東京大会では、オリンピックの意義をさまざまな局面から問われた photo by getty images

検証:オリンピックの存在意義02〜山口香インタビュー前編〜

 フランス・パリで行なわれる今夏のオリンピックは、1896年にアテネで行なわれた第1回大会から数えて33回目の近代オリンピック開催になる。開会式は7月26日、競技自体はその2日前の24日に7人制ラグビーとサッカーから始まり、32競技329試合が実施される予定だ。前回の東京五輪の際には開催意義が日本国内で大きな議論になり、さまざまな不祥事や醜聞が次々と露見したことは、今も記憶に新しい。そんな状況を後景として持つわれわれ日本人は、1カ月後に迫るパリ五輪をどのように受け止めればいいのだろうか。

 JOC(Japanese Olympic Committee:日本オリンピック委員会)理事を2011年から10年間務めた筑波大学教授の柔道家、山口香氏に忌憚のない意見を伺った。

【オリンピックは世界との関わりを考える機会】

――次のオリンピックが迫っていますが、東京五輪のさまざまなことを振り返ると「さあ、パリだ!」と無心に楽しめそうな気分になれない、というのが今の正直な、個人的な印象です。東京大会を経験したわれわれは、どういう気持ちでパリ五輪に向き合っていけばいいとお考えですか?

山口:それぞれの人の立場や生きている世界によって感じ方や向き合い方は変わってくるのだろうと思いますが、今回は通常の4年ではなく3年と少し短い感覚になっています。そのような事情もあり、いろいろなことを考えているうちに次のオリンピックが来てしまったという印象を持つ人は多いと思います。だから、せめてオリンピックが来た時に「どう捉えようか」と考えるきっかけにしてほしいという気はしますね。

――「考えるきっかけ」というのは?

山口:私たちはいつも簡単に答えを出せない世界に向き合っているので、「こうしなきゃいけない」とか「こうあるべきだ」と安易に言えませんが、オリンピックを通して私たちが世界とどう関わっていけばいいのか、ということを考えるチャンスになると思うんです。「選手たちはよく頑張った。日本のメダルはいくつだったね」で終わりにするのではなく、たとえばロシアとウクライナの問題やイスラエルとパレスチナの問題など、スポーツという身近なフィルターを通じてそれらの問題を見ることによって、世界や社会はどんなふうに対応していくことができるのか、自分たちはそこにどう関係しているのか、と考える機会になってくれれば、ということです。

【たとえ建前論や理想論であっても】

――ロシアのウクライナ侵攻やハマスとイスラエルの戦争などに対して、スポーツという立場からどう対応すればいいのかという課題は世界各国に共通して課せられているテーマです。ただ、日本のメディアはいつものように「日本代表がメダルを取りました。何々選手が健闘しました」ということだけで終わってしまうのではないか、という危惧を感じるんです。

山口:そのような危惧も、たしかに理解できますが、私たちはオリンピックの意義を地道に発信し続けて、「オリンピックの価値はそれだけではないですよ」と言い続けていくしかないんですよ。それに、たとえ(意義や価値を)訴えたとしても正解があるわけではないし、そもそも皆がひとつの同じ方向を向くのは健全ではない。ただ、発信することによって3年前の東京のことを思い出したり、オリンピックって何なのだろうと考えてくれる人もいるでしょう。

 つまり、オリンピックやスポーツとは、そういうものなんです。世の中に直接的な大きな影響力を発揮するものではないけれど、スポーツを通じて何かがジワジワと変わっていくことを期待する。世界には先進国、経済大国から発展途上国、紛争がある国などいろいろな状況があるなかで、ひとつのルールで折り合いをつけて、皆が集って交流し競い合いましょう、と。そこから何かが生まれるかもしれないし、そこに世界や社会が目指す未来の姿があるかもしれませんよね。世の中の課題や問題は、国や地域の紛争なども含めてなくならないけれども、スポーツはたとえ建前論や理想論であったとしても何らかのアプローチは可能だということを見せてくれています。その意味で価値があると私は考えているし、それを多くの人に感じてほしいとも思います。

 ただ、そうはいっても、どうしても目の前にある華やかな競い合いや勝負に目を奪われてしまいがちなので、その奥にある深いものまではなかなか見えづらい、という側面もあります。

 だから、メディアや報道の役割はすごく重要だと思います。勝った選手を称えることはもちろん大切だけれども、勝敗や自国選手の応援だけではなく、いろんな視点から世界を見るヒントを示していただければすごくありがたいと思うし、そういう風潮も少しずつ芽生えているのではないかと期待したいです。

【日本人が抱く自己イメージと実際の姿のズレ】

――期待をしたいけれども、本当に期待できるのだろうかという不安も、やはり拭いがたく残ります。

山口:ひとつだけ確かに言えるのは、『自国開催でなければ、こんなに気楽に見ることができるのか』ということはわかっていただけるんじゃないですか(笑)。パリ五輪の開会式では選手たちが船でセーヌ川をパレードしますが、現地のセキュリティ対応などはとても大変で難しいだろうと思います。でも、それに対して何かを思うにしても言うにしても、私たちは第三者なんです。つまり、みんなそうやって外側からオリンピックのきれいなところだけをずっと見てきたんですよ。開催国では様々な賛否両論があり、その時々の課題にも向き合っていますが、外で見ている人たちはそれらの問題に目を向けることもなく「よかったね」で終わってしまう。

 でも、そうやって外部の第三者としてパリ五輪を見ながら、自分の気持ちのどこかに「東京って何だったんだろう......」という思いを見つける人がいるかもしれない。そのときに、「コロナ禍がなければ、東京五輪もこれくらいうまくできたはずなのに......」と思うのか、それとも「コロナ禍がなかったとしても、ここまでのことをできたのか?」と思うのか。そこはよく考えてほしいところですね。

――「コロナ禍がなかったとしてもできたのか」とは、どういう意味でしょうか。

山口:たとえば汚職問題や開会式の演出問題、あるいはロゴの盗用疑惑など、東京五輪は開催前からいろんなことがあったじゃないですか。でも、それって全部、新型コロナウイルス感染症とは関係ないことばかりですよね。ともすると「東京五輪はコロナ禍で大変だった」とまとめられがちですが、問題の本質はそこではないだろうと私は思います。

 もしもこれから行なわれるパリ五輪を見た日本の人たちが「あぁ......、すばらしい大会だったな」と思うとすれば、それは「コロナ禍がなかったとしても、これだけのことを日本は果たしてできていたのか?」と私たち自身に返ってくる問いかけでもあるんですよ。

『スポーツの価値』(集英社新書)でも触れたことですが、おそらく1964年の東京五輪の成功が念頭にあって、「あの時にできたんだから今回もまたうまくできるよね」と思っていたのかもしれませんが、自分たちがもはや世界のスタンダードからズレ始めていることに気づいていないように思います。汚職や費用高騰はどの開催地でも問題になることですが、日本人は正直だとか真面目だという自己イメージと実際の姿は少し違ってきつつあるのではないか。そういう意味では、次の世代の人たちにバトンを渡す時期が来ていることを、そろそろ上に立つ人たちにも考えてほしいですね。

 でも、スポーツのよいところはそこなんですよ。実力主義の世界だから、15歳でも16歳でも速ければ、強ければ抜擢されますよね。そして、その子たちが経験することによって、さらに次の人たちも頑張るじゃないですか。そうやってスポーツの世界にできることが、なぜ社会ではできないんだ、ということです。これはスポーツ組織だけの問題ではなくて、日本社会全体の問題ですよ。日本は世界から置いていかれつつある、遅れ始めているという意識がないんですよ。でも、そこに気づかないとさらに遅れることになります。

【スポーツの意義は正常な世界を見せること】


山口氏は、オリンピズムの啓蒙は粘り強く継続しないと本当の意味で普及しないという photo by sportiva

――競技はルールがあって、タイムや結果で勝敗がはっきりと示されるので、自分の力が衰えていて世代交代が必要だということもわかりやすいと思うのですが、社会全般の新陳代謝はスムーズにいくでしょうか。

山口:スポーツにできることって何かというと、正常な世界を見せることなんです。能力のあるものが先頭に立つ。そして、勝った人を称賛するけれども、一緒に頑張った人も讃えましょう、というふうに。じつはそういうことをスポーツは自らの裡(うち)に含んで見せているんですが、でも、それは教えなければわからないし、人にも伝わらない。いみじくもそう言ったのが、嘉納治五郎(柔道の創始者)なんです。

 柔道場で毎日汗を流して苦しい練習をやっただけでは、人間は育たない。なぜこんなに苦しい練習をするのか、そしてその先に何を目指さなければならないのか。人間を磨いて社会に貢献するエッセンスが柔道にあるということは、座学で教えなければ理解できない。そういう主旨のことを嘉納治五郎は言っているんです。

 オリンピックの場合で言えば、オリンピックムーブメント(※)です。私はJOC(日本オリンピック委員会)の理事を退任してしばらく時間が経ちますが、JOCはたしかにその啓発活動を行なっていると思います。ただ、オリンピックとはいったい何であるのか、どんな価値があって社会にどういう影響を与える存在なのか、ということをもっと日ごろから粘り強く世の中に広く伝え続けなければ、先ほども言ったように、結局は金メダルがいくつだということだけにメディアや観戦者の関心が終始することになってしまうわけです。

(※)オリンピックムーブメント......オリンピズム(「スポーツを通してこころとからだを健全にし、さらには文化・国籍といったさまざまな違いを超え、友情や連帯感、フェアプレーの精神をもって互いを理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」(JOCウェブサイトより)という思想)を普及啓蒙していく活動のこと。

 たとえば、JOCは昨年秋に札幌オリンピックの招致断念を発表しました。札幌市や市民の人々の意向、予算の問題などの理由があるのはもちろんですが、その根底にはJOCのムーブメント醸成が弱かったことも大きいのではないかと私は思います。

――札幌でやることの意義は何なのか、まるで伝わってこなかったですね。

山口:「今じゃなくてもいいだろう」「別にうちじゃなくてもいいだろう」と言われた時に、スポーツの感動とか子どもたちに夢を与える、という理由だけでは、説得力のある議論にはならないじゃないですか。だから、札幌の件はそもそもオリンピックムーブメントの浸透があまりうまく進んでいなかった、というのが私の理解です。

後編に続く

【Profile】山口香(やまぐち・かおり)/筑波大学体育系教授。現役時代は柔道52kg級の日本代表として多くの国際大会に出場し、1984年ウィーン世界柔道選手権優勝、1988年ソウル五輪で銅メダルを獲得。現役引退後は日本オリンピック委員会在外研修制度で1年間イギリスへ留学するなど見識を高め、指導者、大学教員の道に進む。一方で2020年6月まで10年間務めた日本オリンピック委員会理事をはじめさまざまな団体・協会で要職を務め、女子選手、日本のスポーツ環境の改善に尽力。東京五輪・パラリンピック時は「中止すべき」と意見を明言する一方、東京大会を取り巻くさまざまな課題点について積極的に発言を行ない、問題提起を行なってきた。