団のスカウトが視察を終え、密かに動向を注視していた逸材である。
すでに進路は日本体育大に進学する意向を固めている。それでも、いまだにNPB球団スカウトからの問い合わせは後を絶たず、「今後のために編成幹部に視察させてほしい」と依頼されるケースもあったという。
すでに12球団のスカウトが視察に訪れたという高知商・岡村宝 photo by Kikuchi Takahiro
身長190センチ、体重75キロの長身痩躯。頭が小さく、手足が長い。まるで漫画『キャプテン翼』(高橋陽一)の登場人物のような、絵になる頭身だ。
両親は有名なアスリートだった。父・幸文さんはやり投げで日本選手権5位。母・千晶さん(旧姓・高木)に至っては1993年の日本選手権200メートル優勝という華々しい実績がある。
10歳離れた長兄の幸哉さんも、岡豊高時代に100mの四国高校記録を樹立している。だが、宝は幼少期から野球にのめり込んだ。介良中の軟式野球部に在籍した中学時代には高知市選抜に選ばれているが、それほど有名な選手ではなかった。
高知商の上田修身(うえた・おさみ)監督は「中学時代の噂は、全然聞きませんでした」と振り返る。
「私の妻も教員だったのですが、最後に勤務した学校に『背の高い子がおるよ』と言っていて、それが宝でした。宝のお父さんも妻の教え子という縁もありました」
体育の授業を受け持つ上田監督は、岡村の非凡な運動能力に驚かされたという。
「何をやらせても、うまいんです。どんな運動をしても、ひととおり、きれいに動ける。野球以前に『これだけ身長が高いのに運動神経がええんやな......』と思いました」
運動能力が高く、投手としても野手としても豊かな才能を秘めていた。だが、ここまで岡村の大きな実績はない。上田監督は「ひとつの大会をとおしてまともに出たことがないんじゃないですか」と苦笑する。
高校2年だった昨夏は大会前に股関節を痛め、ベンチ入りできず。秋は股関節痛が癒えた県大会の途中から戦線復帰。高校3年の春は死球を受けて右手小指を骨折し、県大会終盤に復帰している。
右手小指を骨折した際、レントゲンを撮影すると岡村の骨端線がまだ閉じていないことがわかった。人間は関節部分の骨端線が閉じると身長の伸びが止まり、大人の体になって筋肉がつきやすくなると言われる。つまり岡村の身長はまだ伸びる可能性があり、練習で強い負荷をかけると故障するリスクがある。
上田監督は慎重を期して、原石と接している。
「高校生活のなかで仕上げようとすればケガするでしょうし、ケガをしてつらいのは本人なので。なにより、宝がいないとチームが困りますので、とにかくケガせんように考えています。ただ、本人もケガをするたびに考えが大人になって、取り組みにも表われてくるようになりました」
【魅惑の大器は大学進学予定】高知商グラウンドのブルペンに、岡村が立つ。左足をやや一塁側に開く形のセットポジションから、真っすぐに左足を上げる姿が美しい。腕の振りはやや斜めの軌道のため、縦の角度を生かしきれているとは言いがたい。それでも、指にかかったストレートは捕手に向かって加速する体感のボールだった。これから体が成熟するにつれて、技術面も変化していくのだろう。
投球練習後、岡村はあどけない笑顔で反省を口にした。
「いいボールと悪いボールの差があるのが自分の悪いところなんです。まだ下半身ができていなくて、体幹も弱くて、フォームが一定にできていません」
現段階で最高球速は144キロ。打撃力は高いものの、高校通算1本塁打に留まっている。プロスカウトから熱視線を受けることに対して、岡村は「自分は全然たいしたことのない選手だって、今も思っています」と戸惑いを隠さない。
今年1月、岡村は日本体育大の練習に参加した。充実した設備、大勢の野球部員を目にして、岡村は「4年間、やっていけるのか?」と自信を喪失したという。日本体育大は辻孟彦コーチ(元・中日)の投手育成に定評があるだけに、なぜ自分に声がかかったのかも半信半疑だった。
それでも、3月に入ると「冬を越えて、秋よりもはるかにボールがよくなってきた」と少しずつ自信がついてきた。岡村は上田監督に「日体大にお世話になります」と申し出ている。自身も日本体育大のOBであり、「いきなりプロへ行くよりワンクッション入れたほうがいい」と考えていた上田監督も賛成し、今秋時点でのプロ志望届の提出は見送ることになった。大学進学後も、投打二刀流の継続を視野に入れている。
「野球をやっていて、一番楽しいのはどんな時ですか?」
岡村にこう尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「自分のピッチングができて、テンポよくアウトがとれる時です。やっぱり勝てた時が一番うれしいですから。負けたら何も意味がなくなるので、勝てるピッチャーを目指しています」
昨秋は高知大会決勝で高知に0対2で敗れ、今春は高知大会決勝で明徳義塾に3対4で惜敗している。今夏も両雄が高知商の前に高い壁となって立ちはだかるだろう。だが、岡村は覚悟を固めている。
「今年は周りからもチャンスと言われていて、甲子園は自分にとっても夢なので何としてもかなえたいです。でも、今の実力では無理だと思います。体をしっかりとつくって、勝てるピッチャーになりたいです」
県内きっての歴史を誇る高知商は、伝統的に好投手を輩出してきた。代表的な投手を挙げると、高橋善正(元・東映ほか)、江本孟紀(元・南海ほか)、鹿取義隆(元・巨人ほか)、中西清起(元・阪神)、津野浩(元・日本ハムほか)、岡林洋一(元・ヤクルト)、藤川球児(元・阪神ほか)などがいる。
だが、最後にプロへ送り出した選手となると、1998年ドラフト1位の藤川までさかのぼらなければならない。岡村は4年後に続く存在になれるだろうか。
上田監督は城北中で監督を務めた際に藤川を指導した恩師でもある。藤川と比較して岡村の素材をどう見るか尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「宝は体がまだ全然できていないので、これから大きくなったときにどれだけの選手になるのか......。想像もできないですし、楽しみでもあるんですよね」
今年に実施された指導者講習会でモデル選手を務めた岡村は、講師としてやってきた藤川から「今のままやっていけばいいよ」と激励されたという。寮の岡村の部屋には、藤川の著書『火の玉ストレート プロフェッショナルの覚悟』が飾ってあった。
まだ誰も真価を知らない、埋蔵金のような存在かもしれない。だが、本人の努力と周囲の辛抱もあって、そのきらめく財宝を掘り起こす準備が整いつつある。
まずは、岡村宝が今夏にどんな輝きを放つのか。じっくりと見守りたい。